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大学病院で初期臨床研修気づけば40歳で大学医局を辞めました。

■大学医局からの卒業


私の大学医局からの卒業は40歳でした。
よく大学医局からは簡単には足抜けできないぞと言われてきていましたし、辞め時を間違ってとんでもない目に合ったり、とんでもない目を合わせている先輩を見ていたので、辞め時だけは見謝らないようにしようと考えていました。私が若い頃にはありませんでしたが、今は医師派遣会社ができたので、いい時代になりました。以前は大学医局を辞めた後にひもじい思いをするなんてことはザラでした。それが、契約書を交わすだけで自分に合った労働契約が結べるのですから、とても気楽なものです。それに対して、大学医局は吹けば飛ぶような駒のごとく、一寸先は闇なのでした。

私が大学医局に所属してよかったことは、自分の専門分野だけ技術を磨くというような片寄ったことにならずに、色々な経験を積むことができたことです。そして何より、色々な先生と知り合いになることができたことでしょう。

こんな考え方があるのか・・? あの先生には敵わないな。
でもあの先生のようになりたいからよし真似してみるか。
あの先生、あんな失敗している。よし自分はああならないようにしなくては。
ちぇっなんだよ。無茶苦茶言うなよ。

なんて言いたくなるような理不尽に怒られた毎日。

そうです。私が悪いです。反省します。となるように諭していただいたり。そして、壁に当たったときに話を聞いてもらったり、食事をごちそうになったり、これは1人ではできなかったことでしょう。

しっかりこれは私の財産となり、私の中で生きています。

■今と昔とでは違うシステム


私も医局では合わない人もいて、自分で医局員を選べたらいいなぁと思ったことはありました。私は口には出しませんでしたが、先輩があいつムカつくからどっか派遣されてくれないかなと、酒の席で言っているのを聞いて腹を抱えて笑ったり。でもそんな先生に、私が支えられているのだと気づかされたり。数えればきりがないぐらいたくさんの財産を貰っています。

今は研修医が大学病院で研修することは35%ぐらいにとどまっているそうです。大学病院で研修する以外には、ほとんど選択肢がなかった私の時代とはだいぶ違っていて、給与も保証されており、羨ましいことも多々あります。羨ましいと思いつつも、私の中には医局で勉強をさせてもらったたくさんのことがあるのに。自分が選択しなかった道だから気になるのでしょうか?不思議なものです。

児童精神科医として人間関係に悩む子どもたちの相談に、経験論を生かしたアセスメントができるのも、大学医局に身を置いていたおかげ。ただ、医局にいると給料面では満足できることはありませんでしたが、それも私らしい医師人生だと感じています。

■卒業しても自分の中に残るもの


そうして40歳になり、私は大学医局から卒業しました。

大学医学部を地域枠で入学して卒業し、さらに研修医時代を入れると9年間あります。足抜けできないのを見ていると、ヤクザな世界はまだ残っているといえるでしょう。ですが私は自分のこれまでの経験を生かして自立しています。

私が医局を卒業した時は、大学教授が退任されたタイミング。そして、後進も育った状態で、その他大勢とのひっそりとした引退でした。だから、自分が選ばなかった爪跡残すような辞め方にも、憧れは残っています。

医局の中にいると、同じ医局の中で出世を競ったり、治療方針や学会発表や研究でお互い協力したり、譲らずに喧嘩したりということがありました。これからの医師人生にはもうありません。ただ、小児科医局で小児科医として子どもたちのために過ごした日々は、永遠に忘れないでしょう。

とはいえ、いまだに先輩方には仕事のことやプライベートのことで相談に乗っていただいたり、勝手にリスペクトして真似させていただいたりもしているので、完全には卒業できていないかもしれませんね。

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