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■日本に住む外国人の数は増加傾向にある
国内外国人が増えていますね。2020年に日本に在留外国人は約300万人。2015年から比較すれば50%増です。ですがそれに社会が適応しきれていません。児童精神科医という仕事をしていると、日本の子どもだけではなく、在日の子どもたちと話す機会も多いのでつくづくそう感じてしまいます。

外国人ということでいじめにあった。文化の違いを言われることやもしくは自ら孤独を感じる。言語の問題さまざまな問題があると思います。
その中でも特に深刻なのが、中国や韓国の子どもたちです。歴史的背景もあってお互いにあまりいい感情を抱いていないということもあるかもしれません。ですがこれは大人の話で、子どもには関係ないはずです。それなのに、先生や保護者がそうもいかないようです。授業中に先生がいじってきたという子どももいました。もちろん先生には、そんなつもりはなかったのかもしれません。けれど、それをいやだと思って学校に行きたくなくなる子どもも、いるということに気づいていない可能性もあります。

■差別を受けていい人はどこにも存在しない
ですが、在日の中国や韓国の子どもに、いったい何の罪があるのでしょうか。罪なんてないはずですし、ましてや差別を受けていいわけもありません。

この「差別」という感情は非常にナイーブなことも含まれているため、本人が気づいていなくても無意識のうちに見下していることもあります。そして、そういった感情を察しやすいのが子どもです。例え笑顔で接していたとしても、「この人は私のことを差別している」「私のことを嫌いだと思っている」ということは、子どもにはすぐにわかります。

そして、親が自分の友だちが在日だとわかった瞬間の表情というのも、子どもはよく見ているものです。直接「在日の子となんて仲良くするんじゃないよ」という親もいますし、「そうなのね」とはぐらかしながらも快く思っていないことがうっすらと分かる親もいます。そうすると、その子どもは、今まで仲良くしていた友だちが「在日の友だち」という意識に変わり、徐々に距離ができ、子ども同士の差別につながることはよくある話です。

そして差別を受けた側もまた、「なぜ私がこんな目に」という気持ちが芽生え、お互いの距離がどんどんと開いていくというわけです。

■日本の子どもでも、日本以外の子どもでも、みんなが幸せになれるように
話を戻しますが、私は診察に来た外国人の子どもたちに、必ず最初にかけている言葉があります。
「君が正しいよ。外国人の子どもだからといって、いじってはいいなんてことは決してない。君に何の罪もないし、落ち込む必要もないんだよ」
そう告げると、彼らは味方を見つけたような気持ちになって、元気になってくれます。周りから色々と言われてるし、自分が本当は悪いのではないかと思っている部分があるからです。ですが私と話をすることで、私は間違っていなかったのだと、あらためて気づくことができるので、表情が明るくなるのだと思います。

また、もう一つ考慮しなければいけないこともあります。子どもは日本行きたくて来ていない可能性もあるということです。たとえ病院で医師や心理士が味方になったとしても、学校には居場所がないままでは、意味がないのです。学校が辛い場所のままなら、行きたくなくなるのは当然ではないでしょうか。
「そんな場所には行かなくてもいいんだよ」
というように伝えることもありますが、この言葉が彼らを楽にさせることもあれば、そうでない場合もあります。たとえば高校受験を控えているなら、行かないことでハンデを追うのはわかりきったことだからです。それに学校に行かないという選択をすると、逃げたことにすら感じる子もいます。

「外国人の子どもだから」というくくりは捨てる必要があると思います。私は、こういった教育をしてこなかった日本に対して、常々社会問題を感じているのです。

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