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罪悪感を抱えて走る ◇うつ回復記 その5◇

2019年春にうつ病を発症してから、苦しい状況を何とか抜け出したい一心で、心身の調子を整えるためにランニングにトライしては挫折するということを何度か繰り返していた。

やがてどうにもこれは無理だと悟り、不安と恐怖の只中で、時の流れに身をまかせるしかない日々を送っていたが、1年以上が過ぎ、症状がいくぶん落ち着いてきた頃、ランニングを再開した。

◆◆◆

薬の力を借りて眠れる時間が増えていたこと、波があった食欲が元に戻ったこと、近しい友人や職場の人との交流等のおかげで、その日1日をなんとか乗り切るだけで精一杯という状態から脱し、体を動かそうとする気力が湧いてきた。

運動するなら、やはりランニングという思いがあった。1人でできて、お金もかからない。
筋トレもいいけれど、続けられる気がしなかった。
元気だった30代の頃に熱心に取り組んでいたランニング一択だった。

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最初はランニングというよりほとんどウォーキングだった。
時おり思い出したように100メートルぐらいゆっくり走り、また歩く。無理をしないことを心がけ、少しずつ走れる距離が伸びていった。
以前とは違い、目に映る何もかもが怖いということはほぼなくなっていた。

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だが、その時期の私の心は、うつ発症をきっかけに別れてしまった元パートナーへの強烈な罪悪感に支配されていた。
一方で、そういう決断に至るしかなかったのだという思いもあり、頭の中で堂々巡りが続く。

息苦しくなってきて途中でしゃがみこみたくなるが、なんとか足を前に出し続ける。
走って歩いて、走って歩いて。
ふと気づくと罪悪感が頭の中から消えている。そしてまたしばらくすると浮かんでくる。
それを何度か繰り返して1日のランニングを終える。

◆◆◆

その時期、うつ病が理由でパートナーと別れた人たちの話をスマホでむさぼり読んだ。
家族とうまくいかなくなり、離婚を選んだ人。
どうしても結婚に踏み切れず、婚約破棄をした人。
逆に、うつに苦しむ恋人をずっと支えていく自信がなく、悩んだ末に別れを告げたことへの罪悪感に苛まれている人。

どの人の話も切実で、胸に迫りくるものがあった。
と同時に、世の中には私以外にもそういう人たちはいるんだと、少し安心したのも事実だ。

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とにもかくにも人生は続く。過去は変えられない。
自分にとって最適だと思うランニングを続けることで、ボロボロに崩壊したバランスを立て直すことに専念しようと決めた。
どうしても体が動かない時、気が乗らない時は無理せず、できる範囲で取り組んだ。

◆◆◆

足を交互に前へ出し続けていくというシンプルな動きが、脳の誤作動によって大きく脱線してしまった頭の動きの流れを「よいしょ、よいしょ」と少しずつ元に戻そうとしてくれているように感じた。

この罪悪感も、他のあらゆる負の感情も、うつの症状自体も、きれいに消え去ることはないかもしれないが、ランニングを続けることによって、なんとか折り合いをつけながら生きていけるかもしれない。
そんな思いが芽生えつつあった。

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