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おいしく食べ、おもいのまま書く

あえて子どもの頃みたいな
箸の持ちかたで食べてみると
食べにくくもどかしい気持ちになる。

だけどその分
強制的にゆっくりと味わって食事をすることになるためか、いつもより美味しく感じられる気がする。

持ち方が正しいか否かは
美味しく食べられるかどうかと関係ない。
見栄えやマナーの問題だ。



私はいわゆる
"正しい持ち方"で食べることができるが

「社会に出ると箸の持ち方一つで
ああだこうだ言われる可能性があるなんて、
なんと馬鹿馬鹿しいことだろう」と思ってしまう。



『猿の惑星』という映画は
シリーズ化されていて
同じようなテーマで何作も作られている。

そのなかの一つに
猿が人間の立ち位置となり
わたしたち人間はペットとして飼われている、という話があった。

毛むくじゃらの
ゴリラやチンパンジーたちは
きらびやかな装飾品に身をつつんで
愛を囁き合ったり

人間みたいに
なんだかとてもえらそうに
社会をまわしている。


そのシーンを見た私は
ほかの動物や宇宙人(!)なんかから見れば
人間もこんなふうに滑稽極まりないのかもなと思った。


滑稽な人間様が
箸はこうして持つのが正しいとか
行儀がいいだとか
したり顔で言ってるのだ。

しまいには他人様に
あいつは箸の持ち方がなってないとか
食べ方が汚いと指摘したりして。



他の動物や
宇宙人(!)がその光景をみたら
なんて言うのかな。

「人間のくせになにいってんだか〜
われわれからすれば
大して変わらないんだぜ〜?プププ」
と笑うんじゃなかろうか。




作法やマナーなんて
国が違えばガラリと変わってしまう

足を立てて食べることが正しかったり
手掴みで食べることが正しかったり
まぁなんか、いろいろある(雑)

その場にふさわしい作法やマナーを見につけ
振る舞える人のことは尊敬するし
すてきだと感じるし
できることなら自分もそうありたいが

同時に猿の惑星のシーンがよぎって
「なんてばかばかしい」という気持ちになってしまう。


他人様に迷惑をかけず
その人が美味しく食べることができるなら
良いんじゃないの?と思うのだ。



私にとって
感覚的には文章も一緒で

その人が美味しく
食べられれば良いのと同じよう
たのしく、あるいは
想いのまま書けていたらそれで良い。

そういう文章にこそ
その人らしさみたいなものが
滲み出ている気がして、
私は好きだなぁと思うのだ。


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