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仕事終わりの家路は、ひとりぼっちの下校を思い出す。

今年も春と思えば夏が来て、夏と思えば秋が来て、あっという間に寒い冬の年の瀬が来てしまいました。
私は仕事の関係上クリスマスも正月も関係ない生活を送っていますが、
仕事が終わる夜中の凍てつくような気温の中での家路には、
多少は切ない気持ちになります。

ここ数年は流行病のせいもあり他人との距離も余計に増え、
昔はこの時期になると仕事場でも「忘年会」という言葉が飛び交っていたのですが、それもみんなの心の余裕と共に消えました。
そんな日々を過ごしていると自分の中に昔からいる「孤独」
がこみ上げて来ます。
それは今始まった事ではありません。

こんな私も当然ながら人生の大半を「学校」という場所で過ごしました。
しかし遂に最後まで、それに馴染むことが出来ませんでした。

ただ子供の頃は自覚もなく、正確に言えば訳もわからず親に連れていかれた幼稚園の園児の頃から、たまたま同じ年に生まれた他人と、同じ時間に同じ場所に集まり、友達になり、同じ時間に昼食を食べ、同じ時間に昼寝するという一連を強要される事に対するストレスと違和感。
それがうまく出来ない自分と周囲との隔たり、それが年を取る毎に自分の中で「孤独」として顕在化して来ました。

同じく、訳も分からず連れていかれた小学校の教室で初めて授業が行われた時に感じた疎外感。
同級生の皆様とセンセーとのやり取りが全く理解できず、私は自分が何故そこにいるのか、なぜみんながセンセーの話を理解できるのか?
何でノートを取っているのか?まったく状況が理解できず、
ただ戸惑うだけでした。

しかし状況が理解できない私がボーッと突っ立って居た場所は、
「人生の競争」という戦場の真っ只中だったのです。
当然ながら無防備状態で戦場に立つ私はアッ!という間に蜂の巣にされ、
敗走の繰り返しの中で、センセー達とも同級生の皆様とも心の隔たりも埋める事が出来ず、しだいに私は一人で居る事を選ぶのでした。

そんな出来の悪いボンクラな私でも、さすがに現在では表面上は波風立てず他人と接する術は自分なりに学びましたが、それは本当の意味での
「人間関係の構築」ではなく、それは今なお自分の中の重い課題として自分にのしかかるのでした。

寒い季節、仕事終わりの家路は、ひとりぼっちの寂しい下校を思い出す。
齢を重ねても何も変わらないなぁ。


UMAの越冬 作:Scarface


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