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その人との時間を楽しみたい=その人に楽しませてもらいたい?

 初対面の人と話すことは苦手だ。2回目に会う人と話すことはもっと苦手だ。初対面ではなんとか誤魔化しがきいてやり過ごすことができる(と思っている)が、2回目に会う時にはそうはいかない。3回目に会う時には単純接触効果によって小さな親近感が生まれているが、2回目の時には、相手と相手の思い描いた自分と自分の三人が集まることになる。

ああ、私は今日もしっかり嫌われたくない。

「そんなよく知りもしない人にどう思われても構わないのだが」




そういう人もいる。その人たちはそんなよく知りもしない人に嫌われた経験が少ないからだろう。







 

人と会うときあなたは相手に何を期待するだろう。または相手に何を期待しないだろう。


 私は人と会う時にはワクワクするような時間を期待する一方で、相手が私の顔色を見ることを期待しない。心躍ることで会話の花が満開になることを期待する。だが結果的に、私は自分勝手な話の運び方ばかりしていたのかもしれない。会話の距離の取り方にもそれなりのマナーがあることを昔の私は知らなかった。

「ああ、どうしてそんな他愛もない会話、どこにどんなメリットがあるというの!どうせ大して答えを聞きたいこともないだろうに!」
 
 他愛もない会話は私を辟易とさせた。大したことない質問に大したことのない返答。退屈そうにする相手に息が詰まる私がそこにはいつもいた。普通でいると普通だとそっぽを向かれ、変わっていると変だと踵を返された。

 
 私には、人が誰かと会う時には相手に楽しませてもらうことを何処か間接的に期待しているように思えた。



その人との時間を楽しむとは?





その人との時間を楽しむというのは、きっと自分自身とその人自身の全てをお互い
に分かち合うことだ。あなたの、その人の人生の一部を一緒に作ることだ。


「あなたらしくないよ!」
「あまり一緒にいて面白くない」

何時も好調でいられたらいいがそうはいかない。だが無理に自分を偽ることをしない選択があなたにはある。あなたと一緒にいない選択が相手にあるように。





あなたに少しの間だけでもいいから、私の人生に参加してほしい。
私に少しの間だけでもいいから、あなたの人生に参加させてほしい。





そうみなが考えて行動したなら、もう少し人間関係で傷つく人も傷つける人も少なくなるかもしれない。




Cloudy




 
 




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