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いのちの名前

明日からの4連休に向けて、私は本日休みを取ることにした。

休みの前に休みをとること、結構大事だと思っている。もちろん、仕事の都合でいつもうまくはいかないけれど、その一日は自分をフラットにするために使う。机に積もった埃を払うように、心の表面を更地にする。そこからの休暇、きちんと深く息を吸い込めるように。

7/22、気温31度、湿度40%。
私は19年ぶりに映画館で、
千と千尋の神隠しを観た。

持てる者の姿

傍若無人な振る舞いをする千尋の両親と、
彼らを飲み込んでしまう町。
このシーンは、元々こんなに不気味だっただろうか。
いや不気味は不気味だったけれど、私はずっと、彼らはトンネルに入った瞬間に何か魔法にかけられてしまったのだと思っていた。
それゆえ欲望に抗えず、湯婆婆に豚にされてしまったのだと思っていた。
でも、この納まりの悪い気味の悪さは「持てる者」が醸す”無敵感”によるものかもしれないと不意に気が付く。

お金を払えば大丈夫、車は四駆だ、後から謝ればなんとかなる。大抵のことを「自分の持ちもの」で何とか出来るようになった大人の発言だ。千尋のような、親の仕事の都合で友達とお別れしなければいけない子どもには纏うことのない”無敵感”だ。

社会で生きていくうちに、人は手段を身に着ける。それは対価でもあり、知恵であり、武器でもある。それは悪ではないし、うまく使えば生きる自由が広がったような気持ちになる。
しかし手段はあくまで手段。自分自身の力と勘違いすれば傲慢さだけが鼻につく。

持てる者は、手段の使い道を時折顧みるべきだと思う。矢印が自分だけに向いていないか、聞くべき声を聞き逃していないか、拾うべき何かを踏みつぶしてはいないか。

もしもこの時点で湯婆婆が両親に魔法をかけていたとすれば、それはきっとその人らしさをより外側へと引き出す魔法だ。


強さと勇気と優しさ、心から溢れ出るように

泣き虫で、甘ったれの、愚図。ここまでのこと、そうそう言われないなぁ。
千尋は名前を奪われ、鈍くさい千として油屋で働く。両親が豚になり、やさしくしてくれたハクは急に冷たいし、なんかよくわからない生物の中で揉まれ、どれほど孤独だっただろう。
何度も観てきたつもりだけれど、親の気持ちで千尋を心配したことは初めてだった。窮地も窮地、間違いなく人生最初の崖っぷち。
めそめそするのも挨拶がすぐに出てこないのも、千尋がだめな子だからじゃない。世話を焼いてくれるリンの言葉をすぐに活かせる素直さに、私の心はキュンとなる。ときめきではない、切なさの混じった愛おしさだ。

まっすぐな細い脚の子どもに、とんでもない覚悟が背負わされた。
その重みに耐えて千尋はどんどん強くなっていったように見えるけれど、運命を受け入れて困難に立ち向かうその勇気は、千尋の中に生来宿っていたものだと思う。過酷な環境が生んだ強い磁力が引き出しただけで、きっとずっと千尋の中にあったものなのだ。
とんでもない状況に置かれていながら、千尋は周りの人を疑わない。信じて向き合い、自分の言葉で話す。ありがとうを忘れない。正しい行動を自分の胸に問う。心の水源から溢れだすように、千尋の中の純なものが周囲へと伝わっていく。

人はみな、澄んだ水流を心に持っていると思う。培ったものではなく、誰もが持って生まれてくるのだと今、信じている。
一筋縄ではいかない局面に何度も立たされ、一方でとてもとてもうれしいことに幾つも出会い、その度に自分が自分で居られないように思うこともあるけれど、胸に流れるものはきっとそれほど変わらない。
失いたくなければずっとそのままでいられる。
新しい自分を受け止めながらも、そのままの自分を守ることが出来る。

青空に線を引く
ひこうき雲の白さは
ずっとどこまでも ずっと続いてく
明日を知ってたみたい
胸で浅く息をしてた
熱い頬 さました風も おぼえてる
未来の前にすくむ手足は
静かな声にほどかれて
叫びたいほど なつかしいのは
ひとつのいのち
真夏の光
あなたの肩に 揺れてた木漏れ日
つぶれた白いボール
風が散らした花びら
ふたつを浮かべて 見えない川は
歌いながら流れてく
秘密も嘘も喜びも
宇宙を生んだ神さまの 子供たち
未来の前にすくむ心が
いつか名前を思い出す
叫びたいほど いとおしいのは
ひとつのいのち
帰りつく場所
わたしの指に 消えない夏の日

「いのちの名前」の解釈を、
ここに一つ見つけたような気持ちでいる。


深く呼吸ができる。吸って、吐いて、吸って。




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