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叫びたいほど懐かしいのは、あの日の真夏の光

津軽山野です。

「永遠にそこにあり続けるものと、今この瞬間失われるものは同じくらい悲しい」
と友人に話したら割と共感を得ました。
愛すべき友です。甘いものが苦手で舞城王太郎の小説に青春を狂わされた友よ。

さて、永遠にあり続けるもの、とはなんでしょう。宇宙すら寿命があるならこの世に(そもそもこの世とはなんぞや)永遠なんてないのかしら。問5 Blueという単語を二度以上使用して永遠を定義せよ。

では、今この瞬間失われるものとは?
それは私の手にとまった羽虫。
それは8月の真昼間。
真昼間に買ったソフトクリーム。
アポロ(それはチョコあるいは宇宙船)
記憶。

全ては白昼夢のように過ぎ去っていくような漠然とした不安が、「さぁ、今。今こそ、ここへ行くのだ」と私を海に導きました。

人はなぜ海に惹かれ、海に怯え、
それでも海に向かうのだろう。

前置きが長くなりましたが今日私が紹介するのは、山深い町に住み、海に恋焦がれた私が選んだ
『もし自分が死んだ後にたどり着いてほしい海』
三選です。

私の偏見による私のための私による備忘録のような記事になりますが、それでもよろしければぜひ読んでいってください。

天国ではみんな海の話をするんだぜ。

「ノッキンオンヘブンズドア」
悲しく荒々しく美しすぎるとある映画の中で主人公たちが会話するワンシーンに登場するセリフです。絶対ブルーピリオドでも言ってる(ど偏見)

死んだあと、みんなそんな話するの?
みんなそれぞれ自分の好きな海について語るわけ?
と、その映画を見た私は愕然としました。

盆地とも呼べない、もはや谷のような町で育った私は果たして、海の話をしているみんなの輪に入れるのか。不安しかない。
江ノ島電鉄に乗って七里ヶ浜を眺めて育った人から馬鹿にされて地獄に落とされたらどうしよう。落とされないがね!

渾身の海を紹介したい。
(渾身の海とは?)

といっても七里ヶ浜や沖縄、瀬戸内の良さを語ったって、その素晴らしさは皆様先刻御承知なわけであって、ということを私は先刻御承知なわけなんですよ。
なので、ちょっと変わり種(?)を紹介したいと思います。

六番目の駅「沼の底」

「いいか電車で六つ目の沼の底という駅だ」

このシーン、大好きなんですよね。
分かる人はジブリ検定2級をお持ちではなかろうか。

宮崎駿監督の大ヒット作、
『千と千尋の神隠し』の終盤、
主人公である千尋(千)が、ハクを助けるために銭婆と呼ばれる魔女のところへたった一人で向かおうとする場面です。
釜爺がそんな千尋のために40年前の使い残りという切符を手渡します。

「電車の切符じゃん。どうしたの、これ」
「40年前の使い残りだ。いいか、電車で六つ目の沼の底という駅だ」
「沼の底?」
「そうだ。とにかく六つ目だ。」
「六つ目ね」
「間違えるなよ。昔は戻りの電車があったんだが、近頃は行きっぱなしだ」

千と千尋の神隠し

釜爺の声、菅原文太さんなんですよね。
さて、このシーンを見るたびに苦しいまでの寂しさと切なさを感じてしまう津軽山野。
帰りの電車がないことも顧みず、先へ進もうとする千尋の強さ。
インディージョーンズがするような大冒険の荒々しさは無く、ただひたすら暮れていく陽を眺めながら電車に揺られる孤独のはりつめた美しさ。

海に浸かった町や駅が一瞬の間に映りますが、乗客同士の交流はありません。泥濘ともいえる時間の中、千尋はただひとつの目的地、沼の底という駅へ向かうのです。

https://www.ghibli.jp

この、海原電鉄!
多くの日本人のDNAに刻まれているといっても過言ではない原風景。
かの米津玄師さんもラジオ(※ジブリ汗まみれ)で
「なんて美しいシーンなんだ」と語っています。

美しいね。そして悲しい。

前置きが長くなりましたが、そんなあのシーンを彷彿とさせるような海岸。それが、東北地方秋田県にあります。

その名は、鵜崎海岸。

男鹿半島の南部に位置するおよそ1.5キロの海岸線。広大な日本海を臨む絶景スポットです。

どこまでも続く、愛しい遠浅の海。

今にも、あの電車が通るのではないか。
このまま歩き続ければ、あのホームに辿り着けるのではないか。
そんなことを本気で思ってしまうくらいの美しさです。

遠くに風車が並んでいるのが見える。左奥、ほぼ白い点々ですが......。

干潮時は200m先まで歩いて行けるそうです。
が、岩がゴツゴツしてるので注意が必要。
長靴で、かつ、干潮時の天気の良い日に思う存分楽しんでください。
怪我のないよう。良い旅を。

あの山は。

天気の良い日はこんな風景も見ることができます。写真だと分かりづらいでしょうか?
写真中央、まるで海に浮かんでいるようにも見えます。アルプスの蜃気楼かしら。

いいえ、この山は、
東北第二の標高を誇る『鳥海山』
5月末でもまだその峰には雪が残ります。
名前は安倍宗任に由来するとか。

半島の南部からこそ見れる景色ですね。

圧倒的な青

海岸の干潮満潮情報については、こちらをサイトを参考にどうぞ。

あの日の千尋みたいに、靴を両手に持って、海を進む。そんなジブリファンの夢がもしかしたら叶う場所かもしれません。
秋田のウユニ塩湖とも呼ばれ、SNSでも話題になっているそう。昼間の青も美しいですが、日没時は一変し、斜陽の橙色に染まるとか。

ここで、アクセスについても紹介しましょう。

東京方面より車で向かうという勇者たるあなたへ。
まずは東北自動車道をひたすら北上してください。あなたは大都市東京の摩天楼をくぐり抜け、ゆっくりと自然へ帰るようなドライブとなるでしょう。さぁ、奥州みちのくへようこそ。岩手県の北上JCTから秋田自動車道へ移り、その後は横手・秋田方面の標識に従ってひたすら進みます。長い道のりの果て、昭和男鹿半島IC出口から高速を降りてもまだまだ道は続きます。国道をずっと進んでください。
所要時間はおよそ8時間。もしも夜中に出発したのなら、あなたはきっと今、洗い立ての太陽に焼かれながらその海岸線に立っているでしょう。

公共交通機関を使用する方へ。
まずは秋田新幹線で秋田駅までいらしてください。そのあと秋田駅で奥羽本線に乗り換え、男鹿駅に向かいます。男鹿駅からは男鹿市バスに乗り、水産振興センター前で下車。徒歩4分ほどで鵜ノ崎海岸に着きます。
こちらの所要時間はおよそ13時間。
日帰りは無理です。ぜひ秋田で宿を取って疲れた体を労ってください。

鏡のように空を写し出す海岸で、使い終わった電車の切符を栞に、読書しながら友人たちと語り合う。
それは確かに天国のワンシーンにふさわしいのではないでしょうか。

日本一美しい村にある最後の秘境

白い砂浜。
青い空。
どこまでも続く海。
それが多くの人が想像する楽園ではないでしょうか。

そんな楽園とはかけ離れた、
でもここがきっと死後辿り着く彼岸なのだ。
と、実感を得るような美しい海が、青森県下北半島の端っこにあります。

その名は仏ヶ浦。

死んだら穏やかな遊覧船に乗ってここに辿り着く

白亜の奇岩。
エメラルドグリーンの海。
灯台もなく、ハイウェイもない。
椰子の木だって生えてないし、健康的な小麦色の肌をしたサーファーもいない。
ただただ、どこまでも静かで透明な海。

人魚が笑いかけてくる夢を見る

あまりにも美しい風景を見た時、人はある種慄然とした気持ちになるのかもしれません。
神聖化されたような地名も、もはや人々の畏れの裏返しなのではないか。そんなことを思い、言葉を失うくらい美しい海を私は他に知りません。

如来の首、五百羅漢、一ツ仏、屏風岩、天龍岩、蓮華岩、双鶏門、帆掛岩、極楽浜。
全てこの仏ヶ浦の奇岩や風景に付けられた名前です。

如来の首

神様が手遊びで積み上げたような巨石。

この仏ヶ浦は、およそ2000万年前に発生した海底火山の活動によるものと考えられています。
途方もない時間ですね。私の人生なんて地球のまばたきにも満たない。

積雪のあるシーズンは通行ができません。
それ以外のシーズンは遊覧船が定期的に出ています。佐井地区から1時間30分ほど波に揺られます。

もちろん車でも大丈夫。
誰と会おうともせず、ただひたすら山の細い蛇行した道を睨みつけるようにして走るあなたへ。
その道中については、別のnoteに記録したので、もしよろしければご参考までにどうぞ。

下北半島は、仏ヶ浦以外にも魅力に満ち溢れた海岸がたくさんあります。

海峡を照らす希望の煇

荒涼とした黄金色の草原と、黒々とした厳しい海岸線を臨む白亜の灯台が聳え立つ尻屋崎。かつて、多くの船が座礁し、船の墓場とさえ呼ばれました。

知っているか。
海峡に降り注ぐ雨は夕陽に染まって赤く光るのだ。

これより先に道はなく、ただ凪いだような海峡が続く大間崎。悪天時にはまるきり別の顔を見せ、おのれ人間どもよ、とでも言うように壁のような波が遠くから押し寄せます。それでも海峡の夕陽は美しく、あなたの瞳を赤く染めるでしょう。

https://www.ghibli.jp/works/porco/

下北半島を走る時、私と友人が必ず車で流す曲があります。加藤登紀子さんが作詞作曲した「時には昔の話を」紅の豚のエンディングとして有名です。

空気が冷たく全てが透き通る11月、
紅葉も終わりを告げたころにこの曲を流しながら、ぜひ良い旅を。

夜明けを見に行こう。可能ならA列車で。

さて、本日紹介する海はこちらで最後です。
「浄土ヶ浜」
その名に込められた意味とは一体なんでしょう。
そしてこの海岸を祈る人々は。

浄土と呼ばれる海とは。

浄土ヶ浜は岩手県宮古市にある海岸です。
震災後は三陸復興国立公園に指定されました。

岩手県民なら一度は訪れたことがあるはず。
夏は子供連れの家族で賑わう海水浴場となります。

小石が波に押し流されてからんからんと音を立てる

地名の由来は、天和年間に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖が、「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことから名付けられたと言われています。
天和年間とは1681年から1684年までを指します。この時代の江戸幕府将軍は徳川綱吉。綱吉公在任中に勃発したのが有名な赤穂事件。
ちなみに霊鏡竜湖とは天和元年から享保12年に存在した僧侶です。

その美しさは、岩手を代表する文学人宮沢賢治も詩にするほどです。
太宰治や夏目漱石、松尾芭蕉にもぜひ見て欲しかった、あまりにも浮世離れした風景。彼らはもしこの海を見たならなんと表現したのでしょう。

私は友人と二人で、この海が迎える夜明けを見に行きました。

県庁所在地である盛岡から車でおよそ2時間。
宮古の町を抜け、山を上り、そして下り、薄闇の中、うっすら見える水平線を時折確認しながら向かいました。

靴音が響くトンネル
小さく、遠く、それでも地を照らす太陽

海岸に着いたのは、およそ午前4時。
我々の他には人っ子一人おらず、まだ鳥も鳴きません。ひたすら静かに打ち寄せる波とゆっくりと赤く染まる東の空。

これだけ静かで穏やかな海が、およそ10年前に街を飲み込み、人々を絶望へ追い遣ったなんて信じられない。ここ、浄土ヶ浜も東日本大震災により被災し、レストハウスは2階まで浸水したそう。
橋桁は落ち、手摺はものすごい力で折れ曲がり、多くを飲みさって、波は去りました。

ただただどこまでも透き通る

現在は整備が行き届き、震災の面影はあまりありません。夏には多くの笑い声が岩山に反響します。

この地は、今からおよそ5200万年前の古第三紀に形成されたといわれています。火山岩からできた白い岩と小石によって入り江が作られているため、外海から隔てられていおり波もおだやかなんだとか。海岸の岩場には発達中のタフォニ(Tafoni)を見ることもできます。

また、さっぱ船に乗って幻想的な青の洞窟にも、運が良ければ入れるかもしれません。こればかりはあなたの運次第。

太古の海岸で、静かな波に足を浸して、ぼんやりと水平線を眺めてみてください。そして目を瞑って、大きく息をして。

美しさを閉じ込めた水面

そこにあなたの天国があります。きっとね。

終わりに

いかがでしたか?
私の選んだ「死後辿り着きたい海」たち。
あなたにも辿り着きたいと思っていただけましたでしょうか?
是非、ご存命中に、行ってみてください。
様々な青を、風の音を感じて、そして他の海にも足を運んで、あなたの大好きな海を私に教えてください。

余談になりますが、
私は映画の中の海も大好きなのですが、
○君の名前で僕を呼んで
○揺れる人魚
○エボリューション
○裁かれるは善人のみ
○武曲
○ブルーマインド
○WAVES
この辺りの映画もぜひ見てほしい。
あなたのお気に入りの海が見つかるかもしれません。

さて、長々とした記事になってしまいました。
ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。また次の記事でお会いしましょう。

あなたの旅路に現れる素敵な海が、祝福の光に照らされていますように。

津軽山野でした。
日々に絶望せずに、元気で行こう。

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