あなたの肩に落ちた真昼の木漏れ日よ。あなたと語りたい海について。
こんにちは、津軽山野です。
怪物のような入道雲を目指して、炎天下の農道を駆けてゆく子供たちを横目で眺めながら、この夏の終わりをすでに感じる今日この頃ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私が住む北東北の山村もこれまでにない暑さで、アスファルトには陽炎が立ち上っています。
しかし、お盆が終わればあっという間に寒くなるこの町にとって、瞬きのように終わってしまう夏。
私がまだ幼い頃、父が初めて買ってくれたビデオテープがありました。
(まだビデオテープが全盛期だったあの頃!)
それは、「千と千尋の神隠し」と「となりのトトロ」
何度も何度も、テープが擦り切れるくらい見返して、今でもセリフを空で言えるくらい大好きな映画です。
特に千と千尋の神隠しに出てくるあの海は私にとってディズニーランドよりも夢の国で、
リンの「雨が降りゃ海くらいできるよ」
という言葉に憧れていた幼少期。
何より、寒い寒い内陸の町で育った私にとって海は特別な場所だったのです。
ちなみに千と千尋の神隠しといえば思い出すのはあの切ないメロディですが、その歌詞を知っていますか?
曲名は「いのちの名前」
イヤフォンでこの曲を聴きながら瞼を閉じると、
様々な “あの夏の日”を思い出します。
そして本記事では、
そんな夏の日にぜひ訪れてほしい、
私のおすすめの海について紹介します。
(またこちらの記事は以前紹介した、
「死後にたどり着きたい海」の番外編。
前記事はこちらから⇩)
荒野の寒立馬は芝を駆けるサラブレッドの夢を見るか
本州最北の半島、青森県下北半島。
そのさらに果てにあなたは降り立ったことがあるだろうか。
そう、あの斧の刃部分。
陸地はそこで途絶え、海を渡るとその先は北海道。
下北半島へ向かうにはかなりの時間が必要。
距離があるのはもちろんですが、新幹線や高速道路は通っていません。
車で行くなら東北自動車道を八戸あたりで降りることになるでしょう。あとはひたすら下道で北へ北へと進みます。三沢の果てしない農道や、六ヶ所村の不思議な湖沼群を過ぎて、さらに北へ。
私は二度、その地を訪れましたが、その風景は今も目を瞑れば思い出せるほど美しく、しかし、あまりにも遠い場所でした。
海に向かうその道中でさえ、どこか違う世界のような風景。
その場所の名は、尻屋崎。
荒涼とした風が吹き、ダークブルーの海はどこか人の心の奥底を震わせるほどの恐ろしさをもって岩場の海岸を打ち付けます。
道のほかに民家は無く、ただただ空と海がどこまでも続く、そんな海岸にぽつんと立つ白亜の灯台。
灯台は触れるとひんやり冷たく、胎内の螺旋階段を上ると、ちょうど閃光レンズのあたりから地上を見下ろすことができます。
(見下ろす海の、その青さよ!)
見渡す津軽海峡のこの海岸線は岩場が多く、かつて多くの船が座礁したことから「船の墓場」と呼ばれました。
船乗りたちにとって、荒れ狂う海で見るこの光は希望そのものだったのではないでしょうか。
草原では大きな寒立馬が何頭かまとまって草を食んでいて、その鬣は強い風になびいていました。
素朴で頑強な馬たちと厳しい海を眺めていた時、
一緒に訪れた友人に
「中山のサラブレッドとここの寒立馬、どっちが幸せだと思う?」
と尋ねると、友人は少し考えたあと、
「幸せかどうかは分からないけど、私は寒立馬になりたい」と。
私も、と笑いながら、ふと、もし寒立馬が中山を走るサラブレッドを見たとしたらその姿に憧れるのだろうか、と思いました。
そしてサラブレッドはこの荒野で何者にも縛られず走る寒立馬の姿を見たら羨むだろうか。
互いが互いの美しさに惹かれたとしても、己の美しさには気付かずにいるのではないだろうか。
いささか感傷的になりすぎる。
でも今まで考えたことがないようなことですら、静かに思いを馳せるほど、この場所は波と風の音しかありません。None but air.
誰のものにもならない、愛しの最果て。
もし私がこの此岸に別れを告げて彼岸の旅路を歩く時、きっと、その時はこの灯台の光が行先を照らしてくれるはずだと、なぜかそう思うのです。
ここより先に道はなく、それでも鳥たちは羽ばたく
尻屋崎に行ったのならば、絶対に寄ってほしい。
いいえ、下北半島に来たのならば、ここを訪れずに帰れるでしょうか。
本州最北端、大間崎。
マグロ漁師たちの町として有名です。
津軽海峡の荒波を超えて、海へくり出す強者たちの町。
尻屋崎から車でおよそ1時間。
海抜0メートルの驚くほど海に近い道を走り抜け、
サッパ船や舟屋を横目に漁師町を進みます。
訪れる時期と時間帯によっては、海峡に漁火が見えることがあります。夜、黒々とした海原に夜光虫のように輝く光。それはとても幻想的で、人工物による風景とは思えません。空の星が間違って海に落ちてしまったような、そんな美しさです。
私が大間崎を訪れたのは初秋の日の午後4時半。
ちょうど海の向こうに日が沈み、家々に灯りがつき始めるころでした。
こんなにも、赤く燃えるのか。
夕暮れというものはこんなにも美しいのか。
誇張なしで、これほど美しい夕焼けを見たのは初めてでした。
海の向こうには少しだけ雨雲がかかり、海の上に雨粒を落としているようでしたが、あまりに強い夕日の朱色は、そんな雨粒さえも赤く染め上げていました。
この世に果てがあるとして、それがもしこんなに綺麗な夕陽を眺めることができる海岸線なら、それは幸せなことなのかもしれない。
ここから先へどうしても行けないとしても。
いや、それでも人はここを飛び出そうとするのだろう。
一層強い風が吹いて、思わず空を見上げると、
ただ水平線を見つめるだけしかできない我々の頭上を、自由さと孤独を纏った鳥が笑うように羽ばたいていきました。
ここでさよならを言い、またここで会おう
北海道まで旅をするなら、あなたはどのルートを選びますか?
成田空港から新千歳空港へ、
新幹線で青函トンネルを抜けて函館へ、
それとも新日本海フェリーで小樽まで?
私が初めて北海道の土を踏んだのは、大学3年の冬の終わりでした。北海道の大学へ進学した友人が春休みを利用して案内してくれたのです。
そう、フェリーに乗って。
八戸港より夜10時発のシルバーフェリー。
早朝に苫小牧港に着き、息も凍るような北海道の冬に驚いたことを今でも覚えています。
そして友人と2人で、出港前の八戸港ではしゃいだあの日のことも。
フェリー乗り場のある八戸港には砂浜はありません。東北有数の臨海工業地帯の八戸港周辺はかつて岩手県にあった松尾鉱山より運び出された硫黄の積出港として戦後の復興を遂げました。
パリッとした空気の中、周囲の工場群から白い煙が立ち上っています。そして海に続く巨大な桟橋には無骨なクレーンや名前の分からない機械が、一日の仕事を終え、静かに眠っているようでした。
思い返せば、工業地帯や工場夜景に惹かれ始めたきっかけとなった日。
冬の港の風は信じられないほど冷たく、体の芯を凍りつかせるようでした。それでも歩き回ることをやめられなかったのは、やはり、近代工業技術が意図せず生み出したこの風景の魅力に当てられたからに他なりません。
人の力の強さと、全てを変えてしまう恐ろしさよ。
一日は我々を慮ることなく暮れてゆきますが、その暮れていく日が沈む海のどこかから大きな船が現れては去り、現れては去り、そして私たちが乗るフェリーがようやく着港したのです。
フェリーに乗り込んだ時にはすでに外は真っ暗で、船内をうろうろと探索した後、デッキへ出るとびゅうびゅうと凍てつく風が吹きつけていました。
今この瞬間、
私がこの冷たい北風に吹かれている瞬間、
京都の祇園四条はびっくりするくらい混んでいて、
福井の永平寺では厳しい修行が続いていて、
沖縄の首里城はそこにあり続けていて、
そんなことが現実と思えないほど、
この世界の今すべての場所で、この冷たい北風が吹いているんじゃないか、そう思うほどデッキから見る海は広く、果てしなく感じました。
ここで別れを告げ、ここでまた再会しよう。
優しく打ち寄せる波に足を浸す場所は無いけれど、この港で、立ち上る工場からの煙をぼんやりと眺めながら、誰かと会うのをひたすらに待ってみるのも悪くないのかもしれない。
小学生のあの日の記憶の中の海
ここまで紹介した海はどこも荒々しく、
もしくは寂しく、砂浜は無く、あなたの想像する海のイメージとはかけ離れたものかもしれませんね。
では、あなたの知っている海は、
目を閉じれば浮かんでくるその風景は、どんな場所でしょうか。
由比ヶ浜、宮古島、瀬戸内、江ノ島、伊根町、能登半島、熱海、長崎......
私が目を閉じて思い出すのは、小学生のあの夏の日の記憶に混ざったどこか空想が混じった広い広い砂浜の海。
無垢な瞳から見つめたフィルター越しの青い海。
そんな海と現実に出会ったのは、つい最近のことでした。
岩手県普代村の普代村園地キラウミ。
リアス海岸の三陸では珍しい、広い砂浜。
駐車場に車を停めると、あまりにも広い砂浜の向こうに見えるグラッシー。
はしゃいだ友人が膝まで濡らしながら、
まばらに落ちているシーグラスを拾って
これでピアスを作ってあげる、と言いました。
また別の日、夜明けを見にこの場所へ訪れると、
朝方特有の、マジックアワーとはまた違った柔らかい金色の光が満ち、砂浜に残った私と友人だけの足跡を優しく照らしていました。
この時間が永遠に続けばいい。
永遠に午前5時17分のままで。
映画アンモナイトの目覚めに出てくるような、美しいけれども轟き割れる海は物語の風景のようで、あの主人公たちのように、時折、化石を掘り出してはパンを千切って食べて、遠くを眺めて、世の雑音や街の喧騒から離れていたい。
そして、同じく広い砂浜の海岸で、私の記憶に強く残っているのは、秋田県桂浜海水浴場。
広い砂浜を真上から照らす夏の光。
ひどく眩しくてサングラスをかけて、砂浜に座り込み、海で泳ぐ人々をぼんやりと見つめました。
遠くには大きな風車群が見えます。この風車は日本海側から吹く季節風を利用して発電しています。
ですが、私が訪れた日は不思議と風は静かで、時折汗ばんだ額を撫でていくだけでした。
秋田市から車で10分ほど。
はまなすロードと呼ばれるバイパスを進めば、あっという間に着いてしまう、まるで天国のような海。
砂浜に座って、パラソルを差して、
その下で本を読んで、たまに昼寝をして。
そんな夢見たいな時間をここでは過ごすと、私の大好きな映画「Call me by your name」を思い出します。
ひと夏の出会いと別れ。
あなたの海を教えて、その浜辺で
さて、長々と語ってしまいましたが、
いかがでしたでしょうか?
行ってみたいと思える海は見つかりましたか?
この記事で紹介しきれなかった海ももちろんたくさんあります。
そして、私が知らない海はもっとたくさん。
いつか、この記事を読んでくれたあなたの海を教えてください。あなたが瞼を閉じるとその場所に帰れるような、そんな海を。
それは、
ロウソクのような灯台がひとつポツンとある海。
鏡のような遠浅が続く海。
電信柱が沈む幻想的な海。
見上げるほどの断崖から臨む海。
空との境界が淡く霞む海。
その海を眺めるあなたの肩に落ちた木漏れ日の美しさを、きっとあなたは知らないままだとしても、この夏の日はあなたの中で続いていくから。
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