君の法律、私の法律|アメリカの日常エッセイ#04
先日、レンタカーを借りると、
「禁煙」マークの隣に
「禁大麻」マークがあった。
大麻が合法な州がある、アメリカならではの光景に、思わず写真を撮った。
アメリカに来て、
法律の違いに驚いたことを、もう一つ。
アメリカでは、公の場でお酒を飲むことが禁止されている。
(おそらく、ほとんどの州がそうなはず)
だから、ビーチでお酒を飲むことも出来ないし、
お花見のようなことも出来ない。
それぞれの国に、
国ごとの違ったルールが存在する。
だから、同じ行動でも、
こちらの国では何の問題もないけれど、
あちらの国では犯罪になったりする。
私は、これと同じことが、
個人単位にも言えると思っている。
国ごとに違う法律が存在するように、
私たちひとりひとりも、それぞれに違った法律(ルール)を持って生きているように思う。
一人の人を、一つの国家のように見立てると、わかりやすい。
例えば、
私は、誰かに遅刻されてもさほど気にならないけれど、私の友人の一人は、遅刻されることをひどく嫌う。
私という人間の法律には触れないことだけど、
彼女という人間の法律にとっては、法に触れるほど一大事ということなのだと思う。
他にも、
スーパーマーケットで犬を連れて買い物をしている人を見ると、夫は憤慨しているが、私にとっては全く問題ないことだったり、
無愛想な接客態度の人を見ると、不快に思う私の隣で、夫はまったく気にしていなかったり、
それぞれの人が持つ自分の法律によって、
問題になることは変わってくる。
なんでこんなことで怒るんだ?
とか、
こうすべきじゃない?
とか、
誰かと行き違いが生じても、
お互いを一つの国家のように見ることができると、
どっちが、良い悪いではなく、
お互いの国の法律(ルール)が、
「ただ違うだけ」なんだと気づく。
すると、誰のことも否定せずに、
押し付け合わずに、
相手のことも、自分のことも、
上手に尊重できるように思う。
それぞれの人の法律(ルール)は、生きてきた過程の中でつくられる。
だから、相手の法律(ルール)を理解しようとすることって、相手の人生や今まで歩んできた道のりを理解することでもある。
それって、ものすごく愛ですよね。
ついつい、自分の法律を押し付けてしまいそうになるけれど、相手の法律を尊重できる愛のある人でいたいなー。
「禁大麻」マークをみつめながら、
そんなことを思ったのでした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡