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あなたの傘になりたかった


傘を広げたのは、
 ぽたぽた、
と雨の音が聞こえたからだ。


五年前の秋雨降る朝に生まれた娘は、とても耳がいい。

雨音がするとすぐに「あめだ!」と言って、窓際に駆け寄り、背伸びをしながら窓枠に手をかけ、好奇心いっぱいに瞳をまんまるにして外を覗いている。

「雨、好きだね。」

そう話しかけると

「うん、ぱちゃぱちゃしたい。カッパきて、ながぐつはいて。」

嬉しそうに笑みをこぼしながら両腕を広げ、ぴちぴちちゃぷちゃぷらんらんらんと鼻歌まじりの即興ダンスを踊りはじめる。

大人になると、雨にまつわる面倒な事柄ばかりが先立って頭に浮かぶようになってしまうけれど、子どもにとっては雨でも晴れでも、それは遊び相手のひとりみたいなものだから、彼女にとっての傘やカッパや長靴だって、遊びを楽しむおもちゃのひとつに過ぎないのだろう。


「おかあさん、かささしたい。」

自由自在に飛び跳ねる手足を一旦止めて、お決まりの流れで、傘を要求される。

「はいはい、ちょっと待ってね。」

水仕事で濡れた手をタオルで拭きながら、玄関先へ向かい、触れるとカサカサと音をたてるナイロン素材のそれを、娘にハイ、と手渡す。

動物のイラストが描かれたピンク色した小さめのそれを嬉しそうに広げながら、娘はたずねてくる。

「かわいいね、このかさ。にあってるかなぁ?」

「うん、似合ってるよ。」

すると満足そうに、傘の柄をクルクルッと回しながら、あめあめふれふれと口ずさみ、お気に入りの水色のワンピースのすそを翻して、ふたたび踊りはじめる。

そのまま、台所まで駆け寄ってくると、甘えるようにこっちを見上げながら、おずおずと遠慮がちにこう言った。

「ベランダ、でてもいい?」

「いいよ。じゃあ玄関から、長靴も持っといで。」

「はーい!やったー!じゃあもってくるね。」

一目散にその場から駆け出し、赤くて艶々のコロンとしたそれを抱えて、息を弾ませながら戻ってくる。


ベランダの扉を開けて、外に出ると、

「あめでぬれちゃうから、まどしめとくね。」

そう言って、無邪気に向こう側の世界へと旅立っていく。

ピンクと水色と赤がガラス越しにぴょんぴょんと跳ねるさまをぼんやりと眺めながら、娘の精一杯の優しさに家事で疲れた身体を預けて、ソファーに横になる。

目を閉じると、全身の力が抜けて、雨音が胸のリズムに重なるように溶け込んでくる。


「雨か…。」


いつかのワンシーンが脳裏に蘇る。

母がいつも大切にしていた、絵画のように美しい花柄がプリントされたスラリとした傘。

決まって雨の日には、いつもその花の下で、満足そうな表情を浮かべていた母。

そんな宝物のような傘を、母が留守のときにこっそり開いては、秘密基地のように隠れて遊んでいた夜。

帰宅するなり、大事なものなんだから勝手に触らないで、とまくしたてるように叱られたこと。

訳もわからず、そこはかとない悲しみがこみ上げてきて、ありったけの声で泣き喚いた幼き日の思い出。


あぁ、わたしは、母の傘になりたかったんだなぁと、自分が母になり娘を持った今になって、ようやく気が付く。

美しくて、鮮やかで、思わず見惚れてしまうその傘のように、わたしのこと、もっと見ていて欲しかったんだな。

あの傘に負けないくらい、母の大切なものになりたかったんだな。  


ふいにザーッとリズムが変わったような音が聴こえる。少し雨足が強くなったようだ。

ベランダの向こうでは、小さなシルエットが、そんなこと気にも留めないまま、まるで雨の精にでもなったかのように、滴と手を取り合い踊り歌っている。


泣き喚くあの日のわたしが、あの時の涙が、目の前に降り注いでいるような錯覚に陥りそうになりながら、あの夜、生まれて初めて母にぶつけた反撃の言葉が、今、痛いくらい耳の奥にこだまする。



「あの傘、返さないから。絶対に。」






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(完)


こちらの企画に参加しています✨


雨が好きです。

フォロワーさんがこの企画に参加された記事の投稿を拝見し、企画を知りました。

今日、ちょうど雨だったので、なんとなく引っ張られるようにして、描いてみました。

エッセイや詩ばかり描いてきたので、初めて、完全な小説(のつもり)として投稿する作品になります。

感想など頂けると、飛び跳ねてよろこびます!

美しい傘のイメージを再現したかったサムネ画像作りが、とても楽しかったです ❤︎

お読みいただき、ありがとうございました✨




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