見出し画像

より良き未来へ

俺への、注意喚起である。

過去の俺は、そのことに気付かず配慮に欠けていた。
分断の手先になろうが、正しいことをするべきだと思っていた。

だが全てに気が付いた時、誰かにいいねしたとしても自ら発信することは極力辞めることにした。

以下、その気付き

実現出来ない考えなら、良心だとしても偽善でしかないのだ。
人任せの偽善(解決出来ないこと)は、正義とは言えない。

結局、どこかの誰かがやろうとしているチップ埋め込んで全員コントロールするのと似てる。
一緒になって分断の極に君臨し、暗に対立を深め洗脳に加担しているようなものだ。

そういう陰謀に気付いた。
その気付きは、良いことだとも言えるが、無駄だとも言える。
全員を目覚めさせても解決出来る訳ではない。
それほど、このシステムは強大だ。

なら、どうするべきなのか?

簡単なことだ。
目を逸らされていて、皆が気付くことは難しい。
それを実行することは更に難しい。

その答えが知れ渡れば、封じる策を張り巡らせる。
いや、すでにそうなっていて口にする人間は、いつの間にか葬られているではないか。

逆を言えば、封じられない人は、許されていると言えるのである。

そこに、気付いている人は少ない。

攻める方も、境界線を越えていないのだ。
だから、両者での茶番になる訳だ。
そういう風にしているのだ。

そんな世の中ででも、考えた良いことをするのは素晴らしいことだ。
その実行は、尊敬に値する。

しかし、誰にでも出来る訳ではない。
だから、その考えを出来ない人に押し付けてはいけない。
押し付けた時点で偽善者となる。
他人の人生の全ての責任を取れるか考えてから押し付けるべきだろう。

この世の偽善と茶番に講ずる策は、一点しかない。
たった1人でも推し進め、何十年なのか何百年なのか分からないが、誰かに繋いでゆくだけである。

見ることは出来ないと分かっていても、今とは違う世界のために。