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娘を連れ出すことをあきらめたくない

先月の雨の日、娘を抱っこしながら外へ連れだして、玄関先の階段で滑って転びそうになった。

もしも本当に転んでいたら、娘を骨折させていたかもしれない。

自分も大けがをしていたかもしれない。


転んだまま起き上がれなくなれば、昼間は近所に誰もいないのに、どうやって助けを呼べばいいんだろう。

ぞっとした。


そろそろ限界かな、と本気で思った。
夫には、

「もう、行くな。雨の日は、頼むから連れ出すな。何かあってもすぐに助けてやれないし、お前や娘が骨折でもしたら、大変なことになるやろ?」

と、いつもの冗談無しで、真剣な顔で言われた。
娘のことになると、夫は、怖いほどに冷静な意見を言う。

「施設に連れて行くのも、お前がそろそろ限界じゃないのか?」

それは、自分も少し感じ始めている。

でも、違う違う、と思い直す。
これは雨のせい。

傘をさして抱っこすることは、普段の3割増に難しい。
手が3本欲しくなる。

お天気なら、まだまだ行ける。
まだまだ、私はあきらめたくない。



*****

我が家は、玄関を出てから駐車場まで、階段が12段ある。
山を削って造られた団地なので、ご近所もみんな、家が道路よりも高台に建っていて、駐車場から家の玄関までの間には何段もの階段がある。

宅配屋さん泣かせの団地だ。

リビングの窓際に置かれたベッドから娘を抱きあげ、玄関を出て階段を降り、車の助手席に娘を乗せる。

数えてみたら、48歩。

かなり長い時間、娘を抱き続けることになる。

自分では見えない後ろ姿ですが、こんな感じです。




娘は約30kg、なかなかのふくよかぽっちゃりさん。
気管切開をしていて、さらに全身が脱力しているので、抱っこにも神経をつかう。


寝転んだ姿勢で助手席に娘を乗せるのだが、背中や足にクッションをいくつも入れて、呼吸器をつけて…という、安全な状態へのセッティングにも時間がかかる。

助手席に寝転んで乗る娘。
自分のお気に入りポーチは、自分で持ってます(笑)
着ぐるみさんの可愛いオニオン坊やポーチで、外出の気分は爆上がり!


助手席をこの状態にして娘を乗せます。クッションは背中や足の下などにぜんぶ使います。


足元の空間は、夫が台を作ってくれました。


すべてのセッティングが終了した時には、私の腕も肩もパンパン、腰はジンジンになっている。



さらに、娘の外出には、たくさんのグッズが一緒に移動する。

人工呼吸器、痰の吸引器、パルスオキシメーター(酸素飽和濃度を測る機械)など、持ち物の運び出しだけでも、家から車へ2回は往復しなくてはならない。

左奥がかばん、右奥は吸引器、その上にマスクの入った大事なポーチ、
手前左から加湿器、人工呼吸器、バルスオキシメーター、


小さな頃は娘も軽くて、荷物も今よりはずっと少なかった。
娘を既製品のカーシートにちょこんと座らせることもできた。
自分も若くて、外出は楽勝だった。

しかし年々、娘の体重も増え、荷物も増え、私も歳を重ねて、踏ん張りが効かなくなってきた。



庭の介護リフォームも考えたことはある。
でも勾配が急な階段なので、スロープを造るとなると、庭をすべてスロープにするくらいの大工事になってしまい、それは資金的にもかなり厳しい。

しかも、車椅子のまま玄関から娘を出そうとすれば、車椅子ごと娘を乗せられるような大きな福祉車両が必要だ。
考えただけでも困難がいっぱいで、無理かなぁと思えてくる。

医療的ケアが必要なので、施設の送迎はお願いできない。
親が連れ出すしかないのだ。

重度な子ほど、親の出番は多くなる。
特別支援学校時代も、そうだった。


「ヘルパーさんに送り出す時のお手伝いを依頼してはどうか」とアドバイスされたこともある。
しかし、出かける予定をしていても、実際には、痙攣発作が起きたり、睡眠障害で徹夜をしたり、呼吸状態が悪かったりして、行けるかどうかはギリギリまでわからない。

だから朝からヘルパーさんに来ていただくことに、私の気持ちが疲れそうな気がする。


もちろん、任せるのが下手な私の性格が、自分の首を絞めているのはよくわかっている。
でも、任せるより自分のペースでやる方が楽だと思うのは、私の仲間のママたちの本音でもある。


娘の外出を楽にする方法が見つからないまま、その日の無事を祈るような気持ちで、懸命に娘を連れて行く。
いまのところ、私にできることは、自分がパワフルでいることだ、と思っている。



約7年前、特別支援学校の卒業を目前にした娘は、どこにも通える施設がなかった。

今の施設も、その頃は人工呼吸器が必要な利用者はひとりもいなくて、「娘さんを受け入れることは難しい。看護師が足らないので、これ以上、手がかかる子は受け入れられない。」と断られていた。

「まだ娘を動かせるうちは、あの子を家の中にいるだけの人生にしたくないんです。」

と、必死でお願いをした。


当時の特別支援学校の担任や進路指導の先生、そして、施設に通っている先輩の母親たちが献身的に動いてくださった。

それで娘は、今の施設に通えるようになった。


娘の病気は確実に進行している。
それに伴い、生活介護施設への娘の通所回数はどんどん減っている。
外出後の娘は疲れてしまい、呼吸状態も悪くなり、眠り続けることも多い。

それでもできる限り、行けるときは家から出して、娘の25歳の今を謳歌させたいと思っている。


まだ、25歳。


四六時中、家の中で親のそばにいるだけでは、あまりにもつらすぎる。
まだまだ、親の知らない時間を仲間たちと過ごしたいだろう。

いつか本当に行けなくなる日が来るまでは、1日でもたくさん、娘を家から出してやりたい。



ぼちぼち、ぼちぼち…。
雨降りは、もう、お休みしてもいいかな。

ついついサボりたくなるダメダメな自分に、栄養ドリンクでエネルギーをチャージしながら。

肩や腰に湿布をペタペタ貼りながら。

娘を抱っこするときは、助けを呼ぶためのスマホを必ず持って、転ばないように、一歩一歩慎重に歩こう。



私はまだまだ、娘の力をあきらめない。







最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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