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料理に魅せられた写真家のはなし(第1回/全2回)

※ブログ(NIKOMIST TOKYO) で #ストウブ 愛と、ストウブの素晴らしさを色んな人に伝える記事を書こう!と思い、evernoteに下書きしたり、メモ帳に下書きしたり、色々したけれど、、結局noteのUIの書き心地が一番ということに気づき、、ブログ転記前提でnoteに筆を走らせてみようと思いました。※ブログに書くぞ!よりnoteのほうが数段ハードルを下げてくれる、、おそらく転記の際は文体や記法は変わるとは思いますが、、

「煮込みスト料理家」として活動している今だが、僕はほんの3年前まで、キッチンに立つこともなければ、人に料理を振る舞うなんてことはない人間だった。

そんな僕が、いまや「煮込みスト」として人に料理を振る舞ったり、教えたり、レシピを創作したりして、毎日キッチンに立つようになった。

人生はいつも予想外で、思っても見なかったことに満ちている。

料理との出会いも、ストウブというパートナーとのそのひとつだった。

そんな僕の「料理がライフワークになったきっかけ」を道具や機会とともに振り返ってみたいと思った。※あまり構成とか考えすぎずに書いてみる

前編は、料理を始めたきっかけと、自身にとっての魔法の道具・ストウブとの出会いまで。

1.(〜2016年末までの僕)食事なんて外食かコンビニでいいじゃんって

一人暮らしのワンルームや1Kのキッチンはたいてい一口で、料理をしないぼくは物件選びの際もキッチンを優先することなんてなかった。キッチンは物置と化し、すぐにホコリを被って無用の長物になった。

激安のフライパン1個くらいはあったけれど、カップラーメン用のお湯や即席ラーメンを作るためにしか稼働しない。一人暮らしを始めたのが2000年の大学1年、それ以来、まぁ鍋を作ったり米を炊いたり、くらいはしたけれど、「料理」と名前がつけられるようなものを作ったことはなかった。

本当に料理とか、自炊なんてもののかけらもない生活だった。

2.(2016年12月)料理を作り始めたきっかけ

2016年、離別や絶交、死すら考えた(冗談抜きにかばんにロープが入ってた)数ヶ月の日々・・・それらを生き抜いて、少し大人数のシェアハウスにに引っ越した。なんでそうしたかわからなかったけれど、近くに人がいる環境を求めていたのかもしれない。

シェアハウスのキッチンはIHの2口、それが6台あった。人と暮らしていた頃は3口コンロの家に住んだこともあったが、料理をどうこうしようなんてすることもなかった。一切、興味がなかった。

どん底から這い上がって、やっと正常(今考えるとまだ異常だったけれど)な生活を送れるようになったばかりの自分は、体調も精神もまだ絶不調だった。

「料理を始めたきっかけは?」何度も聞かれるその質問の答えはなんだろう、、といつも振り返ると、このときに青山ファーマーズマーケットと出会ったのがとても大きかったように思う。

「とにかくキッチンもあることだし、調理道具もシェアアイテム揃ってるし、食生活から変えよう」本能的にそう思った僕は、もともとやっていた写真(人物写真専門だったけれど)の感覚で「撮って美しい野菜を買おう」と思ってマーケットを散策した。

そこで出会ったのが「自然農園Tom」さんの彩り豊かな根菜だった。

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その時々で内容は変わるが、最初に買ったのも上記のような、華やかなかぶや大根のセットだったと記憶している。

その野菜を買って、最初に作ったのが確か、根菜のきんぴら炒め。

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ごま油を敷いて、根菜と、ちぎったこんにゃくと、醤油とみりんで味をつけた。これはその時の写真ではないのだけれど(柚子の皮やごまとかもトッピングしているから)、ただ切っていためただけのその料理の華やかさと彩りに、とても救われたことを覚えている。

「自分なんてなんの取り柄もなくて、何も生み出せない人間だ」ととことん思わされた1年だったから、自分で選んだ野菜で、自分で選んだ調味料で、自分で手を動かして完成したその食べ物が、うれしく、愛おしかった。

料理をしている間は、いろんな事を忘れられる。そしてその出来上がった料理を写真に撮ると、自分の根っこにある「フォトグラファー」の血も落ち着けることができる。

本当に、ファーマーズマーケットとTomさんには感謝してもしきれない。

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野菜も、料理も、生産者さんも、本当に僕に優しかった。

思えば、いつも誰かに料理を振る舞うと「優しい味がする」と必ず言われる。

「優しい味」。料理を始めたきっかけが、優しい野菜と、優しい人だったから、原点からブレずに料理を作れているのかもしれない、とも思う。


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tomさん夫妻 2019年夏撮影

思えば、この初期に出会った「果樹園 白雲」の松藤さんも、自身の料理ライフ、可能性を制限せずに生きたいと思うきっかけの人だった。山形に普段いらっしゃるからなかなか会えないけれど、今では兄のように慕っている。

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2018年冬撮影

まだ人生のどん底から戻ってきて、包丁を握り始めたばかりの僕と初対面で松藤さんが言った言葉を今でも覚えている。

「お前は、今の100倍行けるから。さっき会ってすぐわかった。自分に自信持て」

後で人に聞くと、めったなことで人を褒めたり、認めたりしない人だということだった(付き合いを重ねるうちにそれも理解できた)

人との別れもあり、それによって空いたスペースに新たな出会いが入ってくる。

Tomさんや松藤さんとの出会いは、僕にとって人生の節目のような出来事だった。

3.(2017年〜2018年)料理を作り続け、人に振る舞うことが増えた

ただなんとなく包丁を動かすだけ、というのがいやで、単発の料理教室に通い始めた。

和の出汁の教室、カレーの教室、フレンチの教室。

勉強が得意な方ではなかったけれど、料理の勉強となるとスイスイ、スポンジのように自分に吸収されていった。

「楽しいな」「僕は料理が好きだな。かなり好きだ。そうとう。」

思えば、材料を選ぶのも、レシピを考えるのも、準備をするのも、もちろん調理も、後片付けや洗い物も、基本的に億劫に感じたことがない。

「血湧き肉躍る」「夢中で続けられる」ことは、自分の人生においては「写真」くらいしかなかったけれど、その「写真」も、自身の歴史の中ではお金にならず、生業にできず、大金を投資してものにならず、挫折したもの、という立ち位置にあった。

「生計につながらなければ、それは大成ではない」

強く重い、思い込みが確かにあった。

写真なんて、スマートフォンのカメラでも撮れてしまう時代。むしろ、「誰が撮ったか」のほうが大事な時代。技術よりも、内容よりも

「誰がどんな表現をしたか」

に完全にソーシャルシフトしてから、写真で名を挙げたら人生が変わるのでは、、、という思いは薄れていき、弱く縮こまっていっていたことを体感していた。

そんな「懸けるもの」を失っていた僕にとって、生きているうえで欠かすことのない「食」を自分で作り出せるという新たな喜びは、うれしく、大きかった。

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2018年の調理物たちほんの一部。飽きずに毎日なんらか制作

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昆布と鰹節から取る「1.5番だし」2日1回は1リッター、だしを引いていた。

「すぐにそれ自体が収益や成功につながらなくても、日々の食のクオリティを自身でコントロールできて、向上させることができる」

大げさかもしれないが、特に男性にとって料理をするという行為はセラピー効果が高いように思う。

手順を決められる。材料も手段も選べる。成果物が必ず待っている。

自己肯定感(Self Esteem)に繋がる要素にこれほど満ちた行為はない。

しっかり準備したプレゼン、戦略を練り込んだ商談、命運をかけた提案。

ビジネスシーンで味わう緊張感やカタルシスももちろん大切だが、自宅のキッチンの数十分で味わうクリエイティビティの積み重ねほど、身近で面白くてやめられないものはない。

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そういえば料理を作り続けていて、一つ写真との共通点にも気づくことがあった。なぜここまで自身と料理が親和したのだろう、と考えたとき

クリエイティブの構成要素が似ている

ということに気がついたのだ。

写真を撮影するにはカメラとレンズが必要だが、撮影技術(構図や光の扱い方他)は「覚えるしかない」つまり「知識」である。それは歴史であり、頑然たる事実としてそこにある。学び、吸収する以外に方法はない。

これは料理で言うところの「旨味」と共通すると考えた。肉の旨味、昆布の旨味、魚の旨味。あまいやしょっぱいではない、そのもの本来の「旨味」。
これも、「記憶」「歴史」「事実」であり、体感し感じるしかないものである。

では知識や、旨味に乗っかるものはなにか?

それこそが「表現」なのだと思う。

知識・技術を使って、被写体を、写真を、どう表現するか?

食材や出汁の旨味を理解して、そこに塩を何グラム足し、甘みを加えるのか?

双方に共通するもの

「こう表現したい」がなければ、それは完成しない、ということだ。

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なぜこの色か?なぜこの構図か?なぜこの味付けか?なぜ、なぜ、なぜ、、

もう一つ料理によって得た大きな体験は「自らの時間と感性をつぎ込んで出来上がったものを、誰かに五感で味わってもらえる」ということだった。

写真という表現でも、人に見てもらえる機会もあったし、言葉を交わせる機会もあった。

だが、目で楽しみ、耳で音を聞き、口で舌で触り、味わえる「料理」というメディアの双方向性には本当に驚いたし、面白さを感じた。

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シェアハウスのラウンジに友人を招いては、料理を振る舞った。相手を思いメニューを考え、つくり、配膳し、言葉をかわし。。すべてが楽しさと発見に満ちている。それが僕にとっての料理だ。

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出汁を引き続け、野菜を肉を調理しては撮影した。Tomさんの野菜を使った炊き込みご飯を制作したこの頃。肉が赤いので炊飯前のものだ。当時はシェアハウスのホーロー鍋を使っていた。

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僕のレシピと写真を気に入ってくれたTomさんは、僕のレシピをお店に貼ってくれた。料理のきっかけをくれた人がくれた肯定は、たまらなく嬉しかった

料理の楽しさにめざめながら、毎日キッチンに向かいながらも

「でも自分はプロでもなんでもないしな・・」

「飲食業界はレッドオーシャンだし・・」

どこか「食というものを自分の生き方の背骨に置くこと」への遠慮と引け目を感じていた(愉しめばいいだけなのに、まったくもって悪い癖だ)

そんなときだったと思う。

ある日ファーマーズマーケットにいったとき、珍しく山形から来ていた(普段は代理の担当が店をだしている)松藤の兄貴が、ふとぼくに言ったことがあった。

「お前はさ、それだけ繊細な感覚と味覚と、料理や味に対するセンスと愛を持ってるだろ。だからさ、お前はそういうことを仕事にするし、それが生き方になっていくんだよ。だからもっとやれよ。躊躇すんな。」

まったくもってこの人はいつも僕の核心をつく言葉をすっと差し込んでくる。そしてたいていそのパワーある未来の像は、現実のものとなるのである。

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農家のシルエットをした、預言者

料理を、生き方にする。。

それはどういうことだろう?

日々の食事はもちろん作り続けている。
誰かに振る舞う機会もあるが、それは家の中でだけだ。

生き方にするとは・・・?

そうして模索する日々の中、僕は運命の出会いを果たす。

そう。僕を「煮込みスト」に変えてくれた魔法の道具。

ストウブとの出会いである。

(後編へ続く)

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