「自由」でありたいがために、自分自身の「自由」を、いつの間にか塞いでしまっていませんか?

間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。ーガンジー

あなたの人生は、今、自由ですか?
いや、自由だと、感じることができていますか?

あなたは、もしかしたら、あなたの人生の常にそうである「選択」、次の瞬間に関して、
「もし~となってしまったら…」
「これは間違いでは…」
「間違ってはならない」
「この選択ひとつで八方塞がりになるかもしれない」
「正解がわからない」
「ここで間違ったら終わりだ」

…などなどと、心の奥底のどこかで、感じてしまって、いませんか?

実はあなたは、そういう思いを心の奥底で感じてしまっていることによって、つまり自分自身に「間違いを犯す自由」を封じることによって、
「自由」そのものを封じてしまっていませんか。
「自由」の一部が塞がれると、それは自由ではありません。
あなた自身があなたの自由の一部を封じ塞ぐことによって、あなた自身に、「人生の自由」そのものを感じることができなくさせてしまっているかもしれません。

「今」あなたはどちらを選びたいですか、という記事をこの前書きましたが、そもそも、「間違い」などというものはないのです。
あなたの人生の中で。

あなたの人生の中で、あなたが選ぶことなのですから、当然です。

「自分の選ぶものはきっと間違いだらけだ。全部間違いなんだ。間違いかもしれない」
などと、心のどこかで感じていませんか?
だとしたら、あなたのその「魔法陣(セルフトーク)」が、あなた自身の「人生の自由」を奪っているものかもしれません。
あなたは、「自由でありたい」がために、「間違わないように」という架空のルールをいつの間にか自分に課してきてしまったのかも。
自由でありたい、あなた自身の人生の自由のために、「間違い」という概念への恐れや不安などを持ってきた。それは、あなた自身が、それを持つことで自由になることができると、今まで思っていたからです。
しかし同時に、「間違ってはならない、~してはならない」という信念自体も、「自由」を侵害するものです。
「人生の自由」というのは、もっともっと外側で、もっともっとスケールの大きな大きなものなのです。
であれば、それを、解放して、本当の自由を体験してみたくはありませんか?

間違いなどという概念は、社会で人間たちがお互いわかりやすく疎通しやすくするために後から作り出した、顕在意識の概念でしかありません(顕在意識は、何でもかんでも2分化し比較をしないと物事を理解しないという性質があります)。
しかしつまり、「言葉」に過ぎません。
しかも、「あなたの人生」というようなスケールの大きな話の中では、「間違い」などというものはそもそも存在しないのです。
あるのは、あなたが「今」「今」「今」、どうしたいか、どうするか、あなたはこの選択をしてこの次の瞬間が来ることを選びましたか、では次はどうしますか?うん、では次は、どうしますか?
あなたの人生の1秒1秒、すべての瞬間、あるのはそれだけです。


それでももし、
「間違ったらどうしよう…」
「私はどうしたら」

いろいろな思いが渦巻き出して次の一歩がなかなか前に出ない…という人は、いつでもいいのでお気軽に、ぜひ一度お話聴かせてください。
いつでも、あなたの選ぶタイミングに、お手伝いいたします。


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