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「待つ」という行為

僕は待たせる人より待つ人でありたいと
ずっと思って生きています。
過去最長2時間待ちました(笑)

高校時代ですけど・・・バカですね。
もう来ないと99%思っているんですが、
待ってました。それも小雪が舞う冬の日にです。
待ち合わせの場所が喫茶店なら良かったのですが、
駅の近くにそんな気の効くような喫茶店もなく、
駅前にある電話ボックスのそばで待っていました。
ときどき、電話ボックスに入ったりしてね。
そこから、待っている間は人を観察していました。
でも、待つことが苦にはなりませんでした。
もう今日はフラれただろうなと思うよりも、
何かあったのだろうか、事故でなければいいけど、
何てことが頭には浮かぶのです。
結局、2時間待って、僕も帰りました。
不思議なことに、それでも彼女を嫌いになることも
彼女に腹をたてる気持ちも湧いてきませんでした。
本当に好きだったのでしょうね。

今、スマホ時代になって「待つ」という行為も、
そこにある心情も変わってきているでしょう。
すぐの状況は確認できるでしょうから。
でも、待つということに希望をなくしたくはないですね。
「待つ」という行為が物語を生むこともありますから。


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