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世界共通語は、英語でもエスペラント語でもなく Science だ。
Science の美しさは、最もミクロな現象から巨視的な摂理までを、精妙に顕にするところにある。一方で言詞の美しさは、想像を掻き立て、情緒を彫りおこすところにある。そして、理(ことわり)も詩(うた)も、真実を綴るもの。ともに満ちてこそ渾然となる。

だから、真摯に理と向き合うほど詩を求めて、今度は理の内に脳を凝らし、やっぱりまた詩の中に胸を織ってしまう。

数学が森羅万象を記述する言語で、それらを織りなす文法が物理学ならば、化学はそれらを使って、フィクションの物語を創り、ノンフィクションに変えるもの。とすると、化学者は物語を創る人だと思う。

そこには想像力や余白が要る。
どんなに緻密で崇高な論理をかざしても、豊かな感性がなければ、不完全になってしまう。
これは何をするにも共通のこと。

感性から湧き出たものというのは、感動としては残り得るが、論理の産物と比べると言葉として心に残りにくい。
ここは、研究の手を休めて味わった詩を、形にする場所にしようと思う。

時期外れだけれど、上野公園の不忍池と、そこから鉄門に登る途中のお気に入りの場所。加工なし


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