平坂のカフェ 第4部 冬は雪(31)
周囲が騒ついた。
私服を着た人、警察官、警備員、望遠カメラを構えた報道陣など職種構わず、亡霊が現れたかのように私を見る。
無理もない。
どんなに誘われても私は裁判所に足を向けることはなかったのだから。
"鳥頭"の裁判は連日、ニュースのトップに報道されていたらしい。テレビを付ければ、新聞を一面を見れば、ネットを開けば必ず取り上げられていた。
日本少年犯罪史に残る未曾有のシリアルキラー。
それが"鳥頭"らしい。
らしい、と言うのは私はそのニュースを見ていなかった。
トラウマが残っているからでも思い出すのが嫌だからな訳でもない。
単純にそんなニュースを見るくらいなら、裁判所に足を運ぶ時間を作るくらいなら彼の側にいたかったのだ。
そんなことをしている間に彼が目覚めたらどうする?
彼が死んだら・・・どうする?
私は、彼の側を決して離れない。
結婚した時、結ばれた時にそう決めたのだ。
私は、1日の大半を病室にいる。
病室にいて彼の側にいる。
絵も描いてない。
誰かに声を掛けてもらわないと食事もトイレも忘れてしまう。
面会時間になったら病室にやってきて、面会終了時間になると両親に半ば強制的に連れ出されて退室する。自宅に戻ってからもほとんど寝ることはない。もし、寝ている間に彼に何かあったらと思うだけで恐怖した。
だけど私はここにいる。
裁判所に来て"鳥頭"の裁判に出ようとしている。
きっかけは友人からの電話だった。
と、いっても彼女が何かを言った訳ではない。
最近の私の体調や生活について聞かれただけだった。
わたしが絵を描けなくてごめんね、と言うと「気にするな。落ち着いたらまた描けばいい」と言ってくれた。
友人は、純粋に私のことを心配してくれているのだ。
いや、友人だけでなく、両親も、友達も顧問も、みんなが心配してくれていた。
その心配が堪らなく痛かった。
電話を切るとスマホの画面にトピックスの表示が現れる。
もうほとんどスマホなんて見ないからそんな機能があることすら忘れていた。
そして私は、スマホに表示されたトピックスの文章をみて・・震えた。
文章にはこう書かれていた。
『"鳥頭"裁判で供述。殺した理由は「幸せそうにしていてムカついたから」』
幸せそうにしていてムカついたから・・・?
そんな理由で?
そんな理由で彼は刺されたの?
話さなくなったの?
動けなくなったの?
起きなくなったの?
私の名前を呼んでくれなくなったの?
殺意が湧き上がった。
今の今で相手から傷つけられる恐怖しか持ったことがなかった私が相手を傷つけたい、殺したい衝動に駆られて抑えられなくなったのだ。
そして私は、裁判所に来た。
鳥頭を殺すために。
荷物チェックを終えて空いている傍聴席を探していると1人の男性が話しかけてきた。
「貴方もいらしたのですね!」
30代を少し過ぎたくらいだろうか?白髪の混じった髪に温和な顔つき、皺一つないスーツの上からも筋肉質なことが分かるが背は低い。
誰だろう?
私が首を傾げると彼は、慌ててスーツの内ポケットに手を伸ばし、一枚の写真を取り出した。
まるで名刺のように。
私は、ひどい違和感を感じた。
写真に写ってたのは女性とその両手に抱かれた2人の小学生の写真だ。顔もよく似ており、間違いなく親子だろう。
どこかで見たことがある・・・気がする。
写真を見ても反応の薄い私に男は、少し苛立ったようだ。
「私の妻と子どもですよ」
努めて冷静さを装っているが声の奥にある怒りは全て抑えきれていない。
元々が短気な質なのだろう。
以前ならそんな機微な感情にも臆していたが今の私には何も感じなかった。
しかし、次に男が発した言葉に私は強い怒りを感じた。
「貴方のご主人と一緒で"鳥頭"に殺されました」
殺された?
一緒?
何が?
彼は、まだ懸命に生きてるのに?
気がついたら私は、男の顔を睨んでいた。
男の表情が青ざめる。
微かだがスーツの端が震えている。
「夫は、生きてます。勝手に殺さないでください」
自分から発されたとは思えない冷たい声だった。
今の私が絵を描いたら間違いなく真っ黒な木の絵になることだろう。
「し・・・失礼しました」
男は、頭を下げる。
「貴方の気持ちを逆撫でするつもりはなかったのです。同じ被害者遺・・家族として協力していければ・・と」
被害者家族・・・そうだ彼も家族を・・・。
だが、何だろうこの違和感は?
彼は、本当に悲しんでいるのだろうか?
「こちらこそ失礼しました」
私は、深々と頭を下げる。
「いえ、今日が裁判最終日です。どんな結論になろうとも見守っていきましょう」
やはりどこか他人のような物言いに私は、釈然のしないものを感じながらも私は、頭を垂れてその場を離れた。
端の方に席が1つ空いているのを見つけて私はそこに座る。
前面には報道記者と思われる人、裁判のシーンを模写しようと準備をしている人、先ほどの小柄な男が遺影を持って陣取っていた。
彼は、どう言う訳か有名らしく何人もの記者たちから話しかけられていた。
それ以外にも被告人席の近くに見覚えのある中年の男性が座っている。
"鳥頭"の父親だ。
事件の起きた1ヶ月後くらいに病室に訪ねてきて土下座してひたすらに謝ってきたのを覚えている。
その時、私はそんな謝罪などどうでもよかったのでうちの両親と義両親が対応した。
両親と義両親は、耳を塞ぎたくなるやうな声を上げて父親を非難した。義父に関しては父親を何発か殴っていたと思う。
それでも父親は、謝り続けた。
今にして思うと先程、私に話しかけてきた男よりもよっぽど父親らしく感じた。
父親は、頭に包帯を巻き、頬に白いガーゼを当てている。恐らく家族から暴行を受けたものなのだろう。
彼は、今も謝り続けているのだ。
息子の為に。
もう一つ違和感のある人物が座っていた。
傍聴席の一番端の1番上、白い帽子を目深に被り、藍色のワンピースを着た、この場には不似合いな服装を着た女性。
彼女は、ぴくりとも動かず、背筋を伸ばしたまま正面を向いていた。
彼女も被害者家族なのだろうか?
まあ、そんなのはどうでもいい。
私は、鞄を開け、中にある24色の色鉛筆の入ったケースを開ける。
しかし、その中に色鉛筆はない。
あるのは薄い、鉛筆の芯を調整する時に使用している小さな小刀の刃。柄が付いていると入らないので外してしまっていた。
荷物チェックされた時に気づかれるのではないかとヒヤヒヤしたが私の職業と色鉛筆のケースに入っていたこと、そして被害者家族であることが重なってスルーされた。
私は、今日、"鳥頭"を殺す。
正直、非力な私にこんな小刀であいつを殺せるのかなんて分からない。
だが、そんなことは後から考えればいい。
私は、"鳥頭"を殺す。
そして全てを終えて彼と共にずっと一緒にいるのだ。
ずっと、ずっと一緒に。
「待っててね」
私は、病室で眠る彼を思い浮かべ、声を掛けた。
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