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自己矛盾

 好きなものを否定されると腹が立つ。笑われると腹が立つ。冷笑に腹が立つ。色んなものを許そうと努力してみても、冷笑だけは最後まで許せないと思う。全く真剣でないくせに、僕がどれだけの切実さを賭けているか知らないくせに、命がけの切実さを笑う人間に腹が立つ。しかし一方で、僕が他人の何かを否定するとき、そこには一種の自己肯定への衝動が含まれていて、それは紛れもなく冷笑である。僕は何かを否定するとき、それを冷笑している。僕は、自らの冷笑を強く自覚させられる瞬間が、怖い。

 猫ミームが理解できない。動きの滑稽さで笑うこと、あるいは可愛いらしいと思うことを押し付けられているように思えて、不愉快さすら感じる。これから先もその面白さを理解しようとすることは無いだろう。しかし一方で、僕が笑いを取ろうとするとき、あるいは僕が一番ゲラゲラと笑うときは、たいていブラックジョークである。馬鹿にした笑い、不謹慎ネタがこの世で一番面白いと感じる。だけど時々我に返る。少し後ろめたくなる。僕はあまりにも性根が腐りきっている。僕のこうした笑いは誰が見ても当然、ひどい冷笑なのだ。

 見た目が良くないと、他人に認めてもらえない。みんな、自分の見える範囲、分かる範囲でしか判断できないから。「中身が大事だよ」という人は多くいるけれど、そういう人が実際僕の内面をきちんと理解してくれていると感じられることは無い。いつだって誤解されている。あるいは理解しようともされないまま冷笑される。でも、こんなことを言っている僕だって、君だって、結局みんなそうで、みんな外面的に、恣意的に、感情的にしか判断できないのだ。僕らが目にするものなんて詰まる所全部見せかけで、いつだって僕らはその虚像を他人に押し付け、あるいは押し付けられながら生きている。そういった繰り返しが本当にくだらなくて、疲れてしまって、そしてただ君にだけは申し訳なくて、僕はもういっそ一匹狼になろうと、そう決意する。きっと君すらも、視界に入れない方が、僕はお気楽に、幸せに、生きていける。

 見た目の良いものは、それなりの美しさ、僕らの胸を打つほどの美しさを持っている。僕だって美しいものに惹かれるし、自分自身、あるいは自分が作り出せる何かが美しくあってほしいと願う。僕は、君のためだなんて思いあがることも無く、誰よりも、ただ自分の救いのために、自分を磨き上げ、美しい世界を創り続けたいと、そうやって願っていたい。個人的な願いという形がきっと一番美しく、強いから。それでも、それなのに、僕は、自分が作ったものを君に見せてみて、綺麗だね、素敵だね、と言ってもらいたいと、そう弱々しく願ってしまう。どうしても君の、君の反応が欲しくて、一匹狼じゃ嫌だ、と心のどこかでそう思ってしまう。



いや、そんな綺麗な感情を持てていると思うことすら、思い上がりだった。










僕はもっと醜く。みんなに見てもらいたい。











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