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【1分小説】夏の迷い人

彷徨う彼が辿り着いたのは、夏の美しい風景が広がる静かな場所だった。彼の心は疲れ果て、どこか空虚なまま歩いていた。初めて訪れたはずの場所が、どこか懐かしい雰囲気に包まれているように感じられた。木漏れ日が踊り、風が寂しさを静かに語りかける。彼は初めて訪れたはずなのに、その地の人々は親切に迎え入れてくれた。異国のような場所でありながら、どこか故郷のような安らぎを感じた。

スマートフォンやインターネットのないこの場所で、彼は自分の心と向き合う時間を得た。仕事や義務の束縛から解放され、ただ穏やかな時間がゆったりと流れた。彼は山の麓を歩き、自然の息吹を感じながら深い森を訪れた。川のせせらぎが彼の内なる孤独を癒し、夏の果実が彼の舌を甘く染める。夜には星空の下で、知らない誰かと花火を打ち上げ、笑い声が空に響いた。

だがひとしきり夏を満喫すると、彼の心に静かな不満が芽生え始めた。繰り返される日常に退屈を感じ、彼は内なる声に耳を傾けることにした。そして彼は気づいた。それこそがあの夏に置き忘れたものだと。夏の迷い人は、未来へ向かい歩き出す決意を固めた。彼の心は躍り、未知の世界への期待が胸を膨らませた。心安らぐこの地での記憶は、美しい思い出として彼の心に刻まれた。

そして数年の歳月が流れ、彼は再びあの場所へ足を運ぼうとした。しかしそこは果てしなく森が広がるばかりで、辿り着くことはできなかった。誰に尋ねても、その場所のことを知る者は居なかった。




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