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大切なのは、知識ではなく”日々実践”
令和元年10月19日 山口県宇部市常安寺御一行様30名が大法寺を拝登されました。
信心深く熱心なお檀家様ばかりで1時間の法話もあっという間に時間が過ぎた感じでした。
本堂に上がる時全員がキチッと靴を揃えて上がられたこと、トイレのスリッパも定規で計ったように揃えられていたこと、とても印象に残りました。
本当の信仰とはこのような事を自然に出来ること、所作が身についていることが大切なのだと教えられ
「ぎっくり腰」に思うこと(住職の独り言_令和元年夏)
法要の準備のため、暑い日に草刈り溝掃除と体力の限界に挑戦をした。
しかしである。
挑戦を始めるとすぐ「ぎっくり腰」になり敗北。
四日間の不自由な生活を送る。
欧米ではぎっくり腰の事を「魔女の一撃」と言うそうだが魔女に坊さんがやられるとは情けない。
思うようにならない体になると、初めて、健康な体であることが有難く思えるようになる。
実はこの「思うようにならない」ことを仏教では「苦」と呼ん
時々自分に問いかけよう「私はだーれ?」(住職の独り言_平成30年冬)
平成四年に建立した本堂の銅製の雨樋に、五センチほどの穴が数か所空き、雨が漏れる事態となっている。
金属がこんなに早く痛むものなのか。
「雨だれ石を穿つ」という言葉を思い出した。
雨だれが少しずつ石を砕いていく現実。
国語的意味は「毎日コツコツと努力すれば大きなことを成し遂げる」という意味だろうが、物理的にも事実である。
硬い形が変わらない金属も石も変化する。
これが「無常」なんだ。
還暦は新たなスタート(住職の独り言_平成30年夏)
今年七月で還暦を迎える。
仲間からは「おめでとう」と言われ、似合わない赤いちゃんちゃんこを着せられ、飲めない酒をすすめられる。
しかし、何がめでたいのか。
暦が一回りしてスタートに戻ることがそんなにめでたいのか。
六十年の年月はそれなりの経験と知識が積み上げられたと思う。
しかしその経験と知識が偏見や思い込みを生み自分の思考体系を作り上げている。
お釈迦様はその考えや見方を否定している
「無」の境地はいまだにわからない(住職の独り言_平成29年冬)
今、曹洞宗福岡県の役員を拝命している。
その為、年に数回、県内の総代や婦人部役員、梅花講の方々の研修に引率として全国各地へ旅をすることが多い。
高齢者が多いためか宿泊は温泉旅館と決まっている。
引率や研修は責任上大変だが温泉は楽しい。
必ず露天の朝風呂に入ることを欠かさない。
知らない人とも裸の付き合いができる。
「温泉は気持ちいいですね」と声を掛けられ「そうですね」と答える。
しか
日々の掃除、それもまた修行(住職の独り言_平成29年冬)
本格的な夏。
朝涼しいうちに草取り作業。
作業は労働、でも作務といえば修行。
禅寺では作務(さむ)という。
昨日取ったところにまた雑草が。
「コンチクショウ」。
心で草を憎む。
しかし、次第に感情が変わる「ガンバレヨ」。
心のどこかに雑草を応援。
しっかり張った根を引き抜き「ゴメンネ」。
雑草の命を奪うことに謝罪。
お釈迦様はどんな気持ちで除草したのだろうか。聞いてみたい。
ビワの木は種も葉も大切。(住職の独り言_平成28年冬)
駐車場にビワの木が遠慮気味に立っている。
実がなると、毎年本尊様と父の位牌の前にお供えする。
しかし、今年はお供えすることができなかった。
なぜなら、サルがすべて胃袋に入れてしまったからだ。
残されたのは種だけ。
駐車場に黒い種がばらまかれた。
ビワは「大薬王樹」と呼ばれ、万病に効く植物であると原始仏典に書かれている。
実よりも葉や種の方が効能がある。
葉と種は残しておいてくれた。
「大晦日には、自分に向けて言いましょう」(住職の独り言_平成28年冬)
一年の計は元旦に有り、ならば、一年の省は晦日にあり。今年を振り返ると、「予想」に反することが多くあった。
六月のブレグジット(イギリスのEU離脱)、十一月のトランプ氏当選(アメリカ次期大統領)、共に自国優先の保護主義の勝利である。
世界中の予想ではイギリスのEU離脱はない、アメリカ大統領はクリントンだ、との予想を覆す結果となった。国内では投資家や企業経営者は為替がどうの、株がどうのと振り回され
「愛しい花木」(住職の独り言_平成27年冬)
春になると駐車場のモクレンの花がお寺参りの人々を出迎える。花は美しく上品な香りを発す。
しかし、花の季節が終わると大きな花を散らし、夏にはグロテスクな実を落し今の季節(秋)は大きな葉をまき散らす。そのたびに掃除をするが半日も立たないうちに一面に散らかす。掃除をするたびに「迷惑な花木」と思っていた。
先日掃き掃除をしているとモクレンの幹にカズラが巻いていることに気が付いた。寺の「大切な花木」にと