見出し画像

ハローワークと施設見学時に出会った求職者

私は現在、転職活動中の三十代女性である。

 
学校を卒業してから同じ職場で10年以上働いていた私は
人生で初めての転職活動である。

 
バイトを自ら辞めたことがないので(学校卒業に合わせて辞めたとか、企業が倒産だとかで辞めていた)
退職届を自ら出すこと自体
私の人生の中ではかなり勇気がいることであり
イレギュラーな動きだった。

 
 
三十代というのに退職後にまず何をやるべきか分からず
周りからの助言を元に動いていた。

 
私の元職場は、書類準備や退職金準備等に消極的だった。

言わないと用意してくれないし
言ってもなかなか用意してくれないし
挙げ句に逆ギレされたりと
辞めてからも非常に嫌な思いをした。

仕事をしていた時から書類やお金にルーズだったが
慰労金をいただく時も交渉はすんなりいかず
慰労金をいただけたのも12月末であった。

 
とりあえず、もらえてよかった。

 
 
 
退職後、すぐに仕事が決まらなかった私は
とにもかくにもハローワークに行って失業保険の手続きをするように言われ
ハローワークに行った。

ちょうど私は年度末で区切りよく辞めたので
同じく年度末で区切りよく辞めた方で
ハローワークは非常に密だった。

 
公的な機関の事務的な態度に腹を立ててまくしたてる人がいたり
仕事がなかなか決まらなくて暗い人がいたりと
ハローワークは雰囲気や空気が悪かった。

また、密を避ける為に座席も足りず
マスクをつけた人がそこら中に立っていたり
駐車場が満車の上に列を作って車が待っていたりと
室内も駐車場も密過ぎる状態だった。

 
 
あの日は、失業保険についての説明日だった。

私は必要書類を用意し、指定された窓口で待っていた。
本来は失業保険手続きの説明会があるのだが
コロナ禍のため、説明会は中止となり、各自説明書を読んで書類を用意するように言われた。

説明会は確か一時間枠だと思ったが
そんな大切な話を各自調べて把握しろとは酷だと思った。
だが、コロナ禍の為、仕方ない。

 
ハローワークに行くのは二回目だったが
やはり一回目と同じく密で
殺気立つ人が何名かいて
それにより、窓口は混んでいた。

仕事が決まらない、お金がないというのは
人から余裕やゆとりを奪う。

 
さっきから何十分も女性が窓口で吠えている。

その間に後ろがどんどんつかえているが
彼女にとってそんなことは関係ないらしい。
ハローワークに指定された日時に行ったが
二時間が既に経過していた。

「時間かかるわねぇ…。」

私の右隣に座っていた女性Aが私に声をかけた。
60歳前後だろうか。

 
A「こんなに時間かかると思わなかった。まだお昼食べてないのよね。」

 
私「春だから混むんですかねぇ…。」

 
ハロワでは番号札をもらったが、札の数字順に素直に呼ばれなかった。
だからその場から動くに動けなかった。
密であり、立っている人もたくさんいた。
運良く座れた私は、大人しく読書をして待っていた。

 
Aさんは暇を持て余したらしく、自身の右隣と左隣(私)にいる女性に話しかけた。
三人とも初対面である。
Aさんの右隣の方はアラサーぐらいに見えた。
全員マスクをしていたから、多分そのくらいの年齢、としか言えない。

 
三人で世間話をし始めて15分後、右隣の方が番号を呼ばれて、会釈をして一足先に去っていった。

仕事をしていた頃は毎日賑やかで、たくさんの人と話す生活だったし、実家には家族がいて、休日には友達と遊びまくっていたが
ステイホームになってから、家族以外と話す時間は激減し、私は人に飢えていた。

 

話によると、Aさんは明日から福祉施設で働くことが決まり、それを今日伝えに来たらしい。

ハロワで紹介された場所に就職が決まった場合
働く前日にハロワに報告に来なければいけないことを
私はその時に知った。

Aさんは初めて福祉業界で働くらしく
私は簡単に福祉の仕事のポイントをお伝えした。
退職したとはいえ
11年間福祉の仕事をしてきたし
大学や専門学校で福祉の勉強やボランティアをしてきた。
初めて福祉業界に働く人に、経験談やコツくらいは多少伝えられる。

 

Aさんと二人きりで三十分くらい話した後
Aさんは私に名刺を渡してきた。

 
「真咲さん、本当にいい人ね。こんなすごい人を手放した施設はバカだね。上は見る目がない大バカだよ。
初めて会った私にもにこやかで丁寧で……明日からの仕事に不安もあったけど、頑張ってみよう!って背中押されたよ。

私はAと言います。これが名刺ね。

ねぇ、真咲さん、うちで働かない?真咲さんなら絶対採用されるって。まだ求人出ていたし、大手だし、福利厚生もいいよ。

私は真咲さんが上司なら最高だな~。」

 
 
名刺を渡された直後に、Aさんは番号を呼ばれ、去っていった。

「今日は話せて楽しかったです。またご縁がありましたらお会いしましょう。」

私はAさんに会釈した。
人に飢えていた時期に話しかけられ、気に入られ、名刺をもらえるとはレアな体験だと思った。

 
 
続いて、私も名前を呼ばれ、一年前の自然災害の被害の関係で、私の地域の人は早めに失業保険が支給される話があった。
私の家は被害がなかったが、確かに避難地域ではあったし、母の職場は被害があり、私の職場近くは大きな被害があった。

一年前の自然災害が、まさか失業保険早期支給に繋がるとは思っていなかった。

 
私の担当をしたハローワークの人はいい方で、退職理由を伝えたら、「……え?それは不当な退職じゃないですか?」と顔をしかめられた。
だが、労基に行っても泣き寝入りしろと言われたのは事実なので、そのまま伝えた。

 
 
…同僚や保護者が泣いたり、怒ったり、悲しんだ。
私も家族も上からの仕打ちに散々泣いた。辞めたくなかった。

そんな退職だった。

転職サイトのエージェントの方やハロワの方が首をかしげ
今会ったばかりの人が元職場をバカ呼ばわりしている。

 
それでも、誰も助けてくれなかった。

人事権がある上が辞めるように仕向け
労基にすがっても泣き寝入りしろと言われた以上
私にはどうしようもなかった。

誰も私の退職は止められなかった。
それが現実だ。

 
 
Aさんとはその後、会っていない。

Aさんの就職先である施設と合同面接会で話す機会があるのは
このやりとりの半年以上先のことである。

 
 
 
 
 
 
転職活動を始める前、私はなんやかんやありながら早く仕事は決まると思っていた。

前の職場に未練たらたらだったが
福祉の経験と資格がある私は強いと思っていた。 

早く幸せになって
元職場を見返してやりたい気持ちと
元職場から「また働かないか?」と言われたい気持ちが
入り乱れていて苦しかった。

 
コロナ禍により失業率がひどく
倒産や解雇が相次ぎ、不景気になっていっても 
福祉業界はびくともしなかった。
求人は常にたくさんあった。

一番厳しいのは事務職で
希望者が多すぎて、求人数は少なすぎると説明があった。
 
 
ハロワの人の話によると
ヘルパー二級の講習は普段定員割れだが
コロナ禍での求人数激減により
ヘルパー二級の講習に人気が殺到しているらしかった。

 
だけど、ヘルパー二級を取得した方がみんな福祉業界に転職するかといったらそんなことはなく
資格取得をしたものの
福祉業界に転職はあくまで最終手段と捉えている人は多いらしかった。
もしくはヘルパー二級取得した人が福祉業界に流れてもびくともしないくらい
福祉の求人は常にあった。

 
定期的に求人をチェックしていたが
何ヶ月も何ヶ月も同じ施設は求人を出し続けていた。
一旦引っ込んでも、すぐにまた再求人になった。

それが福祉業界だった。

 
 
合同面接会で私はモテモテだった。
どの福祉施設からも重宝された。

障害福祉施設でしか働いたことがないのに
高齢者分野でも児童分野でも
引く手あまただった。
合同面接会で、試しに話を聞こうと軽い気持ちで参加すると
採用はその時点でほぼ確定となり

「面接はいつにする?事前の書類選考はしなくていいよ。面接日に持ってきて。」

と、言われる始末だった。

 
 
福祉業界が人手不足とは重々承知だったし
転職活動が初めてなことや
10年以上働いていたことや
国家資格や管理者資格所持は強みだとは思っていたが

コロナ禍の中、想像以上に私には選択肢がたくさん用意されていた。

 
自分に合う施設や職場さえ見つかれば
採用はほぼ確実だという手応えを
私は早々と確信した。

そもそも、退職してすぐに受けた施設複数でもあっさり内定をもらえていたのだ。

 
 
だが、モテモテだからといって、仕事が早く決まるわけにはいかなかった。

まず大前提として、私は元職場に未練がタラタラであり
思い出してはしょっちゅう涙が出たし
夢もよく見た。

それに加えて
元職場の人からも「戻ってきてほしい。」と何度も連絡が入った。

 
心はなかなか次にいけなかった。
未練を断ち切れなかった。
他施設の話を聞いたり、他施設の利用者を見ても
前職の記憶がフラッシュバックして
どうしようもなかった。

早く次に行きたい気持ちと
本当は辞めたくなかった気持ちと
次にいくことは裏切りのような気持ちに
私はどうしようもなく苛まれた。

 
 
更に、私には欠点があった。

こだわりが非常に強いのである。

 
私は大きな車の運転・夜勤・異動・管理職を避けていた。
避けた場所で仕事を探していた。

 
だが、福祉職でこれらがない職場で、かつ我が家から通える範囲内の施設や企業は限られていた。

 
経験がある故
私は他の職種希望でもすぐに管理職採用に話が切り替わった。
経験がない高齢者分野でも児童分野でもだ。

それほどに、福祉の業界は人が不足していた。

 
実際私も前職で責任者をやっていたし
私の年齢で有資格者が管理職をやるのは自然な流れなことは分かっていた。

 
ただ、合同面接会や面接会の様子から
管理職研修はなく

「経験者だから仕事を任せよう(押しつけよう)。

業績悪いのは管理職の責任だからね。給料出すんだからよろしくね。」

という、採用者の心の声はダダ漏れだった。

 
 
前職でもそうだったし
同じ福祉職の友達とも言っていたが
新人研修はあっても(新人さえ、人手不足によりろくに研修がないのが当たり前)
管理者研修はないのだ。

 
経験者は管理者ができて当たり前

という前提が
会社や面接者にはあり
それがまた私を苦しめた。

なまじ経験がある分、管理者のハードさは嫌ってほど私は知っていた。
業績の悪さの責任を押しつけられ、叱責され
サービス残業が当たり前なことを
私はよく知っていた。

 
 
 
転職経験がなく、10年以上働き、有資格者だということが、気がつけば足枷になっていた。

野望や野心があり、改革をしたいタイプならば
転職は非常に有利だ。
夜勤や管理者をやってお金を稼ぎたい人ならば
ありがたい話だろうし
車社会の我が県で
車の運転は基本的にみんなが上手い。

 
 
私は転職活動をするうちに、福祉職の転職に私が向いていないのだと痛感した。
仕事が決まる気がしなかった。

 
やっと、全ての条件がクリアした場所で内定をもらったと思ったら
職員全員が近日中に辞めると言い渡され
だから現場職員ではなく、管理者をして立て直して欲しいと言われ
私は内定を辞退した。

  
再び私は、絶望感にいっぱいになった。

 
 
春から始めた転職活動は年内に終止符を打てず
今年に繰り越しとなった。

私と同時期に退職した転職活動仲間は
転職活動に苦戦し
正職員採用を諦め
アルバイトを始めたり、資格取得をしていた。

 
私もアルバイトをして資格取得すべきかとも思ったが
既に就職に有利な資格は持っていたし
気持ちとしては仕事を決めたい気持ちが強かった。

 
 
 
そんな中、1月を迎えた。 

正月早々、「今年こそ仕事を決めなきゃね。」と親からプレッシャーをかけられる。

 
「3月、遅くても4月には仕事決めてほしいね。」
「もう退職して一年だしね。」

 
そういった言葉は私を追いつめ

退職日に私は死ぬべきだったし
今年の3月31日にまだ無職なら本当死ぬべきだよなぁとしか思えなくなった。

 
貯金はまだゆとりがあったが
失業保険を打ち切られたあたりから

「無職なのに●●して申し訳ない。」
「無職だから●●しないと申し訳ない。」

という気持ちが非常に強くなった。

 
また、「仕事が決まるまで●●してはいけない。」という自分ルールも加わった。

 
 
明らかに心身不調になった。

転職活動をすればするほど
やりたい仕事がこの世の中にない気がしてきた。
「この仕事はやりたくない。合わない。」と思い
転職活動をしてもしても仕事が決まらない私に
内定の話自体はちらつかされているのに
逃げている私に

 
両親は
「まずはやってみないと分からないでしょう。」「親だっていつまでも元気なわけじゃないし。」
と、ド正論をぶつけた。

 
正論をぶつけられるたびに成果がまるで出せない私は
社会のゴミだとしか思えなかった。

 
長年働いたことも資格も過去の栄光だ。
今、仕事を見つけて働けない以上、私には何も価値がないように思えた。

 
 
みんなは大変なことがありつつ
毎日どこかしらで働いていて
休日を楽しめている。

労働があるからこそ、休日を楽しめる権利があるように思えた。
とにかく働いている人全てが眩しくて、羨ましかった。

 
 
そんな中、合同面接会に行った。

もう半年以上転職活動をしている私は、大抵の施設と顔見知りになっていた。
合同面接会に来るような大手施設は限られている。

 
だが、その日、私は初めてある施設の説明会に参加した。
施設の名前は知っているが、説明会でその施設の方と会うのは初めてだった。

 
資料を渡され、口頭で説明があり
パソコンで施設の動画を見せてもらった後
見学会に参加するか聞かれた。

私が参加希望を伝えると
施設の方は「見学日と面接日を同じ日にしますか?」と尋ねてきた。

私は断った。
履歴書を書くのはかなり手間暇かかる。
見学で気に入った上で、履歴書を書きたかった。

 
 
その日、いくつかの施設や企業が来ていたが
私が見学を予約した施設が一番人気で
次から次へと求職者が集まり、説明を聞いていた。

私はそんな姿を見送り
会場を後にした。

 
 
見学日に、私は焦っていた。

カーナビやグーグルマップ以上に、施設まで時間がかかった。
うちから遠そうだなぁと思ったが
予想時間より10分も時間がかかった。

通勤・通学ラッシュ時間ではなかったから
いざ働くとなると、プラス10分は覚悟した方がよいと思った。
このルートは朝や夕方は混むことを知っていた。

 
想像以上に到着がギリギリになり
慌てて駐車場に車をつけた。
そんな私の前を、スーツを着た女性が走っていた。

どうやら、求職者仲間らしい。

 
 
その施設が大手施設だとは知っていたが
玄関からしてコロナ対策が凄まじく
事務室には大勢の職員がいた。

利用者もたくさんいるし
みんなが明るく朗らかであり
事業内容や事業展開も幅広く、度肝を抜かした。

 
全てにいちいち感動したし、いちいち感心した。

 
見学日に案内してくれた人は
この前合同面接会で会った人で
オーラが凄まじかった。 
仕事ができる人だとすぐに分かった。

 
私と共に見学に参加したBさんは
私と同じ年くらいの女性で
明るく熱心でもあった。
恐らく、福祉職経験者だろうと思った。

 
見学会は、約一時間だった。

異動・大きい車の運転・夜勤が必須だった。
しかも、異動先や夜勤場所は、今日の見学会をした施設より更に遠方であり
絶望的になった。

今日の施設ですら想像以上に遠かったのに
更にその奥地に異動必須で夜勤ありかぁ………。

 
私は見学会後、「応募はなしだな。」と密かに思った。

 
 
見学会後、私は共に見学をしたBさんに駐車場で話しかけられた。

B「真咲さん、大手施設で長年働いていました?利用者への接し方や感想、質問が見学者の中でずば抜けてましたけど…。」

 
私「ここよりは小さい規模の施設で長年働いていましたね。Bさんも経験者…ですよね?明るく朗らかですし、会話力、素晴らしかったです。」

 
B「いえいえいえ!私なんて、真咲さんに比べたら、全然…。」

 
 
私達は、転職活動について話し出した。

話によるとBさんは病院勤務が長かったが、結婚や出産を機に退職し、数年間小規模の施設で働いていたらしい。
業務内容や行事規模を聞くと、確かに小規模だった。

Bさん元職場が小規模
私元職場が中規模
見学先の施設が大規模、といったところだ。

 
 
Bさんも私と同じで
カーナビを使ってきたら、今日の施設にかなり時間がかかったらしい。
見学ならまだしも、仕事で毎日通勤となると厳しそうだ。

また、私と同じく夜勤や大きい車の運転もネックになっていたし
想像以上に大規模で様々な取り組みをしている施設に
レベルの違いを感じておののいていた。

 
例えば、Bさんの施設の外出行事は外食。
私の元職場の外出行事は一泊二日の旅行(国内)。
今日の見学先の外出行事は海外旅行だ。

 
私でさえ、利用者と職員で海外旅行に度肝を抜かしたのだから
外出行事が外食レベルのBさんにとっては
天と地のレベルだっただろう。

 
B「ここでやっていける自信ないです…。」

 
私「私もですわ。ここの施設はあまりにも手広くやり過ぎていて、正職員がこれらの仕事を覚えるのは……。しかも異動必須となると、仕事覚えて人間関係できても、またすぐに一からやり直し…。」

 
B「いや、真咲さんならできますよ!施設の方も真咲さんを気に入っていたように見えましたよ。採用されますって。」

 
私「新卒で、近くに住んでいたなら、こんなところで働きたかったですね。
もう、前職で管理者の重みやサービス残業の過酷さを知ってしまったので……体力もないですし、婚活もしたいですしね…………

今後の人生を全て捧げる勢いがないと、ここでは働けないですよね。

私はもう、そこまでの情熱や体力はないかな。前の職場だったら、仕事慣れていたからそのままのノリで働けたかもしれないけど、今から一からここで仕事するのは、リスキー……かな。」

 
B「真咲さんは、なんで前職辞めたんですか?」

 
 
私は一部始終話した。
パワハラやモラハラが年々ひどくなり、長年働き、利用者や保護者ウケがいい人はどんどん辞めるように仕向けられること。

イエスマンや仕事ができない人ほど、上からかわいがられて、中間管理職は常に板挟みであったこと。

利用者数はどんどん増えるのに
ベテラン職員を辞めさせた後、職員補充がなかったこと。

 
 
私は退職理由を聞かれて嬉しかった。

転職活動中驚いたのは、どこの施設も企業も、私の退職理由を一切聞かなかったことだ。
退職後に半年以上期間があることも、前職で具体的にどんな仕事をしたり、それをどう今後活かすかも
全く聞かれなかった。

 
それほどに、初めての転職活動中で経験年数が10年以上で有資格者というのは、福祉業界からしたら喉から手が出るほどにほしい人材なのだろう。

 
  
B「え!?何それ。ひどすぎますよ。なんで福祉施設ってどこも上が腐ってるんですか!?

利用者や仲間はみんな、いい人なのに…。」

 
 
Bさんも、退職理由を話し出した。

お世話になっていた主任が辞めるように仕向けられたこと。
主任がいなくなってから、どんどん施設の質が落ちても、経営者は利益しか考えていないこと。
理不尽な人事異動があったこと。

そして、Bさんは仲間と共に、同じ日に退職届を出したらしい。

 
私に似ている、と思った。
それと同時に、福祉施設はどこもブラックだとも思った。

 
B「元主任に退職を伝えたら、“仕事を辞めるってことは、もう二度と利用者に関われないってことなんだぞ。それでいいのか?”って言われました。

だけどもう、私は仕事を続けられない、って思った。」

 
私「その気持ち分かりますわ。仕事を続けられないと思ったら、辞めるしか道はないですよね。

ただ、利用者はかわいかったから、今でも私は、“●時になったら送迎車出発だ、あ、今作業の時間だ。”って、いちいち時計を見ては思います。」

 
B「分かります!今お昼だな、今頃散歩だな、って、いちいち考えちゃいます。

私は真咲さんと違って利用者にサヨナラを言わずに退職したから、利用者は今頃泣いているのかな、って考えちゃうと、胸が苦しいです。」

 
私「………なんで仕事って、利用者がかわいい、だけの気持ちじゃ続けられなかったんですかね。

利用者が大好きな気持ちに、今も何も変わりはないのに、退職したからもう会えない…あんなに毎日会っていたのに…………。」

 
 
私とBさんは他施設の駐車場で、前職を話しながら涙目になった。

私もBさんも
仕事も利用者も同僚も大好きだった。
大好きだったのに
大好きだけじゃ、仕事は続けられない。

 
 
B「真咲さんはこれからどうします?」

 
私「合同面接会や別の施設の見学が入っています。」

 
B「C施設の求人はどうです?」

 
私「あ~…まだC施設は行ったことないですね。名前だけ知ってます。行ってみようかな。」

 
B「お互いに、頑張りましょう。」

 
私「えぇ。お互いに。またどこかで会えるかもしれませんね。」

 
B「次に会う時はお互いに仕事決まっているといいですね。」

 
 
私はBさんと別れた。

見学時間一時間に対して、Bさんとはなんと一時間半も話していた。
初対面だというのに、私達は話が止まらなかった。
見学も有意義だったが
Bさんとの会話は得るものが大きかった。

 
求職者はみんな、戦っている。

前職で嫌な思いをして立ち去る結果になっても
次に期待して
落ち込んだり、凹んだり、泣いたりしながら
転職活動中は笑顔で朗らかに
なんでもないふりをしながら
ずっと戦っている。

悲しみは忘れないままで。

 
 
 
あれからAさんにもBさんにも会っていないが
きっと彼女らは元気にどこかで働いているだろう。
それを遠くから祈りながら
私も頑張ろう、と立ち上がる。

 
人生でほんの少し関わった人やその人の言葉が
私の胸に響くことがある。

例えもう会わないにしても
私の糧になり、財産になる。

 
 
 
 
BさんがすすめたC施設に私が見学に行くのは
この数日後である。






 



 





 


 

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?