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1983年4月26日, 39年後の同日つまり今日と同じ火曜 〜 ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅へ出発, 横浜港からの船で向かった先は当時のソ連, 今のロシア!

今からちょうど39年前の1983年4月26日は, 今日2022年4月26日とたまたま曜日が同じ, 火曜日だった。いや, 暦を踏まえれば, この39年間に過ぎていった日数を 7で割ると割り切れるというわけだから, これは偶然というより必然といえばいいのか。そもそも曜日が一緒というのは大した意味があるわけでもないけれど。それはさておき,

旅立つ前

1) 1960年911 に知る人ぞ知る!静岡県の遠州森町というところで生まれた拙者(いきなり「帰国」「帰郷」note へのリンクだけど, というのは, 故郷のことをちょっとだけこの note に書いていたから!),

2) 1979年4月に大学入学のため, 同年3月下旬(流石に日は憶えてない), 北海道は札幌市に移住(以下の note は 3, 4年時の1981-82年の話題が中心), 

3) 大学1年の時からのバイトで貯めてきた旅行資金が 4年の秋, 1982年秋にようやく目標額 100万円に達し(当時は 1USドル = 約250円の時代だったから約4,000ドル), そこで一念発起(って心を入れ換えたのか, 笑), 大学4年の後期は意図して単位の一部を翌年度以降に残すべく調整し計画「留年」すると共に大学に休学を申請して許可を得, 1983年3月初めには札幌のアパートを一旦引きはらって静岡県の故郷に戻り(以下リンク先 note は, ユーラシア大陸「ほぼ」一周の旅に旅立つ前に読んだ本, 帰国後に読んだ本, そして旅立つ前に聴いていた曲について), 

そして,

1983年4月26日, 横浜港からの 2泊3日フェリーの旅で向かった最初の訪問国は 〜 ソヴィエト社会主義共和国連邦(通称「ソ連」つまり 1991年12月26日に崩壊した国, 因みに今や自称「民主主義国」アメリカ合州国と同様に他国を侵略ばかりしているロシア連邦の前身は当時「ソ連」を構成する共和国の一つだったロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国)

しっかし長えな, この見出し。それはさておき, 

最初の船旅の途上で撮った写真はたった 2枚。当然ながらスマホの時代じゃないし, 

こちとら(因みに拙者, 寅年ではありません), こちねずみ(笑)貧乏旅行者バックパッカー, フィルムだってそんなにどかどか使うわけにはいかなかった。

まずは 横浜港にて船に乗ってから「いざ出発」の一枚。見送ってる人たちは拙者の友人・親族ではありません。確か見送りはなかったはず(記憶が曖昧)。

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もう一枚, 当時の ソ連の ナホトカ が近づいてきた辺りで, 初めて見る外国の土地をカシャ📷

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さてさて, 

旅日記のはじまり始まり(1983年4月26日と27日の日記掲載)

前章の最後に「さてさて」と書いておいて本章いきなり「ところで」だけど, 前章の見出し, あんなに長々と書いたけれど, しかしよく考えてみると, 

1983年4月28日ナホトカ に着き 1泊, そして列車で ハバロフスク に出てそこでも 1泊, そして(当時はウラジオストクは「ソ連」側の軍事的な理由で外国人はほぼ入れなかったので)ハバロフスク から シベリア鉄道 の旅,

途中, バイカル湖のある イルクーツク で下車して 1泊, シベリア鉄道 は合わせて一週間ほどの乗車で, ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国の首都 モスクワ に着き, モスクワ では 2泊, その後, 列車で次の訪問国 フィンランド の首都 ヘルシンキ に向かった, 

というわけで, 

拙者が旅したのは当時の ソヴィエト社会主義共和国連邦(くどいけど通称「ソ連」つまり 1991年12月26日に崩壊した国)を構成していた国の中の, 

つまり「カマトンカチ」の ソ連

の中の, 今や自称「民主主義国」アメリカ合州国と同様に他国を侵略ばかりしている ロシア連邦の前身, ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国 の領土内だけだったんだなぁ..

ウクライナ(当時はその後 1991年に「ソ連」崩壊と同時に当然のように崩壊した「ウクライナ・ソヴィエト社会主義共和国」)とかにも行けたらよかった。

ところで, プーチンは莫迦で戦争犯罪者! しかしアメリカ合州国の偽善やダブルスタンダードも相変わらずで困ったもんだなとつくづく思う, 2022年の春。

さて, 

ようやく, 日本国の 横浜 から当時のソ連(の中のロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国)の ナホトカ に向かう 2泊3日の船旅, そこで書き始めた旅日記について。

1983年4月26日 最後の締めは, 完全に(読者だった人なら分かる)「小田実」調。

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1983年4月27日 この日の早朝からの激しい船酔いについては, 39年ほど経った今でも, よく記憶している。日本人の乗客で朝食を食べにレストランに向かえたのは一部だった。自分は何とか行けたが, しかし既に船酔いで気持ちわるく, やはり結局, 少ししか食べられなかった。

印象深く憶えているのは, 周囲を見渡すと, 女性を含めた欧米人の乗客たちが談笑しながら普通に朝食をとっていたこと。身体のつくりが違うのかと思った(笑)。

筆者は確か, 昼食は全く食べられなかった(そもそもレストランに行かなかった)。夕食は食べたと思うのだが。

「船酔い」(激しい) で始まった 2日目の旅日記, だからそんなに沢山書けるはずがない(笑)。いや, なんと何も書けなかったんだ, 日記のメモによれば, これは 4月29日に思い出して書いている(再笑)。

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さてさて, 

旅のテーマ・ソング その 1 〜 Road to Nowhere (Talking Heads), これって 2年後, 1985年リリースの曲じゃんかよ ♫

これです。

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いや, これは Paul Gauguin (1897-1898) の "D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous?" (フランス語分からへん, 笑), つまり "Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?", 要するに「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」だった。

いきなりの台本通りの間違い。これを日本語で「わざとらしい」と言います。しっかし, あのゴーギャンの絵と, Talking Heads の 1985年のアルバム "Little Creatures" のカヴァー,

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どこか似ているのであ〜る。

ではでは,

Road to Nowhere from Talking Heads' 1985 album "Little Creatures" ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。歌詞に関心のある方は, 公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

旅のテーマ・ソング その 2 〜 Every Picture Tells a Story (Rod Stewart) ♫ 歌詞和訳

この歌については, 以前のこの note の中で筆者による歌詞和訳を載せていた。歌と歌詞和訳は, 以下の note の最終章からそのまま転載するかたちで, 同 note リンクの下にあらためて掲載。

"Every Picture Tells a Story" (Rod Stewart) 〜 歌詞和訳

"Every Picture Tells a Story" は 1971年5月28日にリリースされた Rod Stewart 3枚目のアルバムのタイトル・トラックで、LP の A面 の 1曲目。このアルバムは当時イギリスでもアメリカでもチャート 1位を記録し、B面 2曲目の "Maggie May" も両国それぞれのシングル・チャートで 1位になったという大ヒット作だった。

この歌(Rod Stewart と Ronnie Wood の共作)、音、メロディだけじゃなくて、歌詞も素晴らしい。筆者が若いころ旅に出たかった気分の「おおよそ」のことなら、この歌の中に見事に描かれている。

筆者は特別劣等感に苛まれていたのではなかったし、親父に勧められたのでもなかったが、でも自分の親父もこの歌の歌詞の中の親父みたいな人で、ああいう類のことを言う人だった、「だった」と言っても 92歳の今現在も健在・元気!(このカッコとカッコ内は今日2022年4月26日に加筆, その後も もちろん!元気, 今日現在 93歳!

そういう「訳」(ワケ)で、この歌の歌詞を今日(一応の注, 上掲 note を投稿した 2021年2月4日のことです)、「訳」(ヤク, あの「ヤク」ではありません!)してみたいと思ったのだ。

Every Picture Tells a Story 〜 a title track from the third album by Rod Stewart, released on May 28, 1971 ♫

*一般社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)より「著作権を有する音楽著作物の著作権を侵害している」旨, 指摘を受けた為, 当初 私の誤認識によりここに掲載していた英語歌詞を削除しました。英語歌詞・原詞は公式サイト等に掲載されているものを確認してください(2022.9.1 加筆/削除/編集)。

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しばらくの間 おれってダメな奴かもって思ってた
鏡の前に立って
何百回と髪をとかしても(*1)
結局は代わり映えしない俺がそこにいるだけ

親父がおれに言ったのさ、「息子よ、世の中を見てくるがいい
家を出て行ったって咎めたりしない
だけど覚えておけ、現を抜かすんじゃないぞ
お前の金を掠め取るような女にはな」(*2)
で、おれは出かけたってわけさ

パリは身を隠せる場所だった
周りに馴染めないって思ったらね
だけどフランスの警察は平和をくれなかったのさ
連中はおれのことを汚らしい奴だって言うんだ
セーヌの左岸に降りて物思いに耽ってて(*3)
押し寄せてきた群衆にノックアウトされたら
平和的な暴動を扇動したって罪で逮捕されちまった
おれはその時ほんとはお茶一杯飲みたかっただけだぜ
なのに責任取らされたってわけさ、ったく
その後も旅を続けたよ

ローマに行ったけど何か物足りなかった
若い奴が生きてくための何かがね
おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった(*4)
まさに運も尽きて落ち目って時にね
ほんとに破れかぶれ、やけになって
観光客用の見せ物みたいになってた
それで思ったよ、ここから出なくちゃってね
バチカンに行ったって認められるわけないし
そんな気もなかったさ、あるわけない

東に向かって出かけたぜ、聞いてくれよ
北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ(*5)
こっちに戻る船の中のことさ
切れ長の目の女と恋に落ちたってわけ
東洋の月明かりに感謝しなくちゃね
上海のリルは決してピルを使わない
ピルなんて自然じゃないわよって言うんだ
で、おれを甲板に連れて行って首に歯を当ててきたよ(*6)
なんてこった、彼女と出会えたなんて上出来だよ
ほんとさ、最高の気分だったよ
ちょっと待ってくれ

おれはいま固く信じてるよ、結局大事なのは自分だってことさ
マジで思ったんだ、おれはほんとに完璧だってね
人間、どんだけおかしくなれるのかな
おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ(*7)
ああいう女といると自由な気分でいられないんだ(*8)
だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ(*9)
彼女に出会ったことは神にでも感謝しなくちゃな
おれが伝えられる彼らの言葉の中に(*10)
旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても(*11)
彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな(*12)
そんなの散々言われてきて手垢まみれだろうよ
どんな悪い状況でも最善を尽くす、でもって笑い飛ばすんだな
とにかくこんなとこまで来なくてもいいよ

覚えておくことさ、どう見えるかで何が起きたのか分かるんだ、だろ?
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どんな場面にも思い出があるのさ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
どの写真にも物語があるんだ
百聞は一見にしかずって言うよな
百聞は一見にしかずってね
百聞は一見にしかずって ...

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注釈

*1 "Combed my hair in a thousand ways" と歌っているが、日本語ではこういう数が多いことを強調したい時、「千回」というよりも「何百回」と言うだろうと思うので、和訳では「何百回と髪をとかしても」にした。

*2 "to a woman that'll spend your bread" の "bread", 俗語で「金、銭」といった意味があるので、若干の意訳込みで「お前の金を掠め取るような女にはな」。

*3 "the Left Bank" はここではセーヌ川の「左岸」のこと。フランスの小説家、つまりあの人、Françoise Sagan のことではありません(笑)。

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日本のバンド、デイト・オブ・バース Date of Birth の 1997年のアルバム "FOLK SONGS" の収録曲に「退屈なフランス旅行」という歌があって、「横になって氷で頭を冷やし あなたがこれは力作だと言った サガンの小説をもう一度読んでたら 意地の悪い睡魔が襲った, hey, da,da,da...... 」というくだりがある。あの歌も、あのアルバムも、最高にいい。

あ, ここだけ今日, 加える。note 刺激的なフランス旅行 1983, 愉快なフランス旅行 1988 〜 「退屈なフランス旅行」1997 ♫

脱線した(笑)。

*4 "My body stunk but I kept my funk", これはちょっと訳し方が難しい。とりあえず最初に書いておくと、"stunk", "funk" の韻はクール。

"stunk" は stink の過去分詞形で、stink は自動詞も他動詞もあるけれど、受け身ととればここは「〜を悪臭で満たす」という他動詞の受動態。"funk" にはかなり色んな意味があるけれども、ここでの "my funk" から名詞ととれば、「おじけ、尻込み、臆病」とか「気分の落ち込み、憂鬱」、名詞の意味にはもちろん他にあの音楽のジャンルあるいは用語としての「ファンク」、その他にも俗語で「田舎臭さ」、そして「臆病者、役立たず」、さらにやはり俗語で「体臭」「悪臭」といった意味があるようで、ただし「体臭」を意味する名詞としては一般に他人の強烈な体臭を指して言うらしい。ここでは、"funk" を単に「悪臭」ととったり、あるいはダブル・ミーニング的に「憂鬱」の意味にもとって、「おれの体は悪臭を放ってたけどそのまんま、憂鬱だった」と訳すことにした。

*5 "On the Peking ferry I was feeling merry", ここは逐語訳すれば「北京フェリーの上で楽しい気分になっていた」ということなんだろうけど、最初に投稿アップした時は、まぁこういうこと言いたいんだろうな程度に「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」と訳していた。しかし、その後、いや待てよ、北京って海に面してないよなと気づき(筆者は中国には大連しか行ったことがない、笑)、"the Peking ferry" って何のことだと気になった。ググると日本からフェリーで行くには港がある天津までフェリーで行ってそこから列車みたいに書いてあるし、じゃぁ川、大河とかは?と思うと、どうもそれも怪しい。北京は海河という大きな河川の流域に属するらしいが、北京の域内では水不足が深刻とか書いてあって、大河を航行するフェリーってことでもなさそうなのだ。ますます気になって更にググると、筆者が本 note 投稿で取り上げている自身の海外「放浪」もどき旅をした時代に既に日本人バックパッカーの間でもわりと知られていた、世界的に著名な旅行ガイドブック Lonely Planet のウェブサイトにまで、Rod Stewart's "Peking Ferry". Does it exist? Are there any in Beijing? というトピックが上げられたフォーラムのページがあることを発見。いやはや。

北京の英語表記は Beijing の方が多いと思うが、Peking もないことはない。料理名の北京ダックは Peking duck だよね(笑)。一方で Beijing ってのは地名としての北京だけでなく、「中国政府」を指す言葉として使われることもあるということで、さて、この歌の歌詞の中の "Peking", 要するに、形容詞的に「中国の」というニュアンスを表現したかったということなのかな。"On the Peking ferry" で「中国のフェリーに乗ったら」あるいは「中国でフェリーに乗ったら」程度の意味で、だとするとこれを日本語にしたら、やはり「北京のフェリー」ぐらいにするしかない。

この程度のことで思い切り長い注釈になってしまったが(笑)、結局、まぁ上記の意味合いを込めた感じでこれでいいだろうとすることにして、"On the Peking ferry I was feeling merry" は、「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」で一件落着 .. ということにした。

しかし、そもそも、この曲は 1971年5月のリリース。大陸中国とアメリカ合州国の間に国交が樹立することになるのは 1972年2月の当時のニクソン大統領の中国訪問がきっかけだから、この曲が作られた頃は大陸中国はまだまだ「西側世界」に対して閉ざされていた時代のはず。この歌は確か Rod Stewart が更に若い頃に世界を「放浪」した経験を「膨らませた」ような歌だったと思うが、とりわけ大陸中国関連の辺りは相当に想像を「膨らませた」歌詞なのかもしれない。そう思うと、「切れ長の目の女」「上海(の)リル」, つまり "slit-eyed lady" の "Shangai Lil" ってのも、いかにも Rod が「ああ、こういう女と付き合いたい」って想って歌詞を考えたのかなという気がしてくる。この注釈、ますます長くなった(笑)。

(「北京でフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」を「北京のフェリーに乗ったら楽しい気分になったんだ」に変えただけの編集アップは投稿日のうちに済ませたけれど、この注釈に関しては今日 2021年2月5日午前9時過ぎ加筆アップ。)

*6 "bit my neck", この "bit" は他動詞でも自動詞でもある "bite", 「噛む」「噛みつく」の過去形なわけだけど、首に噛みつくのはどうにもこうにも痛そう。まぁそういうハードコアも時にはいいかもしれないけれど(笑)、ここはまぁ「首に歯を当ててきた」ぐらいでいいのでは。因みにここ、"She took me up on deck and bit my neck" の "deck", "neck" の韻もキマッてる。

*7 "The women I've known I wouldn't let tie my shoe" は、おそらく "The women I've known" が次に続く "I wouldn't let" の目的格になっている。だから、ほぼ直訳のかたちで訳すと「おれが今まで知った女たちには靴紐一つ結ばせなかったよ」という感じ。因みに tie one's shoes で「靴の紐を結ぶ」だけでなく「しっかりやる」「きちんとする」といった意味があるようだけど、ここはあえて前者のような直訳的な言い方を使った方が、それを比喩として受け取ってもらえばよいのでベターだと思う。

*8 "They wouldn't give you the time of day" の "They" は *6, つまり前のセンテンスの "The women I've known" のことで、ここは意訳すれば「ああいう女といると自由な気分でいられないんだ」。

*9 "But the slit-eyed lady knocked me off my feet" は、be knocked off one's feet で「驚かされる」「驚く」「びっくりする」という意味があるので、この歌詞の中の文脈では「だけどあの切れ長の目の女には心底やられたよ」。

*10, 11, 12 "And if they had the words I could tell to you, to help you on the way down the road, I couldn't quote you no Dickens, Shelley or Keats", ここでは、文脈上、最初の "they" は後から出てくる "Dickens, Shelley or Keats" などを指しているのではないかと解釈した。"way down the road" は安直にオンライン辞書など引くと「この道をずっと行った所に」と出たりするし、half-way down the road だと「道の途中で」「道半ばで」といった感じ。ここではこの歌の歌詞全体を考えて、"you on the way down the road" を「旅してる最中のあんた」と訳した。ただし、この「旅」とは文字通りの「旅」ともとれるし、「人生」を「旅」として捉えた上での「旅」ともとれる。

"Dickens, Shelley or Keats", この 3人は全て、イギリス(全員イングランド, 19世紀)の、順に小説家、詩人、詩人。

というわけで、「おれが伝えられる彼らの言葉の中に 旅してる最中のあんたに役立つものがあるとしても 彼ら、つまりディケンズやシェリーやキーツの言葉は使えないな」と訳した。"quote" はもちろん「引用する」という意味だけど、ここでは「使えない」でいいだろう。

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?

ってなわけで、Every picture tells a story, don’t it!?

そうだ, 去年の同じ日 2021年4月26日 にも, あの日のことを note してた ♫

今日 2022年4月26日 15:43 に本 note(この note!)を投稿した後, 4時間以上経ってから, あ, あれをリンクさせるんだったと思いつき.. 20:13 この章を加筆。

去年のはつまり, 以下の note, 同じタイトル写真を使ってほぼ同じ趣旨の note, 内容は当然ダブる。しかし去年のは, 旅日記, 日記帳について書いたり, 横浜(港)に因んで 柳ジョージ & レイニーウッド 1979年のアルバム Y.O.K.O.H.A.M.A. を取り上げたり, 等々。だから, 同じではないのであ〜る。


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