サンタのプレゼント


プレゼント

著者
小野 大介


 鈴の音が聞こえた気がして、彼は目を開けました。眠ったふりをしていたのです。

 毛布から抜け出してベッドを下り、ドアに近づいてそっと開けて、こっそりと廊下を覗いてみると、リビングに人の気配がありました。

 お父さんでもお母さんでもない、誰かの足音が聞こえます。

「サンタさん……?」

 ガラス戸を通してリビングの様子をうかがうと、電飾が消されたクリスマスツリーのそばに、赤い人影が見える。それはなんと、待ち焦がれたサンタクロースでした。

「サンタさん!」

 彼は大喜び。リビングへ、そしてサンタの元へと走り、その足に抱きついてしまいました。これにはサンタもびっくりです。

「な、ええっ!? あっ、あの、えっと! あ……フォッフォッフォッ。これは驚いた。こんな夜遅くまで起きていてはいけないなぁ」

 大慌てのサンタでしたが、思い出したように独特な笑い方をし、自分を好いてくれている彼の頭を、老人にしては大きな手で優しく撫でてくれました。

「お父さんやお母さんを起こしてはいけないからね、しー、だよ。しー」

 サンタは立派なおひげの上に人差し指を添えて、そう言いました。

「あっ、うん。しー、しー」

 いけないと気づいたのでしょう、彼も真似をします。

「サンタさん、ボク、悪い子かなぁ……? プレゼント、もらえない?」

 不安になってしまったのか、彼は表情を曇らせて、小さな声でたずねます。

「うーん、夜更かしはいけないことだけど、今日はクリスマスだからね、特別だ。ほーら、ちゃんとプレゼントを用意してあるよ」

 サンタはクリスマスツリーの根元を指差しました。確かに、数箱のプレゼントが置いてあります。

「プレゼントだ!」

 彼は嬉しい気持ちが抑えられなくて、その場で跳びはねてしまいました。

「しー、しー」

 サンタを慌てて「しー」をします。

「あっ、しー、しー」

 彼はすぐに大人しくなりました。

「……それじゃあね。私は次の良い子のところへプレゼントを届けなければいけないから、もう行くよ」

 サンタはまた優しく彼の頭を撫でてあげると、しぼんだように細くなった白い袋を背負って後ろを振り返り、かすかに揺れているカーテンを開けようとします。

「待って!」

 すると彼がサンタのコートの裾を引っ張り、呼び止めました。

「しー、しー、しー」

 ちょっと驚いたサンタは急いで振り返り、静かにするように注意します。

 三度目なので「しー」も三回。

「あのね、サンタさんにプレゼントがあるの」

 三度目は真似してくれなかった彼。そう言うと、クリスマスツリーの根元に置かれたプレゼントの一つを指差しました。

「え……」

 キョトンとするサンタをよそに、彼はそのプレゼントを手に取りました。

「サンタさん、メリークリスマス」

 彼はプレゼントを差し出し、ニカッと笑いました。数日前に乳歯が抜けたため、上の前歯が一本ありません。

「プレゼント……? 俺に……?」

 プレゼントをもらえるなんて想像もしていなかったのでしょう、サンタは驚いて目を丸くしています。

 そっと受け取ったプレゼントの箱には、『サンタさんへ』と書かれたカードが、リボンの間に挟んであります。字を書くのがまだ不慣れなのでちょっぴりゆがんではいますが、ちゃんと読めます。

「サンタさん、プレゼントをあげてばかりでしょ? だから、ボクからプレゼントだよ」

 彼はまた笑顔を浮かべました。純真無垢な、宝石のようにまばゆくも美しい笑顔です。

「プレゼント……」

 どうしたのか、サンタは放心したようになり、その手にあるプレゼントをじっと見つめています。

「どうしたの?」

 様子がおかしいことに気づいた彼は、サンタの顔を覗きこみます。プレゼントが嬉しくなかったのかと不安を抱いたのです。

「えっ、あ……いやねぇ、とても嬉しくてね、何も言えなくなってしまったんだよ。フォッフォッフォッ。ありがとう、本当に嬉しいよ。こんなに嬉しいクリスマスは生まれて初めてだ」

 サンタはプレゼントを抱きしめました。

「ほんと? やったぁ」

 安心したのでしょう、彼の顔に愛らしさが戻りました。

 ですが、すぐにゆがんでしまいます。

「クチュンッ」

 くしゃみのせいです。

「ああ、いけない、身体が冷えてしまったんだね。このままでは風邪を引いてしまうから、もうお部屋に戻りなさい。プレゼントは朝になってから開けるんだよ。あと、私のことはお父さんやお母さんには内緒だからね。約束しておくれ」

 サンタはプレゼントを小脇に抱え、右手の小指を伸ばして差し出しました。

「うん」

 彼も右手と小指を伸ばして、サンタの小指をそっと握ります。

 指きりげんまん。

「じゃあね、来年のクリスマスまで良い子でいるんだよ」

 サンタはまた彼の頭を撫でると、きびすを返しました。少し開いていた窓から外に出て、そっと閉めました。

「サンタさん、バイバイ」

 彼は窓辺に立ち、お庭にいるサンタに手を振りました。サンタは手を振りかえすと、後ろの塀を軽やかに乗り越えて、夜の闇に消えてしまいました。

「バイバイ……」

 寂しそうに呟いた彼は、プレゼントを気にしつつも、自分の部屋へと戻りました。そして扉を閉めた途端、ウサギのようにピョンピョンと跳びはねて、そのままベッドに飛び込みました。

「サンタさんに会っちゃった! プレゼント、喜んでくれた! うふふ!」

 興奮はなかなか収まりませんでしたが、まだ幼い彼、毛布の温もりの心地よさに眠気を思い出し、気づけばウトウト。それからまもなくして寝息を立て始めました。

 きっと幸せな夢を見る。彼はそんな笑みを浮かべ、静かに眠りに落ちていきました。

 おやすみなさい。

 日付が変わってイブが終わり、今日はもうクリスマス。

 子供の家からそう遠くない公園のベンチに、彼はいた。

 サンタクロースのコスチュームを着た、三十代の男だ。

「プレゼントか……そういえば、クリスマスにプレゼントをもらうなんて、これが初めてだな。ふっ、親からももらったことがないのに、あんな小さな子からもらうなんてな」

 真っ白な湯気に包まれた独り言が、ふわりと夜空に消える。

「サンタの格好をしたのは失敗だったか。見つかったときに、そういうバイトだって誤魔化せると思ったんだけど。ハーア、俺ってやっぱりダメだなぁ……」

 彼は大きな溜め息をついて、項垂れた。

「あてつけのつもりがこんなことになるとは……こういうのを因果応報って言うのかねぇ。ハァー、どうしよう……」

 独りでいることが多い彼は、自分を相手に会話するのが癖になっていた。まさに自問自答である。

「今さらどうすることもできないよな。なるようにしかならない……いっ、いや、これ以上はダメだ、戻れない! そんな馬鹿なこと、そんな恐ろしいこと、俺には絶対できない! 嫌だ……!」

 彼の脳裏に、この窮地を脱するための手段が次々に生まれるも、その度に頭を振り、しまいには殴ってでも強引に掻き消している。

 魔が差す。それがいかに恐ろしいことかを、彼はいま心底思い知った。

「そっ、そんなことより! これだよ、これ! プレゼント! これ、何が入ってるのかな?」

 彼は、もはや独り言とは思えない声量でつぶやいて自分を誤魔化すと、傍らに置いてあったプレゼントに目をやった。

 外灯の明かりの下で見て初めて知ったが、包装紙にはサンタやトナカイのイラストが描かれていた。

「あれ? これって……」

 彼は気づいた、箱の包装が雑なことや、リボンが固結びになっていることに。見るからに稚拙で、とても店で買ったとは思えない出来である。

「もしかして、あの子の手作り? そんなにサンタのことが……」

 ますます、中に何が入っているのかが気になった。

 彼は急いで手袋を取り、リボンを解きにかかる。しかし、固結びになっているのでなかなか解けない。寒さで手がかじかんでしまって、なおさら解けない。

 彼は横着者で、普段ならリボンも包装紙も強引に引っぺがしてしまう。それで箱がゆがもうが、中身が多少傷ついてしまおうが、いつもなら知らんぷりだ。けれども、今回ばかりはそんな真似はできなかった。あの愛らしい笑顔が脳裏に焼き付いているからだ。

 包装紙を開けると、白い箱。そのフタには、若干へしゃげたサンタの絵が描かれていた。絵は最初からそうで、箱には一切のゆがみが無く、きれいなものだ。

 中には何が入っているのだろう?

 彼はちょっぴり期待しつつ、フタを開けた。すると中には、紙粘土で作られたサンタの人形や、サンタへのお礼の手紙。手作りと思われるお菓子に、新品のカイロが数枚と、色々入っていた。

 子供ながら精一杯考えたプレゼントと、そんな感じだった。

「ハハ、下手くそだなぁ」

 人形は辛うじて人の形をしている程度で、色が塗られていなければサンタとは思えない代物だった。

 手紙はクレヨンで書かれていて、ひらがなばかりだった。字を書くのが不慣れなのか、“ち”や、“す”が逆を向いていたり、“ほ”の右側が“ま”になっていたりする。

 お菓子も手作り感満載だ。

「これ、サンタの顔か? サンタがサンタを食べるのってどうなんだ?」

 彼は苦笑いを浮かべつつ、お菓子を一つ口にした。バターの香ばしい香りやホワイトチョコレートの甘み、それにちょっぴり焦げた感じの苦みが口一杯に広がった。

 そして最後にやってきたのは、自分の涙と鼻水のしょっぱさだった。

「ダメだ……これは俺なんかが食べていいもんじゃねぇ。そんな資格、俺には無い……」

 彼の涙がプレゼントを濡らす。

「ごめんな、俺、サンタじゃなくて、ほんとごめんな……」

 申し訳ない気持ちで一杯だった。自分が情けなくて堪らなかった。それなのに胸の奥のほうがじーんと温かくて、嬉しくて、ありがたくて。

 こんな、なんとも言えない気持ちになったのは、生まれて初めてのことだった。言い表すのがとにかく難しくて、言葉に詰まってしまう。けれど、頭の中はある思いに駆られていた。

「ぐすっ、ずずっ。……ダメだよな。偽者だけど、あの子にとって俺はサンタなんだ。だったらサンタらしく、ちゃんと責任を取らなきゃダメだ」

 彼は決心を固めると、袖で涙と鼻水を拭い、おもむろに席を立った。フタを閉じたプレゼントを小脇に抱えて、しっかりとした足取りで公園を後にする。

 街灯の明かりに照らされただけの、無人の夜道。寒風に震えながらも歩いた彼は、ある場所でようやく足を止めた。

 それは最寄りの警察署だった。

「ごめんな、ありがとうな」

 彼はプレゼントをそっと撫でた。

「サンタなんかいないって、いるはずがないってずっと思ってたけど、本当はいてほしいって思ってた……この年になって、やっと会えたよ。サンタはやっぱりいるんだな。前歯の抜けた、可愛らしいサンタだったけど」

 あの無邪気な笑顔を思い出すと、つい顔がほころんでしまう。

 覚悟を決めるのに時間はかからなかったが、口元の緩みを取るのには、それなりの時間を要した。

 彼は一度深呼吸をして心を落ち着けると、入り口へと歩を進めた。その顔にはもう迷いやためらいは無く、眼差しは清々しいほどにまっすぐだった。

「すみません、俺、泥棒をしました」

 自首したときの彼の表情は、積年のつかえから解放されたように、安らかなものだった。


【完】


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