EP8 文武両道を捨て去る

「文武両道」それは、僕が入学した高校の崇高な理念であり、僕が目指す姿でもあった。僕は陸上部の長距離部員として、それを目指して日々勉強と部活に励んでいたのだった。

5月の中頃、高校総体の県大会も終わり、3年生は引退した。そして、今まで別メニューをしていた僕ともう一人の長距離部員Tは本格的に、先輩と同じメニューをやらされるようになった。距離は一気に増え、設定タイムも今より断然速い。一言で言えば、練習が厳しくなったのである。さらに、指導者のAは昔気質の厳しい指導者のため、「自分たちの時代は血尿がでるまで走った。」とか、全体ミーティングでの名指しでの批判、30分を超える長い説教など精神的な圧迫もあった。(これに耐えて、文武両道を成し遂げていた長距離部員の先輩はすごいと今でも思う。)

僕は厳しくなる練習からくる肉体疲労、そして精神疲労に敗れるようになっていた。夜の8時半ごろに家に帰って、夕飯を食べて、風呂に入って、ストレス解消という大義名分のもと少しだけテレビを見て、やがて眠くなる。そして睡眠欲のままに寝る。気が付けば、朝の6時15分、起きて身支度をしなければならない。勉強する時間と行為はどこへ?

この疲労からの逃げの精神が、僕の高校生活を堕落させていくことになるのだが、その時の僕は気づきもしない。工夫もせず、疲労に負ける生活がその後も続いた。

授業中はいかにばれないように睡眠をして疲労回復するか。行きと帰りの電車のなかではいかに席を確保し、どれだけ睡眠するか。家に帰れば、いかに早く寝られるか。寝ることしか考えていないのだ。そんな僕を後目に、他の運動部の人は電車の中で勉強をするとか、眠くなる夜は早く寝て、朝早く起きて勉強するとか、何かしらの工夫をしていたのだった。これこそ、文武両道と呼ばれるものである。僕のように口先だけの文武両道とは違うのだ。

僕の勉強は常に突貫工事。予習と言われても、家でやらない。(余談:大学に入ってから、教育経済学の予習は費用体効果が低いという、論文を見てことさら予習を重視していた先生たちはなんだったのだと愕然とした経験がある。)、数学などで板書があてられても、教科書ガイドで答えを見る等、勉強が只の事務処理作業化していったのだ。

厳しい練習から来る疲労、短期的な欲望にすぐ負けてしまう自分、そして事務処理作業化していく勉強。僕は次第にこの高校に一体何をしに来たのか忘れていた。そして、「文武両道」などという理念をいつしか捨て去ったのであった。

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