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『教科書にない日本の歴史〜災害国日本の備え〜』

こんにちは^^

皆さんは学生時代、歴史は好きでしたか?と言っても勉強は好きでも嫌いでもやってきたと思います。その中でも歴史というのは皆さんにとってどのようなイメージでしたか?私は年代とか人の名前とか出来事の名称とかを暗記する科目のイメージです。

そのため歴史は嫌いでしたが、今一度歴史の勉強をしてみるとおもしろすぎることがわかりました。なぜなら、ただただ暗記していた時とは違い、何故その出来事が起きたのか?その歴史がどうつながるのか?を勉強したからです。

できるだけ短くまとめますので、読んでいただけたら幸いです。

※基礎的な部分などは端折ってあります。

|第一次世界大戦勝利で好景気

第一次世界大戦に勝利した日本に好景気が訪れました。

この時に流行ったのが、モダンガールモダンボーイ、またも街中を走るようになりました。この時のモダンな服装というのは、現代でも通用するくらいハイセンスなものでした。

しかしこの好景気もつかの間、数年後に坂道を下ることになります。

その始まりとなったのが関東大震災です。

|関東大震災の発生

1923年9月1日 被災者数:190万人 死者・行方不明者数:14万2800人  負傷者:10万人 全壊家屋:12万棟 半壊家屋:12万棟 焼けた家屋:44万棟

この時の首都圏の人口は200万人強と言われています。(江戸時代の首都圏の人口も200万人~250万人程)

明治時代に発生した地震での死者数は約1万人ほどでした。この時は木造家屋が多くありました。それに比べて大正時代はレンガ造りの家屋後多くあったにもかかわらず死者は14万人も出ました。

何故14倍にもなったのでしょうか?

それは大火災が原因です。

地震後に起きた火災はすべて消されていました。しかし、その翌日東京中を大火災が襲い火災旋風と言われるものが起きました。(この時隅田川横の河川敷は避難所となっていたがそこが燃え多くの死者が出た➡桜の木が植えられ今は桜の名所になっています。

ではなぜ火災が起きたのでしょうか?

略奪し証拠隠滅のために火付けをしたそうです。しかしこれは日本の文化にはないことです。日本の習慣は、みんなで火を消しお互いを助け合う、というものです。つまり火付けをしたのは当時増えていた海外の人によるものだと考えられます。

しかしこれは大々的に報道することはなく規制を掛けました。その理由は、悪くない人まで被害にあい、紛争が起きたら困るからです。

日本人の視野の広さや思いやりの心が見られますね。

|関東大震災の影響

シャープ株式会社を皆さんご存じかと思います。当時シャープはシャープペンシルを生産していました。しかし、震災で工場が全壊しその後ラジオの生産を始めました。

他にも多くの会社が影響を受け日本経済に大きな悪影響を及ぼしました。

|負のスパイラル

景気の悪化はこれだけに収まらず、6年後にブラックマンデー令化で大飢餓が起こります。この時は売娘もあったほど人々の生活が苦しくなっていました。

大名がいた時代はお米を蓄え備えていました。しかし大正時代になると大名がいないため、税金等はお米ではなく現金でやり取りが行われていました。そのためお米の備蓄がなく、ここまで追いつめられることとなりました。

※海外の文化を取り入れるのもよいが、日本の国土を考えて取り入れる。無理に海外に標準を合わせたり追いつこうとする必要はない。

|つづく・・・

お読みいただきありがとうございました。

いかがだったでしょうか?歴史から学べることは多いですよね。

今回は第一次大戦から不況に陥るまでを書かせていただきました。

次回はワシントン会議が開かれた後から、日本は弱国となり世界から格下に見られるようになっていった歴史をわかりやすく短く記事にします。

ではまた^^

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