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「ノスタルジア」/アンドレイ・タルコフスキー監督

「何を言ってるかわかねーと思うが、おれも何をされたかわからなかった」という言葉が頭によぎる時がある。「ジョジョの奇妙な冒険・スターダストクルセーダース」のポルナレフが最後の決戦でディオに遭遇した時の言葉である。

真夏の鎌倉川喜多映画記念館を一歩出たときも、このセリフが口からついて出た。タルコフスキーは、いわば私にとってディオほど恐ろしい存在だと感じたのだと思う。

美しいけれどいかにも難解。
タルコフスキーの映画に対する印象だった。

「巨匠」と呼ばれるからには、本丸は映像の美しさではないのだろう。「意味がわからない」と感じてしまったらどうしよう。くだらないプライドと恐怖のせいでずっと敬遠していた。

しかし、地元である鎌倉川喜多映画記念館で上映されるという。
怖い。けれど見るなら映画館で観たい。観ないわけにはいかない。

というわけで、観た。

初タルコフスキーは衝撃がデカく、興奮が冷める前に書き留めなくてはと慌ててキーボードを打っている。

そしてノート公開は、鑑賞2年後の今になった。笑
この間、いろいろ起きたがその出来事はひとまず割愛して、映画の話をさせていただく。

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ロウソクを対岸に持っていくアンドレイ

映画とは何か

いきなり話は逸れるが、2020年はイメージフォーラム研究所のアニメーション学科に通い、1年ほど実験・アート映画を見まくっていた。
「意味がわかる」「物語が面白い」という眼差しではなく、「映画とは何か」「映像は何を伝えられるのか」という姿勢を鍛えてもらう非常に有意義で楽しい経験をした。

この1年を経て、絵画や小説も断然面白くなった気もしていて、アートに対する考え方やリスペクトが変容。難解といわれる作品も見方を変えて、楽しみ方を工夫できるようになってきた。
けれど、タルコフスキー「ノスタルジア」はマジで、全然意味がわからなかった。

いつも「役者」「撮影」など気になったところを項目分けして書いているが、項目も分けられない。意味がわかんないから。

しかし、めちゃくちゃ不思議なのが、2021年当時こうやって記事を書くために写真を眺めてると、どれも心の奥底で「キュン」と、非常に寂しげで、切実な感情が動く。美しく、壮大な景色の中にある主人公の孤独といえば良いか…また「あの世界」に戻り、再体験したくなるのである。

意味が全くわからないのに、内容は伝わっているということなのか

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「ノスタルジア」の一幕

あらすじ

…を書こうとしたまま、2年前の私はキーボードを打つのをやめた。でも改めて。あらすじをまとめてみようと思う。

ロシアから離れて心臓病を患う主人公が、助手兼通訳の美人女性とイタリアへ。ロシアの音楽家の足跡を追っていた。しかし、病気により旅の終焉を迎えつつある中、とある狂人とされる男に「ロウソクの火を消さずに広場を渡る」という願いを託される。

「ノスタルジア」から学んだこと

というお話である。このあらすじだけを読むと、わけがわからないと思うが、それで良い。「訳がわかる」ことが問題ではないことを、この映画は教えてくれる。

「理解する」というより、感じる、咀嚼する、映像に没頭することで得る体験が、映画の醍醐味ではないか。そんなに物語が大事か。物語の向こうにある心が大事なのではないか。そう問われているような映画であり、観てから2年以上経った今でも、この映画を自分の中でどう扱うか、問い続けている。

「ロウソクの火を消さずに対岸に行く事ができるのか」という問いを自分に投げかけているというか。

この映画は色々な解釈があるが、大事なポイントはタルコフスキー自身がロシアから亡命し、故郷に帰れなかった事実がある。私にとって、タルコフスキーは他人であり、彼がどういう人生を辿ったかなんてどうでもいいことのはずなのだが、この映画を見ると「全くどうでも良くなくなる」。ある映像作家が自由を追い求めて故郷を離れたが、そこがどんな故郷であれ、愛して祈りを捧げているのだ、と。

「ああ、それはロシアに生まれたからだな」と思うのもよし、「タルコフスキーやっぱかっこいいな」と思うのもよし、どういう鑑賞の仕方があっても良い。

が、自分が強烈に感じたのは、これは「タルコフスキーにしか語れない感情である」こと。その人しか語れない感情は、何にも増してパワーがあり、尊いものだということ。

まとめ

この映画に関して、まとめられる感想などないのだが…
「物語」「社会性」「わかりやすさ」などが重要視されている商業映画が多いように感じるが、映画はそれだけでは面白くないなと思う。

果たして「ノスタルジア」が面白い映画なのか、と問われると私はまだ答えに窮してしまうのだが、この映画が作られることに重要な意味があると考えている。

要は、寛容だな、と。

個人を題材にした物語を、こうやってお金をかけて撮る。人々が見て評価する。舞台がロシアだったから、ということも大いにあり得るが、今の世界はどんな個人の物語でも「価値」はあると思う。どんな個人の物語でも「社会性」はあると思う。

いろんな見え方、人生の体験の仕方があるのだ、と躊躇なく撮られた作品をもっと見たいし、これから生まれて欲しいな、と。
自分に照らし合わせて考えると、非常にそれが実現しにくい世界だということも理解しつつ、やはり私はロウソクを対岸に届けることを頑張り続けなくてはと思う次第。


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