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待つ方がいいのか、待たせる方がいいのか——太宰 治『待つ』『走れメロス』

拝啓

色づきはじめたもみじに小糠雨がそぼふるなか、あなたへの手紙をしたため始めました。

あなたからの便りを待つうちに、季節がすっかり移ろいました。つい半月前は、ちょっと出かけると汗ばむほどでした。それが秋をとおり越して、にわかに冬が近づいた感を覚えます。

手紙というのは本来、時と向き合わなければならない術です。メールでは即配即読即返事が当然でも、手書きのふみにはとうてい叶わぬこと。思いのままに書いたのを、読み直してつい熱くなった己を省みる。真実に伝えたいことも能わずにもどかしい。ほぞを固めて投函したとて、無事に先方へ届いたか、目をとおしてもらえたか、手前に知る術はありません。

片便りも覚悟のうえで、私はこの往復書簡に臨んでいます。だから1か月でも2か月でも待つことができる。でも、待ち焦がれているのも、真実。焦れる思いにさいなまれるなか、「待つ」とは、いったいどのようなことなのだろうと考えていました。何を待っているのか。何を期待しているのか。もとより、なぜ手紙を書くのだろう。雲が途切れ、わずかに見えてきた晴れ間を仰ぎながら、ふと太宰治の掌編『待つ』を思いました。

太宰治「女生徒」に『待つ』が収録されています

「私」は毎日、小さな駅に人を迎えに行っている。誰ともわからない人を迎えに。買い物帰りに駅に必ず立ち寄り、冷たいベンチに腰をかけ、改札口をぼんやり眺めている。たくさんの人が電車から降り、「私」の前を通り過ぎる。誰かが「私」に声をかけると、怖れを抱き、胸がドキドキしてしまう。いったい自分は誰を待っているのか。自分でもよくわからない。けれども、「私」はやっぱり誰かを待っている。胸を躍らせて待っている。買い物かごを抱え、細く震えながら一心一心に待っている。そんな「私」を忘れないでほしい。どうか覚えていてほしい。その駅がどこなのか、教えるつもりはない。それでも、あなたは、いつか「私」を見かける。

私は待っている。でも、誰をと問われても、その誰かがわからない。私を覚えていてほしい。けれど、私の所在を教えるつもりはない。この20歳の女と同じように私も問いかける。自分は何を待っているのだろう。誰を待っているのだろう。何を期待しているのだろう。それでも待ち続ける。買い物かごを抱える代わりに、万年筆を握って。

私は気長にあなたの手紙を待っている。あなたからすると、私を待たせていることになる。待つのは勝手だ。けれども私が待つことで、あなたは待たせる身のつらさを感じてしまうでしょうか。

というのも、自分でもわからない誰かを待つ女の物語に対して、同じ太宰治による、待たせる男の物語を思い出したのです。そう、あの『走れメロス』

嫁ぐ妹のために村からシラクスの市へ出てきたメロスは、不信感に凝り固まる国王の悪政を知り、城へ押し掛けるが逆に捕えられてしまう。自分の命は惜しくないが、せめて妹に結婚式を挙げさせたいと、竹馬の友セリヌンティウスを人質にして、処刑に3日の猶予を申し出る。急いで故郷の村に帰り、妹の結婚式を開き、またシラクスに向かうが、大雨で増水した川の激流に行く手を阻まれたり、山賊に襲われたりして、メロスはもはや走れなくなる。さらにセリヌンティウスの弟子がメロスにささやく。あの方はメロスを信じていた。しかし、もう間に合わない。あきらめて自分を大切にしてほしいと。それに対してメロスはいう。

それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。

『走れメロス』

往復書簡を交わしませんかと誘ったのは、この私。自分でもわからない誰かを待ち続けるために。それに対してあなたは、能動的に受け止めてお返事をくださった。私はそれがたまらなく嬉しかった。夢中になって返事を書いた。あなたからのさらなる返事も貪るように読んだ。何事にも代えられない、この喜びを信じて、あなたの手紙を待っている。

もしかすると、あなたは返信を書くのに気詰まりなのかもしれない。日々の暮らしに追われ、手間ひまのかかる手紙をしたためるのはどうしても後回しになってしまう。けれども、待つ人がいることを知ったらどうだろう。待つ方がいいか、待たせる方がいいのか。待つ方がつらいのか、待たせる方がつらいのか。そんなことを、太宰治とともに考えているうちに、雨上がりの青空がひろがりました。

先日は久しぶりに海を見てきました。冬が始まる前に一度、富士の山も仰ぎみたい。本栖湖まで足を伸ばそうかと考えています。さすがに月見草の季節ではありませんが、駆け足で過ぎゆく秋をつかまえられたらと思います。

敬具

既視の海

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