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小説『オールド・クロック・カフェ』 3杯め 「カマキリの夢」(2)

前回のストーリーは、こちらから、どうぞ

<あらすじ>
『不器用たちのやさしい風』で明るい脇役として登場した松尾晴樹。茨城県北部の日立市から、婚活失敗の傷心を癒そうと夜通しバイクで駆けてきた晴樹は、清水寺の門前で夜明けを迎える。清水寺には7年前に、元カノの由真と訪れていた。早朝の清水寺を参拝し、腹をすかせた晴樹は、『オールド・クロック・カフェ』にたどりつく。
<登場人物>
茨城のライダー:松尾晴樹
晴樹の元恋人:由真 
 カフェの店主:桂子  
カフェの常連客:泰郎  
 晴樹の元同僚:森本達也


* * Third Cup of Coffee * *

 表の木戸をくぐったまま立ちつくしている晴樹の傍らを、箒と手桶を持った桂子がすり抜ける。その背を風が追う。
 ちりん、ちりん。
 涼やかな音がして、軒に吊るしたすだれが揺れた。
 小さな庭の向こうに年季の入った日本家屋がある。玄関先には丈の長い、藤色の麻の暖簾のれんが掛けられている。桂子が暖簾をあげながら、小首をかしげて晴樹を振り返る。
 ちりん、ちりん。
 風のに背を押され、晴樹もあわてて飛び石をわたる。

「どうぞ」
 桂子にうながされ、黒光りしている土間に足を踏み入れて、晴樹はあんぐりと口を開けた。壁という壁に柱時計が掛けられている。
「すっげぇ。なに、これ!」
 どかどかとライダーブーツの音をたて壁に近づき順に柱時計を見て回る。
「全部でいくつあるんだ? すっげぇ!」
 感嘆の声をあげて晴樹が振り返ったそのとき、初老の男がぶらりと入ってきた。

「桂ちゃん、おはようさん」
 藍の作務衣を着た男が、新聞を持った手をあげてあいさつする。
「泰郎さん。いらっしゃい」
「今日も朝から空気がぬるいけど、ここはええかげんに涼しいなぁ。戸は開けといたほうが、ええか?」
「そやねぇ。もうちょっと風、通しとこうかな。泰郎さんのガラスの風鈴が、いい音色、響かせてくれてるし」
 ちりん、ちりん。風がそよと吹きぬける。
 
「お、珍しな。今日は俺が一番乗りちゃうんや」
 泰郎はさっそくカウンターに腰かけて、新聞を広げる。
「桂ちゃん、俺は適当にやっとくさかい。あっちのお客さんの相手してや」
 桂子はうなずいてポットを火にかけ、ちょっと考えてから、グラスと湯呑を用意した。冷蔵庫で冷やしたグラスに、レモンを浮かべた冷水を注ぐ。湯呑には、熱いほうじ茶を淹れる。それらを盆にのせて、カウンターを出た。

 晴樹はカフェに足を踏み入れてからせわしなかった。壁を覆いつくしている柱時計の前を行ったり来たり、下からのぞいたり、側面を調べたり。目を輝かせておもちゃ屋の棚を物色する子どものようだった。

「時計がお好きなんですか?」
 グラスと湯呑をのせた盆を持った桂子が、その背に声をかける。
「いやぁ、時計が好きっていうか。メカが好きなんすよ」
 晴樹は頭を掻きながら振り返る。
「実家が小さな食品工場をやってて。工場のでかい機械もおもろいけど、バイクのメカとか、こういう小さいメカ類って、最高っすよね」
「祖父が聞いたら、喜びそう」
「このカフェは、半年前まで祖父がやってたんです。大の時計好きで。骨董市に行っては柱時計を買ってきて。骨董市に並んでるもんなんて、たいていは壊れてて動かへんでしょ。それを直して、手入れして。今では32個もあるんです」
「へぇー。壊れてたのを修理したんだ」
 へぇー、すごいなぁ。へぇー。ぐるりと時計を見まわしながら、感心のつぶやきがもれる。明らかにじぶんより10歳は年上にみえる男のはしゃぎように、桂子はくすりと微笑む。おじいちゃんと、ちょっと似てるかも。

「お好きな席に、どうぞ」
 桂子が盆を持ったまま、うながす。 
「テーブル席でも、いいっすか。時計を眺めたいんで」
「ええ、どうぞ」
 テーブル席にはすっぽりと体を包んでくれそうな籐のアームチェアが2脚ずつ置いてある。梅雨もしまいになった先日、泰郎に手伝ってもらって、夏用の椅子に替えたところだ。
「この時計、変わってるなぁ」
「あ、それは、祇園祭の長刀鉾なぎなたぼこの柱時計です。長刀鉾は祇園を代表する鉾で。『くじとらず』いうて、山鉾巡行の先頭は長刀鉾がお決まりなんです。こんな時計、京都でしか見かけへんかもしれませんね」
 山鉾をかたどった時計の屋根に、すくっと長い長刀が天をさして伸びている。鉾の装飾を模しているから、赤い色あいも目を引く。

「あ、じゃあ、この時計の下の席にします」
 通り庭に面した窓際のテーブル席を指す。
「ちょっと椅子、動かしてもいいっすかね」
 そう尋ねながら、晴樹は時計を真正面から眺められるように、籐の椅子を動かす。桂子がテーブルにグラスと湯呑を並べる。

「遠いところを、ようこそ。まずは、グラスのお水で喉をうるおしてください。湯呑には、熱いほうじ茶を淹れてます。汗がひいたら、ほうじ茶をどうぞ。こっちのほうが、喉の渇きをいやして‥‥」

 コンチキチン、コンチキチン。

 突然、桂子の説明をさえぎるように、甲高いお囃子に似た金属音が響いた。
「あっ!」
 思わず声をあげて、桂子が目の前の柱時計を見あげる。
 泰郎が読んでいた新聞を放り出して駆け寄る。クロックスがつっかえてまろびそうになっている。
「鳴ったんは、これか!」
 泰郎が山鉾の柱時計を指さす。
「うん。30番の長刀鉾時計やね」
「兄ちゃん、おめでとう」
 泰郎が晴樹の肩をぽんと叩く。晴樹は何が起こったのかわからず、きょとんとした顔で座ったまま、ふたりを見あげる。

「時のコーヒーが飲めるなんてなぁ。ほんまにラッキーやで」
 今日は、なんかええことありそうな予感がしとったんや。泰郎がにこにこしながらまくしたてる。
「泰郎さん、お客さんがびっくりしてはるわ」
「ほんまや、かんにん」
 泰郎がひとつ深呼吸をしてから続ける。
「ここのカフェの裏メニューちゅうか、特別メニューに『時のコーヒー』いうのがあるんや」
「これがな、誰でも飲めるコーヒーやのうてな。『時計に選ばれんとあかん』いう特別なコーヒーなんや」
「はぁ」
 いつもはどちらかというと、場を盛りあげるタイプの晴樹が、白髪が目立つ初老の男の見幕に圧倒されている。
「俺もこないだ初めて飲むことができたんやけどな。30年近くこのカフェに通って初めてや。時計に選んでもろたんわ。俺のときは、あの鳩時計が鳴った」
 反対側の壁に掛かっている緑の鳩時計を指さす。

「それって、ふつうのコーヒーと何か違うんですか?」
 素朴な疑問を口にする。
「時のコーヒーはな、過去の忘れものに気づかせてくれるんや」
「忘れもの?」 
 晴樹が怪訝なまなざしで泰郎を見る。それに気づいた桂子が後をついだ。

「カウンターの向こうに小さな抽斗ひきだしのついた棚があるのが、見えますか? 時計には1番から32番まで番号がついてて、あそこに番号順に豆が入れてあるんです」
「ちょうど今みたいなタイミングで。注文をとろうかというときに、時間でもないのに時計が鳴ることがあるんですけど。それが合図で、そのときに鳴った時計の番号の豆で淹れるのが、『時のコーヒー』です」
「時のコーヒーを飲むと、過去の夢を見るんやそうです。それで、忘れていただいじな記憶を思い出す。時計が忘れものに気づかせてくれるんです」
「時計が鳴ってないときに淹れても、ふつうの美味しいコーヒーにしかなりません。それに『時計は気まぐれやさかい、気に入った客にしか鳴らへん』て、祖父が言うてました」
「店をついで半年になるんですけど。今までに鳴ったのは4回だけ。その4人めが、この泰郎さんです」
 桂子が隣の泰郎に顔を向け微笑む。口角があがると、えくぼが現われる。
「おかげで俺は、娘とのだいじな約束を思い出せたんや」
 この話のいったい、どこからどこまでを信じたらいいのか。
 晴樹は顔をあげて、桂子と泰郎を交互に見る。ふたりの目にからかいの色はなかった。

「めったにないチャンスや。一見いちげんさんで時計に選ばれるなんて、ほんまにラッキーやで。絶対、なんか忘れてるだいじなことがあるんや。それを時計が教えてくれる。騙されたと思うて『時のコーヒー』を飲んどき」
 この見ず知らずのおっさんは、なんでこうも熱心に薦めてくるんだろ。忘れものなんか、山のようにある。そんなの今さら思い出したところで、どうなるもんでもないような気はするけど。まぁ、どんなコーヒーか、そこは気になる。森本にLINEで自慢する話題ぐらいにはなるか。

「じゃあ、せっかくやから、その『時のコーヒー』を飲んでみます」
「そうか、そうか。それが、ええ」
 泰郎が晴樹の肩をぱんぱんと叩きながら、桂子に笑顔を返す。
 しっかし、このおっさんの手、ぶ厚いなぁ。何してる人だ?

「では、30番の時のコーヒーをご用意しますね」
「お腹が空いたって言うてはりましたけど。何をお作りしましょう。すぐにご用意できるのは、トースト、サンドイッチ、クロックムッシュですけど」
「どれが、いちばん腹がふくれますかね」
「うーん、クロックムッシュかな」
 桂子が小首をかしげて答える。
「じゃあ、それで」
「はい、かしこまりました」
 

 桂子が盆をかかえて小走りでカウンターにもどる。
 泰郎は、そのまま、晴樹の向かいに腰かけた。
 長刀鉾の柱時計は、1時7分を指していた。

(to be continued)

(3)へ続く→


本作の主人公、松尾晴樹が脇役として登場する、さわきゆりさんの『不器用たちのやさしい風』も、あわせてお愉しみください。

https://note.com/589sunflower/m/me08a78c52363


『オールド・クロック・カフェ』1杯めは、こちらから、どうぞ。

2杯めは、こちらから、どうぞ。


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