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アンノウン・デスティニィ 第24話「ノゾミ(5)」

第1話は、こちらから、どうぞ。

第24話:ノゾミ(5)

【2041年5月13日、鏡の世界、つくば市・アンノウン・ベイビー園】
《そこを右に曲がって》
 キョウカはピアスインカムから聞こえてくるユイの声に従い廊下を進んでいた。ときどき白衣姿に出会う。軽く会釈し顔を伏せぎみにして足早にかわす。黒のカラコンをつけ、ストレートボブの黒髪が肩でゆれる。
「そのピアスはインカムなんでしょ」
 ユイがシンプルなシルバーのフープピアスを指さす。
「マイクで指示するから、ちゃあんと画像を押さえてきてね」
 別れぎわにユイから指示された。
 あの子はなに者なのだ。4歳にしては高すぎる知的レベル。そして今も透視能力とやらを使って、キョウカに進路を指示してくる。アンノウン・ベイビーはみんなユイのような能力を持っているのだろうか。
 キョウカはユイの指示どおり廊下を右に曲がる。
 
「1時半からの見学予定で、あたしとエントランスで会ったことにして」
 設定を説明するとユイはまたアスカに抱っこしろという。「だって、マイクはシャツの襟もとでしょ」当然じゃない、という顔をして。
 犬を連れていくわけにはいかないのでエントランス近くの植え込みにゴールデンレトリバーのカイを隠すと、ユイは廊下を左に進めと指示する。
「右側から来る園長を足止めするんじゃなかったの」アスカがただすと、
「そのまえに見せたいたいものがある」という。
「心配しなくてもだいじょうぶ。どうせ園長もこっちに来るから」と笑う。
 4歳の子に心配されるとは。どちらが大人かわからない。
 廊下の端を左に折れると、その先はクランク状にまた折れ曲がっていた。
「建物のなかも迷路になってるの?」
「エントランス付近が、少しだけ」
「それも逃亡防止?」
「追いかけて捕まえやすくするためだと思う」
 そう、とアスカはため息をつく。籠の鳥にするための構造か。
 クランクを3回曲がると明るい回廊に出た。
 周囲を校舎に囲まれた芝生の園庭が広がっていた。1辺50メートル以上はありそうな正方形の庭で、小学校の運動場よりすこし小さいくらいの大きさだった。すべり台やブランコなどカラフルな遊具が置かれ、庭の三方を屋根つきのオープンタイプの回廊が取り囲んでいる。唯一、回廊がなくのっぺりとした白壁なのは、エントランスのある建物だった。これも逃亡防止策の一環か。昼休みだろうか。たくさんの幼児たちが遊んでいた。楽しげな笑い声が青い空に吸いこまれていく。ここが人工的に生産されたアンノウン・ベイビーたちの施設だと知らなければ、平凡でのどかな光景だった。
「あたしは生まれつき目がよく見えなくて、光しかわからないでしょ」
 回廊に置かれているベンチにユイと腰かける。
「アンノウン・ベイビーは、みんな何かの障害をもってるの」
 えっ、と驚愕の目を向ける。アスカの驚きにはかまわず、ユイは続ける。
「コウモリのリュックを背負っている子は、あたしと同じね」
 ユイと同じリュックを背負っている子が何人もいた。
「その子たちにも透視能力はあるの?」
「ないよ。透視できるのはあたしだけ」
「すべり台を滑ってるあの子は、音が聞こえにくい」
「砂遊びしてる子は、足の指が6本ある」
「ニット帽をかぶってる子は、耳たぶがほとんどない」
 ユイは遊んでいる子を次つぎに指さす。
「あたしたちはね、欠けた子なの。親もいない、欠けた子」
 アスカは唇をかむ。返す言葉がない。立ちあがってユイを抱きあげ、きつく抱きしめる。喉の裏側を熱く苦いものが滑り降りる。こんな世界をだれがつくった。長塚大臣の皮膚のたれさがった顔が脳裡に浮かんだが、アスカはそれを瞬時に打ち消す。あたしだって『優性卵プロジェクト』に深く考えもせずに卵子を提供したじゃないか。
「みんなふつうにみえるのにね」
 絞りだすようにつぶやいて、自分ではっとする。
 いや違う。「ふつう」って何? ふつうじゃなきゃいけない? そんなことはない。それでも、アンノウン・ベイビー園はまちがっている。思考がぐちゃぐちゃだ。
「脚や腕がないとか見た目でぱっとわかる畸形の子は、特別室にいる」
 特別室? いやな考えがよぎる。
「歩行が困難だったりするから?」
「それもあるけど」ユイがぎゅっとしがみつく。
「見せたくないからよ、見学者に」
 
「園長が来た」ユイがアスカの耳もとでささやく。
 白衣を羽織った女性が、先ほどアスカたちが通ってきた廊下の奥からヒールを響かせてやって来る。その顔にアスカは目を剥く。見まちがうはずがない。森山たか子だ。参院選の立候補を断念したことは知っている。あれから何があったのか。弁護士を辞めた? いや、おそらく国家プロジェクトの名ばかりの広告塔なのだろう。
「見学の方ですか?」
「1時半からですが、迷ってしまいまして」
 アスカはおどおどとした口調でキーを半音さげ男の声音を偽装する。
「あの……森山たか子先生ですよね」
「ええ」
「園長になられたのは知ってましたが、まさかお会いできるなんて」
「まあそうですか。まだ時間がありますから私がご案内しましょう」
 さりげなくユイの名札を一瞥し、「ユイちゃん、先生が抱っこしてあげるわ」とユイを抱きとろうと手を伸ばすが、ユイはアスカの首にしがみついている。
「ぼくに抱っこさせてください。なついてくれたのがうれしくて」
「そうですか、それなら」と手を引っ込める。
「あなたのように子どもを心から慈しんでいただける方にこそ、養子縁組をしていただきたいと願っています。ご承知のように……」
 森山はアンノウン・ベイビーとの養子縁組がいかにすばらしいかについて、マニュアルを読みあげるようになめらかに語る。
「養子縁組をご希望される方には、何度でも見学していただきたいのですが。それでは見学者であふれてしまい、まるで動物園のようになりますでしょう。子どもたちの発育にも影響しますので、見学は2回までとさせていただいています」
(ちがう。何度も来られて障害がばれるのをおそれてるの)ユイが耳もとでなじる。
「手続き書類などをお渡しいたしますので、こちらに」
 森山が先にたって歩きだしたときだった。
 園庭に目がくらむような閃光が走った。
 アスカはとっさにユイの顔を自分の胸に押しつけ、光からかばう。
 光の中心に黒スーツの男が現れた。
 額の中央にある三日月型の傷が光に照らされる。あの傷に見覚えがある。『フォレストみやま』で斃し損ねた黒龍会の構成員にまちがいない。
「アスカ、いまの光は何?」
 インカムからキョウカの鋭い声がした。
「黒龍会の生き残りがワープしてきた」
「なんですって。どうする? 逃げる?」
「いや、子どもたちを危険に曝せない。あたしがおとりになって、迷路に誘い込む」
「ラジャー。こんどこそ仕留めるわよ」
 アスカはウィッグをはずす。金髪がさあっとほどけ、光にきらめく。
 傍らで身を低くしていた森山が驚き目をみはる。
「園長、緊急事態なので詳しいことはあとで。あれは時空をワープしてきた黒龍会の構成員です。園児たちの安全を最優先したい。あたしの指示に従ってください」
 白衣の保育士たちが子どもたちを屋内へ避難させようと必死になっている。光の戦士が現れたとでも思っているのだろうか、近づこうとする子が何人もいる。
「110番通報を。それから消火器を持ってきて!」
 アスカはスーツを脱ぎながら、ユイにインカムのマイクを渡す。「それでキョウカを迷路まで誘導して」
 水色のTシャツに黒のランニングパンツの戦闘モード姿になる。消火器が到着したことを確認すると、砂場に脱いだスーツをおきバッグから油をとりだす。それをスーツに撒くと火をつけた。
「あ、あなた……女だったの」
 森山の驚きはスルーする。
「あいつがここを通り過ぎたら、火を消してください」と消火器に目をやる。
「エントランスの迷路に誘いこむので、やつが迷路に入ったのを確認したら入り口を塞いで」
「お願いします」と森山の両肩をつかみ、その目に訴える。森山はうなずき立ちあがると、ピンヒールを脱ぎ捨て、職員に指示をだしはじめた。広告塔としての貼りついた笑顔は消えていた。
「あたしも行く」足もとでユイが訴える。
「これは遊びじゃない。マイクを返して」
 アスカがきつい口調でいう。
「作戦にはあたしが必要よ。あたしがいなきゃ、迷路の道がわからないでしょ」
 アスカは空を仰ぐ。3秒考え「わかった」と同意した。
「園長、ユイちゃんをお借りします。あたしが必ず守って、警察に保護してもらいます」
「わかりました。警察には、男がとつぜん中庭に現れ、園児のひとりをさらって迷路に立てこもったと話しておきます」
 メディアでの歯に衣をきせないもの言いを思い出す。国家プロジェクトの園長に抜擢されるだけのことはあると思った。
 アスカは一礼する。炎がゆらめく。黒スーツの男がこちらを向いたのを見届けると、アスカはユイを抱きあげ駆けだす。金髪がなびく。この髪を男は覚えているはずだ。
「ユイ、迷路への近道を教えて」
 バン!
 リボルバーの銃弾が空気を切り裂く音がこだまする。なにもわかっていない園児たちが歓声をあげる。
 ドン!
 いらついた男が声に向かってまた銃を放つ。
「きゃああああ」
 保育士のひとりがゆっくりと倒れるのがみえた。アスカはユイを降ろし、先に行けと走らす。弾道にだれもいないことをたしかめ、男に向かって誘うようにリボルバーを撃つと、身をひるがえしてユイを追う。
 再びユイを抱きあげ、建物内のクランクを折れる瞬間に後方に向けて一発撃つ。仕留めることが目的ではないから狙う必要はなかった。敵を煽って迷路まで誘い込む。そのための挑発弾だ。
「キョウカ、どこ?」インカムでたずねる。
「迷路の入り口。カイのリードをはずした」
「ユイ、キョウカに隠れる場所を指示して」
 あたしにできることは少ない。この温もりを守る、それだけ。ユイを抱いて走る。
 ラビリンスガーデンの入り口で立ち止まりユイを降ろす。ユイが走るのを確認し、リボルバーのグリップを両手でつかみ、緑の壁から半身をのぞかせる。相手もエントランスの柱に身をひそめているのが、床に映った影でわかった。よし、迷路まで誘導できた。あとは誘い込むだけ。
 ドン!
 アプローチの階段に向かって一発お見舞いすると、アスカは金髪の裾だけを残し迷路をユイの指示に従って駆けた。
 パン……バン!
 黒スーツは迷路を曲がるアスカの残像に向けて弾を撃つ。だが、複雑に折れ曲がる迷路では、角を曲がるアスカの流れる金髪を捕えるにすぎず、当たることはない。エントランスの柱に隠れているときに全弾を装填しているはずだ。弾数は6発か、8発か。2丁携行している可能性もあるが。薄い可能性に賭けるわけにはいかない。6発を撃ち尽くすまえに勝負をつけなければ。そのことはユイにも伝えている。アスカは銃弾の音を数えながら走る。
 バン! これで3発。
「そこを曲がって」ユイから指示が飛ぶ。「そのまま一方通行の奥を左に。曲がるとすぐに右にある脇路に入って隠れて。そこが決戦場よ」「キョウカは敵が曲がったら、すぐに追って」
 軍師は4歳の女の子だ。
「ラジャー」アスカとキョウカが声をそろえる。
 アスカが曲がる。
 バン! 敵が撃つ。4発目。
 アスカが行き止まりの通路を左に道なりに折れる。
 ズン! 弾が緑の壁に吸収される。5発目。
 男がアスカの隠れている脇道の前を通り過ぎる瞬間に、拾い集めていた砂をその顔に投げつける。 
「うわあああ」ドン! 
 男が目を押さえた拍子にリボルバーの引き金を引く。6発目。
 と同時に、キョウカが背後からスタンガンを見舞う。
 どさり、男はやや斜めに倒れながら、板状に刈り込まれた緑をつかみ崩れていく。バキバキと枝が折れる。キョウカがすかさず正確に頸動脈に致死量の毒を塗った針を刺す。首筋に指をあて脈動がこと切れていることをたしかめる。
「オーケー」キョウカが顔をあげる。アスカとキョウカがハイタッチする。
「脱出しますか」とキョウカがいうと、
 バゥワン! 
 その先の通路からゴールデンレトリバーとユイが顔をのぞかせる。アスカは駆け寄ってユイを抱きあげる。3人と1匹が緑の迷路を駆け抜ける。
 
「さて、出口を何で封鎖する?」
「だいじょうぶ」といいながらユイは守衛室に向かう。
 守衛はまだ眠っていた。ユイが守衛室の壁に並んだ配電盤のスイッチのひとつを押す。すると、ゴゴゴゴゴゴと地響きをあげて緑の壁がゆっくりと動き、出口が閉じた。
 アスカとキョウカはあっけにとられ声もない。
「これも……逃走防止装置?」アスカの問いに、「そうよ」とユイが鼻を鳴らす。
「ひょっとして、守衛を眠らせたのもあなた?」
 くすっと笑っただけでユイは答えず、ゴールデンレトリバーにじゃれつきはじけるように笑う。
「良かったら、あたしたちと来ない? あなたの親になれるかどうかわからないけど。あたしたちも親を知らないの。だから、いっしょに、どう?」
 アスカが膝をついてたずねると、ユイは犬の背を撫でながら、見えないという目でアスカの目を見つめる。しばらくじっとそうしていたが、決心がついたのだろう。
「ありがとう。でもあたしには、ここでやらなきゃいけないことがある」
「やらなきゃいけないこと?」
「アスカにもあるでしょ」
 遠くからサイレンの近づく音が聞こえてきた。
「ほら、急いで。警察に見つかるとめんどうなんじゃない?」
 4歳の子に的確な指示をされる。
「でも、あなたを無事に警察に保護してもらわなきゃ」
「だいじょうぶ」といって、ユイがアスカの目の高さまでふわりと浮きあがる。驚愕して息を止めたふたりに、
「きょう、パパおじさんが新しい機能を追加してくれたの。試せてよかった」とにこりとする。
 ユイはアスカの耳もとに、すいっと近づき
「あたしの名前はユイじゃない、ノゾミよ。おぼえておいて」
 そう言い残すと、「またね」と手をふりラビリンスガーデンの上をかすめるように滑空し、学園へ帰って行った。

(to be continued)

第25話につづく。

 



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