大河ファンタジー小説『月獅』46 第3幕:第12章「忘れられた王子」(4)
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第3幕「迷宮」
第12章「忘れられた王子」(4)
四年後に産んだ子が姫とわかると、産褥の床でサユラは安堵の涙をこぼした。
カイルに対する裏返しだったのかもしれない。いずれ他国へ嫁ぐのだからと、多少のことには目をつぶって甘やかしたからであろうか、妹姫のカヤは自由奔放に育った。木に登っては落ちる、池の亀に指を噛まれる、雨の庭に走り出て泥まみれになる。カイルよりもカヤのほうが男のようであるな、とサユラは笑った。
カイルはそんな妹姫をかわいがった。カヤもまた兄宮を慕った。
カイルは母の言いつけを守り宮の外に出ることはなかったが、カヤは頻繁に脱走をはかった。行く先はたいてい玻璃宮だった。
翡翠宮と玻璃宮は、観月台をはさんで井桁のように隣り合っていた。サユラとアカナは名門貴族家からの入内と出自が似通っている気安さから、互いを茶に招くことがあった。むろん真珠宮のご不興を買わぬ程度にではあったが。アカナの御子は姫宮ふたりだったため、あるとき「カヤ姫様もごいっしょに」と誘いを受けた。アカナ妃の一の姫オリは、カヤよりも一つ年嵩の五歳、妹のマナ姫は一つ下の三歳であった。カヤは一度に姉と妹ができたごとく、たいそう喜んだ。翌日から「次はいつ玻璃宮に行くのだ」とせがむ。「そのうちに」とか「またお誘いがあれば」とかわしていたが、カヤの行動力をサユラもエスミもみくびっていた。
「も、も、申し訳ございません」
カヤの乳母が血相を変え、姫様の姿が見当たりませんと訴えた。午睡からお起こし申しあげようと寝台をうかがうともぬけの殻であったと。
「どこぞでかくれんぼでもしておるのであろう、いつものことじゃ」
と取り合わなかったが、傍らにいたカイルが
「母上、カヤは玻璃宮にまいったのではありませんか」という。
まさか、とサユラは思った。宮と宮を結ぶ回廊の出入り口には宦官の門衛もいる。姫が出ようとすれば止めるであろうが、念のために遣いを走らせた。オリ姫の寝台でふたりが手をつないで寝息を立てていて、玻璃宮でもひと騒動になっていた。
「母上、こちらへ」とカイルが庭の隅にいざなう。
土塀の下から不意に何かが飛び出した。カイルの飼い猫のシュリだ。古くなった土塀が崩れ、猫の往来に十分な穴が開いていた。よく見ると穴の下の土が抉るように掘られている。傍らには土のこびりついた陶器の欠片が転がっていた。
「もしや、カヤはここから」
振り返るとカイルがうなずく。その足もとでシュリも肯定するように尻尾をばたつかせる。無理やり通ったのであろう。穴の口に引きちぎれた薄紅の絹の切れ端が落ちていた。
「オリ姫の寝台に泥まみれで忍び込んだか。さぞかし驚かれたであろうな」
常に背を正して座しているオリ姫の困惑する様を思い浮かべ、サユラは嘆息した。
「穴はすぐに塞がせます」侍女がいうとカイルが、
「ここを塞いでも、カヤはまた別の抜け穴を見つけるでしょう。木登りも得意になりました。木に登って塀を超えようとするやもしれません」
「そうであろうな」サユラは塀の上の空を見あげる。
「週に一度、玻璃宮にお連れ申し上げるようにいたしましょう」
エスミが提案するも、カイルは即座に異を唱えた。
「それではカヤを満足させられません。また脱走いたします」
皆の目がいっせいに八歳のカイルに集まる。
「カヤはお姫様の物語よりも冒険譚を好みます。万難を排してたどりつく冒険がしたいのです」
「なんとまあ、困ったことよのう」
甘やかしすぎたか、とサユラは眉をしかめる。
「母上、吾にお任せいただけませんか」
「なんといたす」
「トビモグラに力を貸してもらいます」
トビモグラにトンネルを掘らせ、地下道をつたって通わせたらいかがか、という。トビモグラたちのねぐらとは別に掘らせれば、カヤが迷子になることも、別の場所へ遠征することもできない。専用の地下通路であるから、人目にふれることもなくカヤがさらわれる心配もない。これならばカヤの冒険心も満たせると思うのです、と。
これが八歳の子の知恵であろうか。滔々と理を分けて説く子を見つめ、ただの貴族の家に生まれておれば官吏として知略を存分に活かす道もあったであろうに、とサユラは瞼をおさえる。
「この計画に母上もエスミも」と周囲を見渡す。
「皆も、気づいていないふりをしていただきたいのです。あくまで、吾とカヤが秘密で立てた策と素知らぬふりをしてください。玻璃宮にもそのようにふるまっていただくようお願いしていただけませんか」
「相わかった。アカナ殿には妾から頼もう。皆もどうか吾子たちの遊びに付き合ってたもれ」
(to be continued)
第47話に続く。
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