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大河ファンタジー小説『月獅』73         第4幕:第16章「ソラ」(8)

<あらすじ>
「孵りしものは、混沌なり、統べる者なり」と伝えられる天卵。王宮にとって不吉とされる天卵を宿したルチルは、白の森の王(白銀の大鹿)の助言で『隠された島』をめざしノア親子と出合う。天卵は双子でシエルとソラと名付ける。「天は朱の海に漂う」との星夜見を受け、王宮から捜索艦隊が。ちょうどそのときソラが巨鳥にさらわれ、嘆きの山が噴火し嵐が吹き荒れる。ソラをさらったコンドルは、ノリエンダ山脈の北壁の巣へ。コンドルの雛はソラを丸呑みし断崖の巣から落下。ソラの躰から閃光が走り、ソラは雛の胃から脱出するが、オオカミたちに襲撃され、白虎に連れ去られる。

<登場人物>
ソラ(2歳)‥‥天卵の双子・銀髪の子
シエル(2歳)‥天卵の双子・金髪の子
※天卵の子は、人の子の3倍の速度で成長する。双子は2歳だが、6歳相当の体格と能力をすでに有している。

ライ‥‥‥‥‥‥北壁の雷虎と呼ばれる白虎
ルチル(17歳)‥天卵を生んだ少女
ディア(14歳)‥隠された島に住む少女
ノア‥‥‥‥‥‥ディアの父 

前話<第16章「ソラ」(7)>は、こちから、どうぞ。

第4幕「流離」

第16章「ソラ」(8)

(羚羊に群がる小獣たちを跳び越え、白虎はソラを連れ去る)

 急峻な崖の隘路あいろを白虎はソラを咥えて跳ぶように駆けた。
 針葉樹の林を抜け、いくつかの岩間を駆けあがる。コンドルの巣のあった天崖より遥か下ではあったが、風は容赦なく丈の高い樹はない。雪に浸食された崖道は脆く、白虎が蹴るたびに岩が崩れ谷へと落ちる音が響く。そんな断崖の途上に大きな一枚板の岩と岩が斜めに支え合う三角の間隙があった。巨虎が身を低くしてかろうじて入れるほどしかない。だが奥に深かった。
入り口が狭いからか外気が入らず、中は存外に暖かかった。
 ここがねぐらか。
 白虎はソラを口から放すと、洞の入り口を塞ぐように腰を落とした。風すら吹き込んでこない。逃げ道を断たれたことをソラは悟った。
 上顎からとびでている鋭く大きな二本の牙が洞窟の闇に白く光る。あれを突き立てられれば、ソラの薄い皮膚などひとたまりもない。ひと噛みで喰いちぎられるだろう。
 ソラは腰にさした手刀のつかをなでた。コンドルの雛ならまだしも、小さな手刀では白虎に傷すら負わすことはできないだろう。たとえ今、逃げおおせることができたとしても、すぐにまた別の獣に襲われるだけだ。雄々しく美しい獣の王の餌食となるなら、諦めもつく。
 ソラは自身をにえとして奉げるかのように、岩盤に横たわり目を閉じた。
 瞼の裏に嘆きの山が火を噴く残影がよみがえる。ノアやルチルたちとの日常は吹き飛んだ。彼らが生きているとは思えない。独り生きていて何の意味がある。もういい、もう十分だ。死ねば天卵の子のくびきからも逃れられる。
 生きる意志を放棄すると、緊張がほどけたのか、闇に引きずられるように眠りの深淵に陥りかけた。と、そのときだ。
 顔をざらっとした舌でひと舐めされた。
 薄く目をあけると、目の前に赤く厚い舌があった。味見をしているのか。ソラは身をすくませる。眠ったままひと齧りで喰ってくれれば良かったのに。諦めと共にあった覚悟が、たちまち闇に消える。恐怖がソラを貫通する。
 顔をひととおり舐め終わると、腕を足を背を全身を舐める。舐められるたびに、背中に電流が走る。だが、いっこうに喰らいつくけはいがない。どころか、短衣や短袴たんこの上からも丁寧に舐めている。味見ならば衣など剥いでしまえばよいのに。舌先を丸め、襟ぐりにそって器用に舌を這わせる。躰にこびりついていたコンドルの雛の胃液や血がきれいにぬぐわれていることに気づき、ソラは身を起した。
「喰わないのか」
 雷虎は金の眼をちらりとすがめたが答えず、ごろりと横臥した。
「おまえこそ、腹がへっているのであろう」
 下腹部に睾丸はなく、腹には赤くふくらんだ乳房が並んでいた。
「牝……だったのか」
 ソラは目を瞠る。
「吾は仔を亡くした」
 狩に出ているあいだのことだったという。一発必撃の雷虎といえども、獲物を見つけなければ狩にならない。雪がすべてを覆いつくす冬は、獲物に出合うことすら難しい。一日雪山を彷徨さまよっても収穫のない日もある。それでも、乳を与えるため日に一度は洞に帰っていた。だが、さすがに乳の出も悪くなったため、三日ねぐらに戻らなかった。ようやっと羚羊をしとめて戻り、ひと目で異変を察した。狩に出るときは、外敵から幼い命を守るために入り口を雪で塞いでいた。それが崩れている。鼻の利くナキオオカミに見つかったか。だが、洞内に血痕はなかった。洞前にもオオカミの足跡はない。代わりに、崖縁でとぎれている小さな足跡が雪に消えかけていた。
 白虎は一度に一頭しか産まない。
「ひもじかったのか、寂しかったのかはわからぬ」
 前脚に顎をのせ、ソラから視線をはずす。
 皮肉なことに、仔を亡くしてからは獲物がたやすく見つかるようになったという。たとえ多く見つけても必要以上に狩ることはない。それでも、腹がふくれれば、乳も張る。だから、「飲んでくれぬか」と、視線をそむけたままいう。
 ルチルの乳房を吸っていた日のことをソラは覚えていない。そういえばディアが、「あんたはよく飲むから、引きはがすのがたいへんだった」と言っていた。ルチルの乳だけでは足りず、ヤギの乳も用意してたのよ、と。
 山桃の実のように赤くふくらんだ白虎の乳首を、ソラはおそるおそる口にふくむ。がりっと噛むと虎は微かに身をふるわせた。白く甘い液体が腔中に広がる。ソラは腹這いになり、くらいついた。気づくと両手で白虎の乳房をもんでいた。
 ようやく乳首から口をはなした。腹のあたりがあたたかい。
「天卵の子よ」
 白虎はソラを前脚でたぐりよせる。
「そう呼ばれるのは好かぬ。俺にはソラという名がある」
「ソラか。良き名だ」
「白虎、おまえの名は」
「吾に名なぞないが、昔、ライと呼ばれたことがあったな」
 白虎の声をソラは耳の奥で聞く。腹を満たし、銀の毛並みに抱きかかえられると、波のような眠気が押し寄せて来る。この状況をどう解釈したらいいのかはわからない。今はこのぬくもりが心地よい、それ以上何を求めよう。
 白虎が入り口前に陣取ったのは風を防ぐためだったと察したのは、ずいぶん経ってからだった。
 
 ノリエンダの北壁ではしばしば、淡く光る人の子を乗せて駆ける雷虎の姿が目撃されるようになった。

(to be continued)

第74話に続く。

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第1幕「ルチル」は、こちらから、どうぞ。
第2幕「隠された島」は、こちらから、どうぞ。
第3幕「迷宮」は、こちらから、どうぞ。

これまでの話は、こちらのマガジンにまとめています。



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