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デザイナーと女性(ジェンダー)と、セクハラと。

“ジェンダー観の違いは新聞か雑誌かネットかという媒体の問題よりも、誰が作っているのか、もっと言えば誰が意思決定しているのかが大きいと思います。”

ジェンダー観の違いは新聞か雑誌かネットかという媒体の問題よりも、誰が作っているのか、もっと言えば誰が意思決定しているのかが大きいと思います。オンラインメディアでは、データに基づきどんな企画を立てるのかを決めることもあります。ですが、そのアルゴリズム自体にもバイアスがかかることが分かってきています。これも設計する側を構成する人の問題です。

「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」P137より
─ジャーナリスト浜田敬子さんの言葉

上記の言葉は、前Business Insider Japan統括編集長/元AERA編集長のジャーナリスト 浜田敬子さんのインタビュー内容だ。私はいろんな意味で、この言葉を重く感じた。

ここ1年前ぐらいから私の中で、ジェンダー表現やLGBT+についてホットな話題になっている。
というのも、歌手の宇多田ヒカルさんがキッカケで「ノンバイナリー」という言葉を知り、自分もノンバイナリーなのではと思い始め、自分のことを理解したいという思いから、時々関連の記事や本に目を通すようになった。

そんな中、知ったpixivデザイナーへのセクハラ

いろんな意見があるけど、私はデザイナーさんとその上司の個人間の問題では片付けられない、組織にも根深く抱えたものを感じて、これはかなり酷いし、他人事では済まされないなと感じた。
(私も実際にセクハラ・パワハラを何度か受けたことがあるし、女性社員の異変に気づいたこともある。企業で働く女性にとってはとても身近で日常的に潜んでいることなのではないだろうか。)

今回のpixivの件は、

セクシャルハラスメント(というかもはや性的暴行)
パワーハラスメント
SOGIハラスメント
ほかの女性社員もセクハラを受けていた
相談しても会社の対応・理解が不十分で被害が継続していた
2018年に前社長がセクハラ・パワハラで問題を起こしていた

と、セクハラと一言で言い表せないほど、ぐしゃぐしゃだ。
元記事はこちらだが、人によってはショックが大きい内容のため、もし読む際は十分注意して欲しい。)

デザイナーに女性が多くなってきた一方で

そして、これはあくまでも業界に10年以上いる私の感覚ではあるが、
いわゆるITやWeb系と呼ばれるような業界や企業に属するデザイナーに女性が多くなってきている。

女性が働きやすくなってきたとポジティブにも取られられることだが、その一方で、未だ他の業種や業界のように、上司や上層部は男性なことが多い。やっと最近マネージャーやデザインリーダーに女性を見かける機会が増えてきたなという印象だが、でもやっぱり、さらにその上は男性のことがほとんどだ。経営層も、メディアやイベント登壇でよく見かけるCDOやCXOも、ほぼ男性かと思う。

そこで、冒頭の浜田さんの言葉に戻るのである。

誰が意思決定しているのか

pixivは今回のセクハラ問題を受けて、「これまでも研修など様々な取り組みを行ってきたけど不十分だったらしい、さらに強化して頑張る」的な文章を出していた。

果たして、その人がこれまでの人生で築き上げてきたバイアスや価値観が、その数回の研修だけで変わるのだろうか?・・・これまでのpixivは変わらなかったのである。

いくら頑張って社内研修とかして認知を広げても、結局は“人”

取り組みはしてたけど、意思決定をしている経営層や上司が、ほぼ男性だと、女性はその組織では弱者であり続けるのではと、私は今回の件と浜田さんの言葉で改めて感じた。
たとえ、社内の意識が高まっても、それまでの組織の体質を変えるには果てしなく遠い道のりに思えた。

組織でのボトムアップの難しさは、転職サービスのdodaが「変えるなら、きっと今だ。」CMシリーズでなかなかに皮肉ってて世知辛さを感じる。

(会社や上司はなんでも挑戦しろって言うけど)
「よし」
「俺はいいと思うけど、上がね…」
(前例のないことは通せないとも言う)

このCMにあるようなpixivだけでなく、日本のほとんどの企業に言えることなのが、また根深い・・。

組織やサービスも"誰か"によって作られている

きっと、pixivの利用を辞めた絵師さんたちも、企業へ抗議したいというより、そのプラットフォームが「"誰か"によって作られていること」を思い出したのではないのだろうか。

一度でも、その"誰か"に不信感や気持ち悪さを感じてしまうと、なかなかそのイメージを払拭するのは難しい。たとえ、200人中1人のせいであっても、サービスのイメージへ繋がってしまう。

とはいえ、まずは一人ひとりが知ることが大切なので、研修にも意味がある(あって欲しい)

ちょうど世間的に今月(6月)はプライド月間なのもあるのだろう。メルカリがLGBT+をテーマにした社内研修資料を公開したことが記事になっていた。

↑動画もとてもわかりやすかったので、ぜひ「そもそもLGBT+とはなんぞや?」という方も観てみて欲しい。

場合によっては、自分がする側にも、される側にもなりえる

だいたい加害者は「そんなつもりは無かった」と言う。知らなかった。でも、知らなかったから、他人を傷つけてもいいのだろうか?

私自身も知らないことがまだまだたくさんある。これまでも生きている中で、知らないうちに自分も誰かを傷つけてしまっていたかもしれない。
でも、少しでも知ることで、そんなことが起きることを少しでも無くしていきたいと私は思う。

一番怖いのは「何も言われなかった」時だと思ってる。
私にそもそも興味のない人は、私が誰かを傷つけてたとしても、注意などしてくれないのだから。

自分の立場が常に絶対的ではなく、場合によっては差別する側にも、される側にも回ることを意識しているかどうかだけで、ものの見え方は変わってくるし、発信するときに注意すべきことが見えてくる。そうせずに自分たちの立場を棚に上げたり、表面上の炎上だけを恐れたりすると、言葉が弱くなります。

「失敗しないためのジェンダー表現ガイドブック」P142より
─ジャーナリスト浜田敬子さんの言葉


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