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毒親から受けた心の傷を直視してみた

一年半ぶりのnote投稿になります。お久しぶりです。

投稿していない間も読んで下さった方がたくさんいて驚くと共に、何か少しでも参考になっていたらいいなと思いながら、閲覧の多さに喜んでいます。

特に抜毛症の記事がほかの10倍(!)ほどの閲覧数となっていて、驚きました。知らぬところで、どなたか引用してくださったのでしょうか…?

ともあれ、ありがとうございます。


今日記事を書こうと思ったのには、今だからこそ書けるものを残したい、という気持ちが背景にあります。
(前回までの3記事シリーズの3つ目ではなく、申し訳ないです。そちらもおいおい書いていきます。)

親との絶縁を機に自分の人生を本格的に手に入れた私は、最近起きた色んな出来事を経て、なんと「逆戻り」を経験する事になってしまいました。

何への逆戻りかというと、


親にされた事の記憶で苦しむフェーズ

への逆戻りです。

本来ならば、

毒親にされてきたこと(過干渉やモラハラ、虐待等)に気付く
    ↓
自分の感情(苦しさ、辛さ、悲しみ、怒り)に向き合う
    ↓
自分の特性を自覚する
    ↓
苦しい経験や特性は「親のせい」にしながら、外界で生きていく術を身に着けていく

こんな流れで毒親問題と対峙していくものと認識していました。

元々私はここでいうところの最後の段階あたりにいて、日々を過ごしてきました。
すでに親と絶縁する数年前にも、色んな方々から「あなたは十分自分で生きていける環境と力が備わっている。親の事は可能な限り遠ざけて、自分の人生を大事にするべき」と言われてきました。

しかし最近の出来事をきっかけに2つ目の段階に大きく振り戻ってしまい、親への怒りやされてきた事への悲しみに囚われていきました。


心の中にある恨みや怒りは、何年も前に昇華したものと思っていました。
そして長年に渡って怒ったり悲しむ事は無意味だとも思っています。なぜならされたことを怒り悲しみ続けても、未来が良くなる訳ではないからです。

だから、「今できる事をやって親よりはるかに楽しい人生にしてやる」「自分の手で自分の未来は変えてやる」そう信じて何年もやってきました。しかしそれが崩れ、大きなショックを受けました。


今度こそ乗り越えられないのでは?
何度もそんな不安に駆られて、何度も泣きました。

今この記事を書いている時点では、もう一度乗り越えられそうな光が見えてきています。

光が見えたきっかけは、本を読んだ事にありました。


読んだのはいわゆる毒親本でも人生の指南書でもなく、人格障害と思しき人物や問題ある環境にいた人物が引き起こした、凶悪犯罪のノンフィクションです。

そこに映し出される心情の一部は、自分が子供時代から感じていた緊張感や恐怖と近しいものがあり、自分の色んな苦しみを直視する事が出来ました。

もちろん、凶悪犯罪に巻き込まれて犯罪を犯さざるをえなかった人々や、被害に遭われた方々のそれとは比にもならない事は重々承知しています。

しかし、世の中でも目を背けたくなるようなレベルの出来事の心情と自分の経験がかぶるなんて、それ自体尋常ではないと感じています。
その尋常ではない経験をしたことをもう一度直視して、今を噛み締めて前に進もうと思う事が出来ました。


親を許さなくてもいいから、この感情を乗り越えていこう、そう思って進む準備が整いました。


その過程で読んだいくつかの書籍と共に、自分のどの経験と投影し振り返ったのかについて、少しずつ書いていこうと思います。
そのため、この「毒親から受けた心の傷を直視する」にあたって読んだ本やその際の感情については、同じ時を生きる毒親育ち経験を乗り越えたい誰かに向けてというより、自分への備忘録としての色が強いかもしれません。
また万が一後戻りした時に、自分がどんな風に過去を見つめたのかを残しておきたい。そんな考えです。

これを書くシマトネリコがどんな経験をしてきたのか、毒親本以外からどんな考えに至ったのか、ご興味のある方は次のnoteを読んでみてください。


✤・✤・✤

Photo by Anthony Tran on Unsplash

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