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視点の自由研究No.115「視点_広告は花火でありたい」

今回のお題。実はとある対談で糸井重里さんが仰っていた言葉です。何気ない一言でしたが、心に残る言葉でした。さすが巨匠ともいえますが、今回はこの言葉に自分が何を感じ、どう思ったかを書いてみようと思います。

「広告は時代を写す鏡」

以前、書かせて頂いたコラムでは、広告の表現を時代に合わせてまとめてみました。今でもその考えは変わらず、それ以上に時代性に合わせたメッセージを作らないと広告自体が成り立たない状況にあるなと思っています。
前回は、時代性という分析だけでしたが、今回はそこから少し深堀して、一広告制作者としてどういったものを作っていきたいか?がテーマです。

「広告の名作」

広告業界にいると、多くの方は過去の名作と呼ばれる仕事を見ることになると思います。今でも通じるようなアイデアであったり、時代を反映したような演出であったりと、現在の制作者にとってのバイブルのような存在。自分自身もそうした名作から数多くのアイデアや考え方を学び、今も活用しています。

そんな状況で糸井さんの言葉を聞く機会がありました。

多くの商品がそうであるように広告もまた時代に合わせて変化しています。過去へのリスペクトはあって然るべきですが、当然その時代に最適なアイデアとして作り出されてきた広告たち。過去を振り返り、名作として重用されても困る旨の話をされていました。

広告もナマモノ。その時に一番いい状態で提供されている。そして時代と共に消えていく。そんな存在でありたいと私自身、この言葉に感銘を受けた次第です。

「花火でありたい」

花火は一瞬で打ち上がり、消えていく。その華やかさと儚さが人々の心を打ちます。多くの人々を楽しませ、その時の記憶として残っていく。

自分達が携わった仕事も同じように、その時代の人々の心を動かす作品になっていたいと思います。そして時代と共に消えていく儚さもあっていいんじゃないか。そんな考えて今日も仕事に向き合っています。

そんな儚さのある広告という存在。だからこそ、次の世代も意識していく必要もあります。間違ったメッセージを伝えないためのモラルと教養が求めらている。この話はまたの機会に書いてみたいと思います。

願わくば、今日も流れる広告たちが、あなたにとって花火のような存在になれたら。


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