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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第32回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年 〜ベルリオーズ・フェスティバル〜(期間限定 無料公開)

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第32回
小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年

〜ベルリオーズ・フェスティバル〜


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⒈  小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年〜ベルリオーズ・フェスティバル〜


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公演スケジュール


1994年
12月
6日、7日、8日、10日 東京
11日 前橋
13日 大阪
14日 岡山

15日
大阪
ザ・シンフォニーホール


ベルリオーズ・プログラム
歌劇『トロイ人』より 「カルタゴのトロイ人」序曲、「王の狩と嵐」、「夢とカプリッチョ」

幻想交響曲


※前回の小澤&ボストン響来日公演

第22回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1989年
https://note.mu/doiyutaka/n/n2cc998df03fa


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前回、小澤&ボストンの公演は、どうも今ひとつ没入しかねる演奏だった記憶がある。
だが、94年のこの時の公演は、まさに掛け値なしに素晴らしい演奏だった。
楽曲が、小澤の十八番のベルリオーズ「幻想交響曲」だということもあっただろう。筆者の好みとしても、「幻想」は、たくさんある古今の交響曲の中でも、ベスト5に入るほど、好きな曲だ。全5楽章のうち、有名な4楽章「断頭台への行進」はもちろんのこと、5楽章「ワルプルギスの夜の夢」も、隅から隅まで素晴らしい楽曲だ。特にポピュラーなこの2つの楽章以外にも、多くの人がいささか退屈だという1楽章、2楽章も、筆者はとても楽しめる。2楽章のワルツの優美さは、数多いワルツ楽章の中でもベストではないだろうか。

ベルリオーズ「幻想交響曲」については、筆者も実演をそう何回も聴いたわけではない。この時の小澤&ボストン響の素晴らしい実演が強く記憶に残っているが、ほかにも、近年、以下のような実演に接して、ますますこの曲を好きになった。

※(演奏会評)藤岡幸夫指揮、関西フィルによるザ・ベスト・シンフォニー演奏会、ドヴォルザークの『新世界より』&ベルリオーズ『幻想交響曲』


引用《幻想交響曲は、前半3つの楽章をここまで克明に描写する演奏は珍しく、テンポを大きく揺らして、主人公のリアルな妄想をあばき出していた。
3楽章、コールアングレと舞台裏のオーボエの対話はバランスが見事。打楽器4人がかりで交互に鳴らすティンパニの遠雷効果が素晴らしい。
4楽章は、コルネットも加わったブラスの鳴りが華々しい。ギロチンで死刑になった首が転がるシーンでは、藤岡さんの指揮はちゃんと四つ振りだった。
アタッカで5楽章へ、狂乱の祭りがおどろおどろしく盛り上がる。鐘は舞台裏で、教会の鐘のような響きを聴かせた。
ホルンのミュートの効果、クラリネットによる不気味な「彼女のモチーフ」も聴きごたえがあった。チューバ2本による「怒りの日」、関西フィルのブラスの総力をあげたアンサンブルの迫力は圧倒的だった。

久しぶりに幻想を実演で聴いたが、これほどの名曲でも、まだまだ様々な解釈の余地があるのが面白い。》



⒉  小澤征爾の海外での活躍について


今回の小澤&ボストンの公演は、ベルリオーズ・フェスティバルと銘打っての企画だ。小澤の得意とする作曲家だが、日本で、ベルリオーズを特集した演奏会シリーズなど、それまでにあっただろうか?


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日本で、ベルリオーズの楽曲を実演で聴く機会は、ポピュラーな「幻想交響曲」以外は、なかなかなかった。特に、大編成を必要とする「レクイエム」は、実演が国内で演奏された回数は数える程ではなかっただろうか。
さらに、この公演のつい数年前に発見されたばかりの「荘厳ミサ」も、さっそく演奏されているのだ。これは、小澤のベルリオーズに賭ける情熱の深さを証明しているといえよう。

小澤のベルリオーズについては、以下の写真エッセイに詳しい。
そこでは、ボストン交響楽団音楽監督としての凱旋公演で、幻想交響曲を演奏した際の素晴らしい高揚ぶりが語られている。


※参考
https://www.amazon.co.jp/小澤征爾—対談と写真-新潮文庫-小澤-幹雄/dp/4101228027/ref=pd_sim_14_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=JBW1TP1PQ5BW47ZBZS1B


また、本書によると、若き日の小澤が国外で華々しい活躍をしつつ、実生活ではエトランジェとして紆余曲折を味わう心境が語られていて興味深い。トロント交響楽団音楽監督時代のエッセイ連載によると、異国での一人暮らしの侘しさを率直に語っている。
戦後日本を代表する指揮者であり、世界の誰もが名前を知る巨匠でもある小澤は、日本人として海外で活躍した指揮者の草分けである。もちろん、戦後、朝比奈隆など欧州オケを振った日本人指揮者は多くいるが、小澤以前には、欧米のメジャー・オケの音楽監督になった人はいない。
さらに、小澤の場合、日本人であることを超えて、真にグローバルなマエストロとして世界中に認知されていたことは、現在の時点から考えても驚異的である。音楽ジャンルで、世界中の誰もが知る日本人アーティストというのは数える程しかいないのだ。音楽以外のジャンルを含めても、そういう人は村上春樹などごく少数しかいない。


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⒊  小澤征爾と村上春樹


ところで、
前の小澤来日時のレポートでも言及したように、もし村上春樹がノーベル文学賞を受賞するとして、その際には、筆者は村上春樹を小澤征爾と対比してコメントを書こうと考えている。
筆者が考えている、「村上春樹のノーベル文学賞受賞に寄せるコメント・世界のオザワと、世界のムラカミ、その圧倒的な存在感」を抜粋して、書いておこう。


《小澤征爾のCDと、小澤征爾/村上春樹の対談本が並べてあるのをみて、あらためて、この二人は、現代日本を代表する芸術家の巨人なのだと感じました。
この二人は、日本人のアーティストとして、世界中の店頭で手近に売られている代表格ではないでしょうか。
世界中のCDショップで、オザワのCDが並んでいるのと同じように、世界中の書店やキオスクの書籍コーナーに、ハルキ・ムラカミの本が並んでいるということです。
こんな存在は、これまでの日本人の中で、いまだかつてなかったと思います。
いくら日本のマンガやアニメが世界中で人気だといっても、世界中、どこの店にも目立つように並べられているかどうか?となると、たぶん、そうではないでしょう。
オザワと、ムラカミ、日本が生んだこの二人のアーティストは、おそらく、同じジャンルの中では、現在、唯一無二の存在感を放っていると思います。
世界のクラシック音楽のCDの棚で、オザワのCDに匹敵する存在は、存命中の日本人ではおそらくいないでしょう。
同じく、文学の本の棚で、ムラカミの本に匹敵する日本人作家はなかなかいないと思います。
ところで、問題は、こういうことが、なぜ起きたのか?という点にあります。
ほぼ同時代(オザワの方がかなり年長ですが)を生きた二人のアーティストですが、この二人は、最近まで、実際に顔を合わせたことはほんの数回だったとのことです。
それが、たまたま、小澤征爾が病気療養しているときに、村上春樹がインタビューを試みたのがきっかけで、一冊の対談本になるぐらい意気投合したのだとか。
この二人のことを合わせて考えるとき、現代日本の生んだ芸術の真の力、本当の魅力が、明らかになると思います。
20世紀後半から21世紀初頭の世界に、なぜこの二人の日本人アーティストが圧倒的な支持を受けているのか?
この、だれもが知る事実を研究し、その謎を解明するところから、日本人アーティスト(創作であれ音楽演奏であれ)の魅力と実力、その本当の正体が明らかになるのだと考えます。》




⒋  小澤征爾のクラシック音楽界での存在感


さて、
今回の来日公演パンフレットにも紹介されているように、この頃、小澤の本拠地ボストンでは、小澤の名声はいよいよ高まっていたようだ。ついに、小澤の名を冠した音楽ホールまで、建設されたのだ。


※公演パンフレットより、セイジ・オザワ・ホール完成のレポート

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もっとも、このタングルウッドのセイジ・オザワ・ホールは小澤のスポンサーの一人、ソニーの大賀社長肝いりだったのだ。欧米クラシック文化の歴史的拠点の一つであるタングルウッドに、日本人指揮者の名をつけたホールを建てたというのは、日本が世界に冠たる音楽文化の覇者となったことの、一つの象徴的出来事だと言えよう。
その後、名目ともに日本のソニーは世界のクラシック音楽の帝王となりかけるのだが、バブル経済の崩壊と20世紀の終わりとともに、その支配はあっけなく終わっていく。


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この94年時点では、小澤はボストン響の音楽監督である一方、サイトウキネン・オーケストラを率いて欧州を中心に活動を開始し、日本でも松本での音楽祭を始めていた。国外でしかなかなか聴けなかった小澤の指揮を、日本国内でようやく定期的に聴く機会ができて、ファンは喜んでいただろう。

※サイトウキネン・フェスティバルの主公演
1992年 ストラヴィンスキー:歌劇「エディプス王」
1993年 オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」
1994年 ヴェルディ「レクイエム」


さらに、その後、2002年からウィーン国立歌劇場の指揮者に選ばれるという、日本人音楽家として空前絶後の快挙を成し遂げている。
その前にウィーン・フィルと来日公演をはたしていたが、まさか日本人がウィーンのオペラに選ばれるなど、想像もできなかった。
もっとも、小澤とウィーン・フィルの相性の良さは、下記の2000年の来日のほか、何回か定期演奏会のライブ録音を聴いても、納得できるものだった。


※参考記事
筆者の過去ブログ記事より
《小沢征爾指揮のウィーン・フィルを聴いて(2000.11.12)
小沢指揮のウィーン・フィルのコンサート、曲目はブラームスの交響曲第4番と第1番。もちろん満席で、立ち見も大勢いた。期待に身を乗り出す聴衆の前に小沢氏が登場、割れんばかりの拍手が沸き起こる。小沢氏は両手を上げてそれを制した。おもむろにこう語りだした。「昨日、オーストリアで悲しい出来事がありました。アルプスのケーブルの事故で、百何十名もの人が亡くなりました」これは、オーストリアのキッツシュタインホルン山で起こったケーブルカーの事故のことである。同じオーストリア人として、ウィーン・フィルのメンバーは大きな衝撃を受けていたのだろう。小沢氏は、その事故の犠牲者と遺族に哀悼の意を表して、この夜のコンサートを、バッハの『G線上のアリア』で始めた。大変心のこもった、胸にしみる演奏だった。その後、オーケストラのメンバーが立ち上がり、満場の聴衆もみな立ち上がって、じっと黙祷を捧げたのだった。(後段略)》


※参考
http://www.hmv.co.jp/artist_シュトラウス、リヒャルト(1864-1949)_000000000019384/item_アルプス交響曲、他-小澤征爾&ウィーン・フィル_3536381


この96年録音のディスクで聴ける、絶頂期の小澤が振る「アルプス交響曲」は、この曲の数多い名盤の中でもベスト5に入ると筆者は思う。


今回の94年来日公演の時点から、小澤は21世紀の最初の数年間へ向けて、その音楽的業績の頂点を極めていったのだ。
この頃、日本のクラシック音楽受容は、明治以来最高度の物量レベルに到達しつつあった。その象徴的なイベントが、以下のような「ブーレーズ・フェスティバル」だった。


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小澤&ボストン響による日本でのベルリオーズ・フェスも、相当にありえなさそうな企画だったが、ブーレーズのフェスとなると、これはもう、日本で開催されるのは空前絶後、二度と不可能だと言っても過言ではないだろう。
だが、このあたりを境に、日本のバブル経済を背景としたクラシック音楽の異常なまでの豪華ラインナップ、招聘海外アーティストの絢爛ぶりは、頂点を極め、その後徐々に凋落していくことになるのだ。


【追記】

ところで、小澤征爾がカラヤンの庇護のもと、欧米クラシック音楽界で華々しい活躍を続けられたのは、カラヤンとともに20世紀クラシック界を牛耳ったマネージャー、ロナルド・ウィルフォードのおかげであることは、今や公然となっている。そのウィルフォードの会社、コロンビア・アーティスツ・マネジメント(CAMI)が、昨年、2020年8月末に経営破綻していた。「指揮者を指揮する男」ウィルフォードのマネジメント会社だが、21世紀のクラシック音楽退潮と、コロナ・パンデミックには抗しきれなかったのだ。
20世紀のクラシック音楽で育ってきた筆者には、あまりに感慨深い。


※参考記事

https://m-festival.biz/14657

ニューヨーク発 〓 音楽マネージメント大手コロンビア・アーティスツが経営破綻(2020/09/01)
《かつて世界最強の音楽事務所と知られたコロンビア・アーティスツ(Columbia Artists Management, Inc.)が31日付で経営破綻した。コロナ禍の直撃を受けた格好。負債総額などは明らかにされていない。
通称「CAMI」の創設は1930年。カーネギーホールのすぐ近くに事務所を構え、2015年に亡くなったロナルド・ウイルフォードが1970年代からオーケストラの音楽監督を斡旋する路線を採用して急成長、ウィルフォードは「指揮者を指揮する男」とまで呼ばれた。》



※連載、近日再開予定!





※姉妹篇
エッセイ【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】
演奏会レビュー編 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代

〈その1 朝比奈隆と大阪フィルの実演〉
(1)朝比奈隆指揮・大阪フィル「マーラー 交響曲第9番」1983年定期演奏会

https://note.com/doiyutaka/n/n6eb0daa61baf


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※かつて、関西音楽界の中心地だった大阪フェスティバルホール(旧)

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※上記連載は、このマガジンでまとめて読めます!

関西オーケストラ演奏会事情

https://note.com/doiyutaka/m/mdda8590d315f


上記、続きの連載エッセイは、80年代から現在まで関西の主要オーケストラを30年以上聴き続けて来た筆者による、オケ文化の定点観測記録だ。後世、日本の音楽文化を研究するための資料としても、今のうちに記録しておく必要がある、と考えている。後々の研究者のためにも、現在の音楽文化行政の参考にしていただくためにも、必読の連載だ、と自負している。

また、並行して、以下のように音楽エッセイの連載を継続中だ。



コロナ禍の下での文化芸術


https://note.com/doiyutaka/m/mbfe79043941d



【バブル期90年代の来日オーケストラ鑑賞 〜 平成日本の音楽リスニング黄金時代】
第1回
「アバド指揮ベルリン・フィル来日公演1994年 マーラー交響曲第9番〜数分間もの静寂」


https://ameblo.jp/takashihara/entry-12694250515.html

https://note.com/doiyutaka/n/nc176109acf0f


《戦後日本の文化享受が絶頂に達した数年間を振り返る。村上春樹の黄金期も含め、もう2度とないであろう贅沢な文化享受の体験を経て、先進国が衰亡していく歴史的転換期の記録。》

戦後日本の文化享受が絶頂に達した90年代の数年間を振り返る。それは、もう2度とないかもしれない、贅沢な文化享受体験だった。
日本人のクラシック音楽家としては唯一無二、空前絶後といえる小澤征爾の海外での活躍ぶりがあった。
文学の面では、村上春樹が海外に打って出始めた90年代の黄金期でもあった。
日本のアニメやマンガが海外に売り出されていく時期でもあった。
売れすぎたために起きた「日本叩き」などという話題もあり、現在ではちょっと信じられないほどの巨大な日本経済を背景に、国内では冷戦終結後のつかの間の平和なエアポケットの中で、我々日本人の音楽リスナーたちは、円高のもたらす膨大な海外文化の爆買いを享受した。
そんな、日本史上2度とないかもしれない文化の爆買い期を経て、21世紀にかけて、日本という一つの先進国があっという間に無残に衰亡していく、歴史的転換期の記録を試みる。



※ここまでの連載は、以下のマガジンでまとめて読めます。

クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会


https://note.com/doiyutaka/m/m95eba8e4b1c1


【バックナンバー】

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第1回 クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団来日公演 1983年

https://note.com/doiyutaka/n/n47f9b3d1ac01#4aA9a

第2回 ズービン・メータ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック来日公演 1984年
https://note.mu/doiyutaka/n/n0ee6f9e64fba

第3回 コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団 来日公演 1984年
https://note.mu/doiyutaka/n/n06360df8d46f

第4回 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 シュターツカペレ・ドレスデン来日公演 1985年 &ペーター・ダム ホルン・リサイタル 1983年
https://note.mu/doiyutaka/n/n77ac79756867

第5回 シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 来日公演 1985年
https://note.mu/doiyutaka/n/ne31fbd7d7074

第6回 レナード・バーンスタイン指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団来日公演 1985年
https://note.mu/doiyutaka/n/ncf0fa68c4056

第7回 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1985年
https://note.mu/doiyutaka/n/ndd911bb148fc

第8回 マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィル来日公演 1986年(エフゲニー・ムラヴィンスキーの病気キャンセルのため)
https://note.mu/doiyutaka/n/nb958bb9cf028

第9回 サー・ネヴィル・マリナー指揮 シュツットガルト放送交響楽団 来日公演 1986年
https://note.mu/doiyutaka/n/n47fc6c4d29ed

第10回 クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1987年 ベートーヴェン・チクルス
https://note.mu/doiyutaka/n/n930ac826a2ab

第11回 クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 クリーブランド管弦楽団来日公演 1987年
https://note.mu/doiyutaka/n/nea1e86da8f70

第12回 トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団&オランダ室内合唱団 来日公演 1987年
https://note.mu/doiyutaka/n/n3e5fd15fbb54

第13回 クラウディオ・アッバード指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 来日公演 1988年
https://note.mu/doiyutaka/n/n7ff231f4c9a2

第14回 オトマール・スウィトナー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 1988年
https://note.mu/doiyutaka/n/ne81e9b44f181

第15回 ウラディーミル・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送交響楽団来日公演 1988年

https://note.com/doiyutaka/n/na3fde3ffc778

第16回 ジュゼッペ・シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 来日公演 1988年

https://note.com/doiyutaka/n/n5a604f6549cf

第17回 クラウス・テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1988年
https://note.mu/doiyutaka/n/na1b08d72ca4b

第18回 ヴァーツラフ・ノイマン指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1988年 +プラハ交響楽団 来日公演 イルジ・ビエロフラーヴェク指揮 1986年 大阪国際フェスティバル
https://note.mu/doiyutaka/n/n014d46cd4a0a

第19回 ダニエル・バレンボイム指揮 パリ管弦楽団 来日公演 1989年
https://note.mu/doiyutaka/n/nb2627da1d424

第20回 エリアフ・インバル指揮 ベルリン放送交響楽団 来日公演 1989年
https://note.mu/doiyutaka/n/n3787af53f6ef

第21回 シャルル・デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 & エリアフ・インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団 来日公演 1989年
https://note.mu/doiyutaka/n/nda86f80d4e40

第22回 小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1989年
https://note.mu/doiyutaka/n/n2cc998df03fa

第23回 バレンボイム&ショルティ指揮 シカゴ交響楽団 来日公演 1990年
https://note.mu/doiyutaka/n/nc9b3b4993d68

第24回 セルジュ・チェリビダッケ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1990年 
https://note.mu/doiyutaka/n/ncd37c413d3a2

第25回 ギュンター・ヴァント指揮 北ドイツ放送交響楽団 来日公演 1990年
https://note.com/doiyutaka/n/ned4ce169bf9d

第26回 朝比奈隆指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 来日公演 1990年(朝比奈隆キャンセルによりアルド・チェッカートの指揮に変更) 

https://note.com/doiyutaka/n/nc1e1e7182de6

第27回 ガリー・ベルティーニ指揮 ケルン放送交響楽団 来日公演 1990&91年 マーラー・チクルス 第1&第3

https://note.com/doiyutaka/n/nc29664bceb29

第28回 クラウディオ・アバド指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 来日公演 (ピアノ:マレイ・ペライヤ) シューベルト・チクルス&ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全曲演奏  1991年
https://note.mu/doiyutaka/n/n501f87f51a29


第29回 ラファエル・クーベリック指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1991年
https://note.mu/doiyutaka/n/ne02c5b29bbc6

第30回 フランツ・ウェルザー=メスト指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1992年(クラウス・テンシュテットの病気キャンセルのため)
https://note.mu/doiyutaka/n/n12df7b9c1500

第31回 マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1993年

(加筆修正版)
マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、加筆

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団 来日公演 2013年

https://note.com/doiyutaka/n/n89e792beed17

第32回
小澤征爾 指揮 ボストン交響楽団 来日公演 1994年
https://note.mu/doiyutaka/n/n83909833b931

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このエッセイでは80年代からの海外オケ来日ラッシュから始めて、最終的には現在の日本クラシック事情を記録していく。定点観音楽批評として数十年…

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