見出し画像

20200727|僕の実家は、激情家族である。

雨上がり、蝉が一斉に鳴き出した。
じめじめっとした夏が感じられた。

僕の実家の庭でも、夏になると蝉が鳴きまくっていた。
暑い日は感情までも昂っちゃうよね。
今日は、そんなお話。


新潟と呼ばれる所以。潟が多かった。

僕の実家がある場所は、
昔は「潟(かた)」と呼ばれる湖のような場所だった。
当時の航空写真がこれ。
▼▼▼

画像1

かなり大きな潟だったらしく、よく雨で川が切れたりしてたらしい。
親父兄弟が言っていた。
潟周辺の住民、農業以外に潟で漁業や鳥類の狩猟や、
植物の採集なども行っていたらしい。

かなりびっくりなのだが、
この潟に関しては生涯を通じて調べなければという
勝手な使命感を感じている。

話を戻すと、この潟の近くに実家がある。
町からも遠いので、暮らしは大変だったようだ。
舟を利用した漁業や狩猟をした人たちが集まってくる場所が、
実家だったらしいので、僕の実家の屋号は【舟場(ふなば)】である。
※今の時代で屋号って知ってるのだろうか?

僕の親父が子どもの頃まで、この潟はあったらしい。
この潟と共に生活をしていたのかと思うと恐ろしい。



声が大きい血筋。集まると絶対喧嘩みたいになる。

昨日もこれに対しての日記記事を書いた。
▼▼▼

物凄い境遇で育った環境だからか?
それとも元々の血筋でそうなのか?
実家の家族はみんな声が大きい。
いや、テンションが上がってくると声が大きくなる。
という特殊能力がある。

僕の実家は本家なので、
地元の祭りや、お盆、年末年始は親戚が集まる。
また、ご先祖様の何回忌&法事の際は一同が集まる。
結構な人数が集まるのが僕の普通だ。

法事で集まると当然宴が始まる。
親父の教えで、

自分のお膳(ご馳走)に箸をつける前に、
全員にお酌して回ってから食べなさい。
しっかり挨拶をするように。

という鉄の法則を叩き込まれていた。
小さい頃はどうだったか覚えてないけど、
ある程度の年齢の時から始めていた。

まぁ何せ物凄い人数だ。
流石に実家の家では入りきれないので、
昔からの馴染みの仕出し屋の宴会場を貸し切って行われる。
お酌して回るといっても、機械的にお酒を注ぐだけではない。
当然一言二言交わさなければいけない。

おめさん、せがれらかや?
    ※君は長男かな?
おじにみえっねっかね。
    ※次男に見えちゃうね。
なんね、でっこなったねっかや!
    ※うわ〜!大きくなったね!
こんげちいせかったってんに、りっぱんなったのっし!
    ※このくらい小さかったのに、立派になったねぇ!

若い地元人でもあまり使わない、ゴテゴテの年寄りが使う地域語。
まぁ方言ですが、対応できるようになりますよそりゃ。
この鉄の法則。
今思うと、ものすごく大事な事を教えてくれた。


さて、酒が入ると箍が外れる。
どんどんテンションが上がっていく血筋。
どんどん大声になっていく会場。
怒号のように話をするようになる。
この光景、動画は撮ってないのだが、是非みてもらいたい。
絶対、言い合いの喧嘩をしているように見えるはず。
慣れてるので、誰も止めない。
慣れてるので、周りも加わる。
会場全体が祭りのようになってしまう。
怖いんですよね。



なんとなく、
今日の暑さと、
雨上がりのじめっとした空気と、
蝉の鳴き声を聞いて、
実家の夏を思い出した。

久々にこの夏は、
里帰りしよう。
その時は、
僕も一緒に喧嘩の中にいるはず。