見出し画像

ゆるくて美味しい本格中華

家の近所に、とてもゆるい飲食店があります。

家から歩いて7分、最寄りの駅からだと12〜3分の距離にあるそのお店は、住宅街の中にひっそりと佇む、こじんまりとした中華料理店です。

このお店はオーナーシェフが一人で切り盛りしているのですが、私が知っている飲食店の中でもかなり「ゆるい」部類に入ります。

つい先日も私と妻は、朝からやっていた年末の大掃除に疲れ、昼食を食べにそのお店を訪れました。

時刻は12時30分過ぎ。

お店の前に到着すると、ランチタイム真っ只中だというのに、営業している雰囲気はまったくと言ってよいほどありませんでした。

もしも、入り口のドアに貼ってある、
「営業してます。自動ドア故障中です。ドアは手動でお願いします」
という張り紙がなかったら、私達は思わず引き返していたかもしれません。

見た目よりも重い自動ドアを手でこじ開けて、私達はそろりと店の中に入っていきました。
この日は晴天で、外が非常に明るかったせいもあり、店内はとても薄暗く感じられます。

すると、店の奥の方にあるパーティションの陰に隠れて、少しぽちゃっとした人影が見えました。
どうやら、このお店のマスターが座っているようです。

私が「すいません、やってますか」と声をかけると、マスターは「わっ!」と素っ頓狂な声を上げて飛び上がりました。

そのマスターの耳にはイヤホンが、手にはスマートフォンが握られています。
どうやらお客が来るまでの間に、スマートフォンで動画を楽しんでいたようです。

あの驚き方から察するに、おそらくはホラー系の動画を見ていたのでしょう。(あくまで推測ですが)

驚きと恥ずかしさで目が泳いでいるマスターに、
「2人なんですけど」と伝えると、マスターはお好きな席へどうぞと言いながら、厨房の中へと去っていきました。

お察しの通り先客はいなかったので、私達は広めの四名テーブルを使わせてもらうことにしました。

店内の壁には、いかにもゆるそうな顔をしたパンダのぬいぐるみや、いびつな形をした中国のお土産品などが飾られ、なんとも締まりのない空気を醸し出しています。

席に着くとようやく店内にBGMが流れ始め、少しずつ飲食店らしい雰囲気が出てきました。

BGMはいつも通りカントリーミュージックです。
おそらくマスターの趣味だと思われるのですが、この脱力感のあるサウンドがさらに店内の空気をゆるいものに変えていきます。

私達があらかじめテーブルにセットされたメニューを眺めていると、マスターはようやくエプロンを締め始め、徐々に仕事モードに突入し始めました。

しかし、先程ビックリしたときに上がった心拍数がまだ落ち着いていないのか、顔にはうっすらと動揺したような表情が浮かび上がっていました。

そうです、このお店、何がゆるいのかと言いますと、このマスターがゆるいのです。

前回私が一人で食事にきた時には、パーティション越しに隣の席から、「ふあーぁ」とマスターの大きなあくび声が何度も聞こえ、前々回きた時には、お客さんが誰も居なかったにも関わらず、私が頼んだアルコール類の伝票を付け忘れていて、破格のお値段で会計しようとしていました。

ここまで読まれた方は、このお店大丈夫なのかなと思われてしまいそうですが、実はこのマスター、決してやる気がないわけではありません。

その証拠に、お店を訪れるたびに季節の食材を使った新しいメニューがあり、飲茶や点心なども全て一からマスターが手作りしているのです。

さらには手間を惜しまず、一つの料理のために、わざわざ牛骨から出汁を取るというこだわりよう。

このことからも分かるように、マスターの料理にかける気持ちはとても熱いのです。
そして気持ちだけでなく、味はもちろん本格派です。

私はいつも五目あんかけ焼きそばを食べるのですが、これが実に美味しい。
キクラゲはコリッコリで、エビはプリップリ、
厚めに切られた豚肉もジューシーで、とろみ加減も抜群です。

そして、しっかり焼かれた中華麺は、外側がカリッと芳ばしく、中心に向かって少しずつ柔らかくなっていきます。
この食感のグラデーションが絶妙で、とろとろの餡と合わさると、井上陽水さんと玉置浩二さん
さながらに素晴らしいハーモニーを奏でるのです。

この日は妻も五目あんかけ焼きそばを食べていたのですが、あっという間にぺろりと平らげていました。
そして、普段は辛口な妻も、「大盛りにすればよかったな」とつぶやいています。

私達は大掃除の続きをするために、食事を済ませるとすぐに会計を済ませ、店を後にしました。

帰り道、「わっ!」とマスターがビックリした時のもの真似を私がすると、妻はたまらず声を上げて笑いました。

師走の慌ただしい時期に、肩の力が抜けるようなひと時。
そんな時間が楽しめる、ゆるいお店が私は好きなのです。

この記事が参加している募集

おいしいお店

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?