見出し画像

先入観や常識という偏見から自由になるには - 鍵は子供心にある(✌︎)


この名言から得られる教訓

アインシュタインが残した言葉
■ 「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない 」
■ 「偏見のある社会環境で、冷静な意見を述べられる人は限られている。それどころか、意見を持つことさえ出来ない人がほとんどだ 」
■ 「感動することをやめてしまった人は、生きていないのと同じである 」デカルトが残した言葉
■ 「先入観から脱するには、すべての不確実なものに一度は疑いをもつべきである」

■「常識」に依存すると盲目になる

 私たち人間は、脳に刷り込まれた「常識という偏見」で物事を見たり、価値判断してしまう傾向がある。だから哲学的に「既存の常識や価値観、先入観」を疑い、新しい見方や考え方をする必要があるのではないか。

常識 = 社会的に当たり前と思われる行為、その他物事のこと。
価値観 = 個人や社会が重要視する価値や信念
先入観 = 対象やグループに対して、事前に持っている主観的な信念や評価。

<常識に囚われると考えや行動が不自由になる>
 
常識(=偏見)という狭い視点、ひとつの軸」に囚われていると、物事の他の側面が見えなくなってしまう(=木を見て森を見ず)。そしてその盲目的な状態が副作用を起こしてしまう場合もある。例えば、「人種差別、自然破壊、過労死、社会的地位喪失による自殺」などの現象にもそれは深く関わっている。

<常識に騙されないための批判的思考>
 
例えば、アインシュタインの母国であるドイツで起きたユダヤ人の大量虐殺。当時は教育機関やメディアなどを使ったプロパガンダ(=思想宣伝)の影響も強く、多くの人が社会に蔓延する偏った思想(=ナチズム)を常識だと思い込んでいた。それが大量虐殺などの副作用を引き起こす要因に。

 その中で良しとされるような狭い常識(=偏見)に依存すると副作用が起こる。それに、「ルールや常識は絶対に守らないといけない」という考えに囚われてしまうのは、良い意味でも悪い意味でも「宗教的」である。

 私たち自身も日頃から、「既成の常識に囚われていないか」を十分に疑う必要がある。なぜなら「多くの人が信奉する資本主義」や、先ほど挙げた「ナチズム」というイデオロギーは、宗教と何ら変わりなく、どちらとも、私たちの意識や無意識を強制的にデザインしてくるからだ。
 
 日本人は無宗教が多いが、実際は宗教的な行動(暗黙の了解や文化に則った行動)を無意識的にとっている。これは「空気を読む」という習慣から創られた意識で、この宗教的な慣習が、同調圧力をより高めている。

 同調圧力的に、「みんなが信奉してるから自分も信奉する」という受動的な態度は危険だ。今求められているのは、能動的に批判的思考を用いて、「常識やルール、イデオロギー」の目的や利害関係などを理解する力だ。

私たちは「信念」を、神を中心とする「宗教」と、自然法則に基づくという、神不在の「イデオロギー」に区分することができる。だがその理論だと、仏教などの宗派を宗教ではなくイデオロギーに分類せざるをえなくなる。

サピエンス全史

<脳が騙されやすいことを知り、能動的に自らデザインしよう>
 つまり私たちの脳はとても騙されやすい。
それはミクロ単位で考えると分かりやすい。まず「外部から入力された情報」が記憶になって、それが意識や心を作る。そしてそれを基に判断や選択をする。洗脳のように、無意識下に記憶が刷り込まれて思考や行動がコントロールされてしまう場合もある。
 
 騙されないためには、「既成の価値観や常識に縛られていないか疑う」「世界のあらゆる物事に触れて自分の視点を広げる」「意識的に自分の認知を認知(=メタ認知)して自分に足らない情報を脳に刷り込んであげる」などの工夫をする必要がある。そうすると見方や考え方がアップデートされる。

■「感動」が好奇心や創造性を生み出す

 感動から好奇心や創造性が生まれる。大人になるにつれてこの重要な能力が劣化してしまうのはなぜだろうか?
 これにも「常識」が関わっている。子供を見れば分かるが、彼らには「常に常識に囚われない新鮮な視点で物事を見たり考えたりして、感動や好奇心といった内発性を発露させる」という習慣がある。それが彼らの中の常識になっている。

 つまり内発性を劣化させないためには、社会での常識や目的意識といった外にある物事に囚われることなく、意識的に上記で書いたような「内発性を発露する子供のような習慣」を身につけていけばいい。


習慣が現在の意識を作り出す

あなたが見ている世界は本物か

■意識や心が現実を創りだす

 感情科学を研究しているバレット氏は、「私たちが見ている世界は本来の姿ではない。私たちは、見たものに対して一旦意味を付け加えて解釈するから、本来の世界を見ることはできない」と主張している。
 
 見たものに意味を付け加える役割をしているのが、「過去の記憶や経験から作られた意識や心(=フィルター)」である。つまり脳は、この世界のあらゆるものに対して意味付けをする元ネタに過ぎないわけである。

 映画マトリックスでは、脳に電気信号を流すことで仮想世界を体験させ、そこが現実世界だと錯覚させているわけだが、これと同じように、私たちもフィルターを通して見ている世界が現実だと勘違いしてしまう傾向がある

■見える世界は、人によって異なる

 例えば、ゴキブリに対してネガティブな記憶や経験があると、その記憶や経験から作られたフィルター(=意識や心)を通してゴキブリを認知するから恐怖感を示す。嫌な記憶や経験の数が多いほどフィルターは強化され、それが常識(=偏見)と化してしまう。逆に、ポジティブな要素を含むフィルターが作られていれば、ペットとして可愛がったりするケースもある。

■フィルターを自らデザインする>

 冒頭に書いた「感動能力」についても同じことが言える。実際はたくさん落ちている「感動や驚きの種」を見つけないことを習慣にすると、それが自分にとっての常識(=偏見)になり、種に気づけない体質になってしまう。
 でも逆に、「今日が昨日と同じはずがない、世界は感動と驚きで溢れている」という意識を習慣化すれば、「感動や驚きの種」に気づける体質になってくる。
 要するに、既存の狭い視点(=常識)に依存せず、常に新鮮な見方をして、気づきの種を発見していくことを習慣化すれば、フィルター(=心や意識)は徐々に変わり始める。そして新しい常識や意識が自分の中に創られる。


最後に

■まとめ

 記憶や経験から「フィルター(=意識や心)」が創られる。生データがこのフィルターを通ると、そのデータは自分仕様に加工される。それが「常識や先入観、価値観」である。
 習慣が意識を創り出す。大きな例だと、ヌーディスト文化がある空間に居続ければ、その文化が「裸で歩くのは非常識なことではない」という意識を創り出す。冒頭でも述べたように、脳はとても騙されやすい。
 大事なのは、能動的に意識をデザインしていくことだ。習慣、つまり日常的にINPUTされる情報が、脳にミクロ単位で影響を与え、意識の在り方を変えていく。だから、自分の「無意識のパラメーター」を自ら整えていけば、デザイン通りの意識を持つことができる。

■ここから学べること

  • 脳のメカニズムを知ることの大切さ。例えば、自分たちがフィルター越しに世界を見ていることを知れば、メタ認知的に、自分の思考の癖や、偏見について客観的に観察することができる。要するに、これを知ると、メタ認知力(自分の認知を知る)が高まって世界を外側から見れるようになるため、自己に汲々としたり不安や恐怖に囚われることがなくなり、より高度な目標や活動に専念できるようになる。

  • 既成の常識や慣習に囚われず、常に子供のような新鮮なものの見方を意識することの大切さ。例えば、これを習慣化すれば、予断せずに物事を見れるようになるため、新たな気づきを得れたり、未知の物事に挑戦しようという気持ちが高まってくる!

  • 神経科学の「Use or Lose it(使うか失うか)の原理」を意識することの大切さ。例えば、気づきの種の発見を意識的に行って習慣化すれば、気づきのためのネットワークであるSNが強化される!

  • フィルターを能動的にデザインしていくことの大切さ。メタ認知的に自分を俯瞰視して、今自分に必要なものを見極め、それをインプットし、フィルターをデザインしていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?