哲学的な思考を深化させよう
当たり前を問う。
そして新しい「何か(価値観など)」を生み出す。
この「考え方のプロセス」自体を「哲学」と言うこともできる。ある点と、他の異なる点が繋がることを発見するというのも「哲学」だ。
哲学者の東氏は、ジャックデリラの脱構築がいい例だとも言っていた。
脱構築というのは、ある議題Aについて話していたのに、派生して別の話題になってたという現象があったとして、その別の話題の方が、本当は重要なんじゃないかっていう考え方らしい。
ディスカッションをすると、自分の視点からは見えなかった「目新しいものの見方」に触れることができる。
これは、自分の中に、新たな視点を併設するチャンスである。
相手の考え方が、自分のそれとは相対するものだったとしても、一旦は許容し、相手の立場になり、親身に考えよう。
そうすることで、その考えが自分の中で熟成され、新たな物を生み出すための材料になることだってあるのだから。
良い味が口の中に広がるか否かは、実際に食べて噛んでみないと分からないのだから、先ずは偏見なしに食べて咀嚼してみよう。
同胞への愛を忘れては、本末転倒だ。
人類は兄弟だ。全てはビッグバンから始まっているのだから。
比喩的に、あるゲームの中に生きている、と考えることで「フェアプレー」を促進させることができるかもしれない。
この「ものの見方」を増やしていくと、様々な物事をより多角的に、俯瞰的に見ることができるようになる。
自分の中にある考え方だけに依存するのはやめよう。
日々、自分自身を、啓蒙し続けよう。
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