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伊東潤「戦国鬼譚 惨」

武田家滅亡への道の傍らで、武田家に付き添って一族破滅の道を進むか、織田方へ恭順して生き延びる道を選ぶか。それぞれの家や人物の選択と、それに伴う様々な悲劇の話。

最初の「木曽谷の証人」で、すぐにある親子の仲睦まじさが描かれる。それが後の悲劇の演出となっているとは露知らず、自分と大きくなった息子とを想像して読んでしまったため、結末近くの展開では臓腑抉られるような痛みを伴った。当初この本のタイトルの「惨」を「三巻」の意と勘違いしていて、続き物と思っていたが、「無惨」「惨劇」の「惨」である。つまりは無惨な惨劇がさんざめく短編集である。

武田信廉を主役とした「画竜点睛」に出てくる武田信虎の悪役っぷりが素晴らしい。自身を追放した信玄の死を聞いて祖国に戻った信虎は、八十歳になるというのに、勝頼及び宿老達の誰よりも凶々しく、強く見える。

「父上、長らく何の孝行もできず、申し訳ございませんでした」
「気にするでない。そなたの兄(信玄)のことを思えば、何もしないことこそ孝行であろう」

居並ぶ重臣達の父親をかつて斬った太刀を見せびらかし、場に憎悪の渦が湧き起こる。

 しかし、その後も信虎の毒舌はやまなかった。
 馬場美濃守が教来石民部であったこと、山県三郎兵衛が飫富兵部の弟であったこと、そして彼らが、信虎が廃絶した馬場家や山県家を継いでいると聞き、信虎はあからさまな嘲りの言葉を投げつけた。春日虎綱が、石和の庄屋・春日大隅の息子と聞いた時には失笑さえ漏らし、「百姓を大身にするとは晴信(信玄)の分別違いも甚だしい」と言って嘆息した。
 座には、怒りと憎悪が渦巻いていた。信廉は為す術もなく、その嵐の真ん中に立ち尽くしていた。

信虎の暴挙は計算されてのものだった。宿老達は信玄なき後、勝頼を場繋ぎの頭領としてしか見ていない。血の上りやすい若造の勝頼より、老いて舞い戻った暴君の信虎にこそついていこうとする。父の敵であろうとも、勝頼よりは頼みに出来る、ということか。

「人の上に立ったことのないおぬしには分からぬかも知れぬが、もしあの折、わしが物分かりよく彼奴らの心を取ろうとすれば、彼奴らはどう思う。わしが、単なるお人よしの好々爺に成り下がったと思うだろう。そんな者の旗下に誰が集まるか。わしの毒が強ければ強いほど、彼奴らは吸い寄せられてくるのだ」


信虎が魅力的過ぎてそこばかり引用してしまう。

「武田家の力は、今が頂点だ。日本国開闢以来の強兵を、四郎(勝頼)のごとき表裏なき不器量者の手に委ねては、無駄に使いつぶすだけだ。この兵こそ、わしの手に委ねられねばならぬ。晴信に兵を養わせておったと思えば、三十二年など短いものだ」

武田家に人質に出されていた織田勝長(源三郎)と仁科盛信とが親友(というか恋人)だったという話が「温もりいまだ冷めやらず」生々しい衆道描写がなかなかきつかったが、「武田家滅亡」の時にも触れていた仁科盛信の死に様を読む頃には、二人の愛情に涙するほどになっていた。
 
 巻末に作家逢坂剛さんとの対談付き。

僕は史実を絶対に曲げませんが、定説には「本当にそうだろうか」という疑問を持ち続けます。つまり史実に独自の解釈を施していくことで、エンタメ性を確保しているんです。

とのこと。伊東潤氏の作品を読み始めてから、その著作数の膨大なことに驚く。「疑問を持ち続ける」というモチベーション維持と、作家として歴史に立ち向かう力強い姿勢を感じた。

通常読書と並行しての再読シリーズでは、武田家に関連して深沢七郎「笛吹川」を選んだ。こちらは武田領内の、とある一家の目から見た武田家の歴史が見えてくる。



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