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ケータイの失くした日の仕事

 先日、仕事用の携帯電話を紛失しました。

 最初は会社のデスクの引き出しに入れてしまったのかと、辺りを探したり、社用車からデスクまでの道のりの地面を眺めながら往復したりと、冷や汗をかきながら探していたのですが、段々と“もしかしたら、社用車に落としたのでは?”と言う考えに至りました。

 デスクに戻り、法定点検で車を預けた整備工場に電話をします。

『恥ずかしながら、携帯電話を失くしてしまいまして、もしかしたら先ほど置いた弊社の車両に落としてしまったかも知れないので、今その携帯電話の番号に掛けますので、もしも鳴っていたら教えて頂けますか?』

 相手先に電話をします。やや苦笑しながら電話先の女性は承諾してくださりました。

 直ぐに自分の会社携帯へと電話をかけます。

 呼び出し音が鳴ってます。

 ガチャリと何者かが電話に出ます。

 『もしもーし!かりゅうきぞくさんですか?』

 先ほどの女性の方が、出てくださりました。

 恐らく、その日にたまたま私が着ていたジャケットのポケットが浅く、車に乗り込んだ時か或いは、運転中かどちらかで滑り落ちてしまったようです。

 冷や汗が、安堵のため息に変わりました。

 携帯電話をどうするかはさて置いて、とりあえず社用車の分かり易い場所に置いてくださいと、電話に出てくださった女性の方に伝えます。とりあえず、不安の種は解消されました。

 結局、同僚に携帯電話を回収させるのも申し訳なかったのと、整備工場から借りていた代車でわざわざ30分かけて取りに行くのも億劫だったので、この日の仕事は携帯電話を使用しないで勤めることとしたのです。


 携帯電話の無い仕事というのは正直に言うと

 実にストレスの無いものでした。

 職務怠慢と評されれば全くもってその通りなのですが、携帯電話があると、どうしても休憩時間やトイレ中でも容赦無く電話は鳴ります。相手方のご都合なんぞ知らんと言わんばかりです。

 また、メールやメッセージも次から次へと舞い込んでくるので、本来やりたかった業務や、やるべき仕事を中断してまで、返信などの対応をしなくてはなりません。

 確かに、中には携帯を鳴らしても私が出ないからと、私のデスクに電話をする方も居ましたが、呼び出し回数そのものが普段の携帯電話と私のデスク上の電話の鳴る回数を合算しても遠くに及びません

 その日の夕方に整備工場へ行き、法定点検が終わった社用車を受け取り、車内に置いてあった自分の会社用携帯電話を見ると、とんでもない量の着信やメールがありました。デスクに掛けていただいた案件を除いて、1人1人に電話をかけ直して、事の顛末を話して案件を伺えば

 『そんなに急いでいなかったら、明日話しますよ。』
 『こちらで解決しました!』
 『大した用事じゃなかったから大丈夫です。』

 と、そんな回答ばかりでした。

如何に普段“急を要さない業務”にその日の本来遂行すべき業務が横槍を刺されているのかを実感します。


 私が中間管理職になった時の当時の直属の上司は“携帯電話を持ち歩かない人”でした。

 以前も何かのnoteで書きましたが、私が中間管理職になった当時はまだまだ“高度経済成長”を感じる働き方で、引き継ぎなんてのはありませんでしたし、分からない事は自分で何とかしなさい、上司よりも早く帰るなんて以ての外、と言うスタンスでした。

 現場職からデスクワーカーへとなり当初は、何が分からないのか、何を顧客から求められているのかすら理解出来ていない状態でしたが、上司に相談しようにも、彼も何処へ出掛けたのか連絡もなく、携帯電話にかけても、向こうのデスクで鳴っていると言う有様でした。

 当時の上司は
 『携帯電話を持ち歩くの嫌なんだよ、縛られているようでさ』
 と、言って私がいくら携帯を持ち歩くように言っても聞く耳を持ってもらえず、ただ相手の傲慢さに怒り心頭になりながら、ただガムシャラに仕事をしていたのを思い出します。

 今回の出来事を振り返ると、当時の上司の言い分も分かって来たような気もするのです。


 携帯電話があると、メールを見た見ていない問題があります。

 メールを送るタイミングもメールを見るタイミングも本来は自由なはずです。しかし、急を要する内容でも同様の事が言えてしまうので、どうして午前中に送ったメールなのに夕方になってもまだ見ていないんだ、と言われてもどうしようもありません。責任転嫁と言っても過言では無いと私は思います。
 余談ですが、未だに私の職場では散見される“メールを送りましたという内容のFAX”なんて本当に本末転倒です。

 また、相手のご都合お構いなしに携帯電話というのは相手に電話をかけられるというのも考えものです。

 私が、伝票を処理しながら外注先への発注書を確認しながら、来客者に対応をしながら、現場の方の報告書を眺めているときに、携帯が鳴ったとしましょう。もう、頭の上にヒヨコが回っているような状態で携帯に出ると、別部署の方から
 『直帰するからタイムカード押しておいて〜』
なんて聞かれてしまうと、とてもここでは書けない罵詈雑言が喉に上がってくるのを抑えながら了承するしか無いのです。自分勝手極まりありません。

 出先や休暇の日でも容赦無く同じような事はありますから、携帯電話の所為で生まれるストレスというのは相当のものです。


 私が中間管理職になった頃の上司は、携帯電話を持たない人と先述しました。

 しかし、当時の上司は決して仕事が手抜きだった訳ではなく、むしろそれから真逆の存在でした。
 デスクの固定電話で受けた案件は、たとえそれが休日だろうが相手が稼働日なら絶対に立ち上げから引き渡しまで対応していました。更に、本来の我々の業務を超えたサービスもしていました。例えば顧客の業績が落ち込んだ時に、他のクライアントとその顧客を結びつけて、新たなビジネスを開拓させたり、取引先に仕事を紹介したりと仲介人のような役割もしていたのです。

 1年365日のうち、360日は会社にいるような方でした。

 決して、私はその方の仕事を美化させようとは思っては思いません。おおよそ令和の働き方では無いです。しかし、当時の上司が携帯を持ち歩かないという理由も、彼の業務量を考えると、携帯電話がある事で生じる余計な横槍が入らないようにする為だったのでしょう。
 想像もつかないような業務量の合間で、出先という僅かな自由時間に携帯電話なんか鳴られてしまったら台無しです。私が彼と同じ立場だったのなら、同じく携帯電話を持ち歩かなかったと思います。


 さて、携帯電話を1日使わなかっただけで色々な事を思うキッカケとなりました。

 便利な携帯電話やスマートフォンに仕事でもプライベートでも“縛られている”現代です。つきつめて書けば“電波”に縛られています。

 今や通話やメールのみならず、スマートフォンでは今や決済やナビゲーションも出来ます。全て電波のおかげです。次から次へと便利な機能が生まれ、それらは安易に使えてしまいます。頭のいい事に、それらは位置情報や今までの買い物データと連携してサービスを提供します。電波という糸が、知らずしらずのうちに、自分の行動を結んで網のようにあちこちに結びつけられているという事になります。“ネット”ワークとはよく言ったものです。

 気がつくと、そこまで必要でも無い事や、不要な情報や余計なデータにも、自分自身が結びつけられています。見えない電波という糸で構成された網“ネットワーク”の内側に自分自身が知らず知らずに入り込んでしまっているのです。

 携帯電話を持ち歩かないという上司の労働姿勢が正しいとは思いません。
 しかし、携帯電話引いては"電波"に公私共に現代人は縛られて過ぎているような気も私はどうしてもしてしまうのです。


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