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オマケ的コラム。~LGTBQやジェンダー問題の根本的な欠陥とは?

先ほど、投下した記事のおまけコラム。

LGTBQやジェンダーの問題は宗教問題に酷似しすぎている。具体的には中世のキリスト教で起こった宗教改革&革命、仏教の多流派の問題と構図である。もっと細かくかつ、端的に指摘すれば「解釈のしすぎ」である。

中世のキリスト教は解釈のしすぎで本筋とはかけ離れたものが増えて戦争や改革にまでなったし、仏教も本来素朴だったはずの「釈迦牟尼」の教えを弟子たちのマウント合戦によってインテリ階級の解釈学に堕とされてしまった。LGTBQやジェンダーの問題もこれと全く同じメカニズムではなかろうか。

筋肉隆々、パワー!ある男が獲物を捕獲し、食いモンを調達してくる。で、女が子とともにその帰りを待つという構図は2000年以上も前から続いている「基本セオリー」というべき鉄板の生活パターンだ。最近の学説では「いやいや、女性も狩りしてましたからぁ!」という報告もあるが、それはキングダムで例えるなら、羌瘣のような特殊パターンか、河了貂のショボイ吹き矢のレベルであろう。どのみち、その数は少ないのは明白である。なぜなら、子を産めるのは女だけだからである。この法則(DNAプログラミング)が変わっていない以上、女の云々は軽くそして圧倒的に論破できる。男は、出っ歯の尾平でも、謎に死なない澤圭さんという戦闘力が低めでも戦場にでなければいけないのだ。

上記のことに納得がいくなら、昌平君の頭脳と、騰のようなファルファル戦闘力がある私の下記のnoteも理解していただけるのではなかろうか。解釈しすぎると欠陥と混乱を生むというわけである。

パワー!


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