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たかがルーティン、されどルーティン。

専門職の教育や育成というのは、困難を極める。
よくそう言われます。

これはいつも自分自身、常に実感しているところです。

表面的なところで言えば、メンバーには育ってもらわないといけないし、自分自身も成長していかないといけないしで、常に二兎を追っている状態です。

正直、メンバーの育成だけなら、ある程度時間が解決してくれると考えています。僕の場合は、医療職であり、国家試験をパスしてきた人たちの集まりなので、勉強については「一定のレベル」できるはずなんです。プレッシャーに強い弱いはあるにせよ、学習能力については最低限保証された状態でチームの一員となります。

それに対して、

日常業務に関しては、そこからどのレベルで独り立ちにするかってのは、そこそこの考え方によりますが、少なくても3年もあれば一区切りはつけられるのではないでしょうか。

本業でもある「臨床検査技師」は実は様々な検査項目を担当しなければいけません。

心電図に超音波検査、細菌検査に輸血検査、病理検査に生化学検査、、、あげればキリがない。なので、それぞれ担当する技師は違う部署の技師を見ていると「違う職業なんじゃないか?」と思わされるくらいなのです。

とはいえ、大きく「検体検査」と「生理機能検査」に大別されます。メンバーの育成については、検体検査系はそこまで多くの時間は要しませんが、生理機能検査は患者さんとのこともあり、個人差はあれど育成には時間を要します(それでも最大2〜3年で独り立ちするケースがほとんどだと思いますが)。


そこまでは最低限のラインです。
我々はそこから検査のクオリティを上げ、患者さんに貢献していかないといけません。なので、ルーティンに入れるだけの能力を身につけてもらったあとが肝心……と思われがち。確かにそうなのですが、実はその間が重要なのです。


ざっくりと言えば「育った後、辞められたら育てた意味がなくなる」のです。雛鳥じゃあるまいし、せっかく手塩にかけて育てた人材が、育った瞬間に「じゃ辞めます!!!」なんて悲しいことこの上なしです。

もちろん業界的には質を担保した技師が増えることで、大枠ではメリットはあるように思えます。ただ、所変われば品変わるではないですが、求められることが違ってくるので、厳密に言えばそこまでメリットがあるようには一般的には思えません(遺伝子解析などのニッチで専門性の高い分野だと変わってきますが)。

なので、そもそも辞めようと思われてしまったら元も子もない。育成一つとっても、厳しさの中にも優しさを見いだしてもらえないといけない。そしてここでやっていこうと。コレがもう、ここ最近は難しい。

このような育成に限らずですが、往々にして問題というのは「対人・組織コミュニケーション」に帰着することが多いと思っています。

そこを改善できるポイントはなんなのかと考えたとき、これも元も子もないですが、「教える側のキャラクター」なのかなと。

同じこと言っていても、表現がマイルドな人と、ただ厳しいことを言っている人、若干ストレスのはけ口にしているんでは的な人では伝わり方に雲泥の差ができます。容易に想像できますよね。つまり、伝え方が下手くそではいけない。スキルにしても、人間的な部分にしてもです。

ということで考えたとき、仕事の能力やスキルを高めるのはもちろん、人間的な魅力や人格的なところがついてこないと、職業人としては価値がなくなってくるのかなと思っています。


ここで勘違いしてはいけないのが、これは性格云々ではないということです。それはただの言い訳。結局、自分を変えてまでやることではないと思ってしまっているなら、所詮はそこまでの人間です。

極端な能力というのは時に必要だけど、時に毒になります。

チームを支えているのはいつだってバランス感覚に優れた人。そしてそのバランス感覚が優れた人がいるチームというのは、個々の能力が多少劣っていたとしても、チームとしては優秀な結果や働きができるものです。

今はSNSでいろんな情報が入る時代。

やれ上司がどうだの、やれ同僚がどうだのってなりますが、それはもう当たり前の話。そこで問いたいのは「じゃあ自分はパーフェクトにできているのか」と。あの人が間違っているというなら、自分で言っていることを実行したら、それは結果として残せるのかと。

SNSなんぞただの愚痴の掃きだめみたいなところもあるので、発言自体はフリーダムなわけで言うのは自由。ただし言葉には言霊が宿ります。それが思想になり、行動になる。これは忘れてはいけないことです。

臨床検査技師業界でいえば、できる上司が極端に少ない印象です。
普通のことをしていても賞賛されたり、有名になったりする。上司側としては正直、評価されること自体は超絶イージーに見えます。でも、現実はチーム作りで普通のことをしても「業界が普通ではない状態」なので、評価はされません。

他の業種から見たらそんなものたいしたことない、当たり前の所作にすぎないってことも、すごい働いているように思われることもあります。それくらい浮世離れしてる感を覚えます。

ただこれって、別そういうポジションになったからできるようになるのか?ということも考えておくことが必要です。

僕の答えは「No」です。普段から専門的な知識・能力以外の部分で考え続けてきた結果が出るのが組織作りであり、教育であり、組織を体現するということです。そして、常に自分に何が足りないかと自問自答してきた結果。

これらは決して先天的な能力ではないってこと。
明らかに後天的な能力であり、誰もが身につけられるもの。

なので「自分の性格はこうだから……」はこれまた言い訳になります。これは断言します。成長することから逃げている。責任を持つことを嫌がっている(これはこれでいいんですが)。行動することに、それで結果がでることに怖がっている。そこを認めない限りは、前進はないと思っています。

・・・

このように、たかが「独り立ちしてルーティンに入るか入らないか?」という入り口から、自分のあり方、仕事に対する向き合い方まで深掘りすることができます。

今が良ければいい、という考えならいくらでも仕事のルーティンに入るメンバーやスタッフを育てることができます。己の都合で必要なことをたたき込んでいけばいいだけなので。

でも現実はそうではないし、「育った後」のことも視野に入れておかないと、特に教える側の努力がチームの結果として結びつかなくなるのです。

これを頭の片隅ではなく、中心部である玉座において仕事していくことが、これからの時代、そして次の世代につなげられることだと思っています。

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