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私が「客観視する時」の基準


今回は、「客観視」に付いて語らせて頂きました。

私達は自分で何かを「客観視出来ている」と思っていても、その自分が持つ「客観視する時の基準」というものに目を向けられる人というのは、実はとても少ないのかもしれないなという事を、最近私は改めて思います。

そうしたものが死角となって、自分で客観視しているつもりで「自分で自分の首を絞めている」という事に陥っているという事に、多くの方達が案外気付けないで苦しんでいたりするという事を私ば思います。

記事の中でもお伝え致しましたが、自分の事を客観視するという事は、自分の事をクールに突き放して、私情を入れずに「まるで他人の事の様に観る事が出来るかどうか」だと私は思っています。

つまり自分の事であっても、他人の事であっても、そのものの観方に「矛盾がない」というベースが有るか無いかという事が、大きなポイントになっていると思います。

思考でどう屁理屈をこねようが、表面上出さない様に努力しようが、全ての生命が根底に持っている「自分が一番可愛い」というのが私達の本音であり、本質なのだと私はシビアに思います。

逆説的な様ですが、そういうものをシビアに自分自身と他者に認めた上でこそ、初めて私達は何かに対して「客観視」というものがクールに的確に出来る様になるのではないでしょうか。

今回はそんな事を改めて思いながら、この記事を書かせて頂きました。どなたかの何かの参考になれば幸いです。


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