見出し画像

【謙遜はブサイクになる】

今日は『謙遜はブサイクになる』
についてお伝えしていきます。

謙遜がブサイクになると聞けば

「何を言ってるのだこの大馬鹿者が」

「傲慢な姿勢でふてぶてしい」

「ブサイクとはけしからん」

etc

数々の罵声や怒号が飛び交いそうです。


私自身「謙遜」に関しては
日本独特の文化であり
日本らしいと思っています。


名探偵コナン
安室透こと降谷零(バーボン)の
名台詞である

「僕の恋人はこの国さ」

のように純粋な愛国心で
祖国を大切に想う信念は
生涯貫き通す覚悟です。


「武士道精神」

「侍魂」

「大和魂」

を基軸に動く理由もそこにあります。


だからこそ
「謙遜」をより適切に
活かしたいと感じています。

「謙遜」の意味は
[名・形動](スル)へりくだること。
 控え目な態度をとること。
 また、そのさま。「謙遜して何も語らない」
「(小サナ花ハ)きわめて謙遜な、有るか無きかのものである」〈寅彦・病室の花> goo辞書より引用
「不細工」の意味は[名・形動]《「ぶざいく」とも》
1 細工がへたなこと。できばえが悪いこと。
  また、そのさま。「不細工な手作りの棚」

2 格好が悪いこと。
  また、そのさま。「不細工などた靴」

3 容貌がととのっていないこと。
  また、そのさま。不器量。「不細工な鼻」
                        goo辞書より引用


日本語そのものが奥深く
状況によっては色々な意味に
解釈する事も出来ます。

また外国語と少々異なる点は
婉曲表現を使ったり
遠回しに伝える事で
刺々しさを緩和しています。


良く言えば
柔らかく包み込む優しさがある。

悪く言えば
意思疎通が曖昧でよく分からない。

まさに陰陽の概念です。


西洋の二元論思考が
定着していると

「白黒はっきりしないとイライラする」

「ぼやけすぎて意味が伝わらない」

「回りくどくて面倒くさい」

etc

恐らく不平不満が募るでしょう。


確かに相手とコミュニケーションする時に
主張が明確でなければ伝わらないです。

外国人が日本人と会話する時に
不満に感じるところが
透明性がない事です。

特に欧米人は良くも悪くも
自己中心的かつ合理的に
捉える傾向があるので
疑問視している所以です。

※全ての欧米人が全員自己中心的と
 言っている訳ではありません。


とは言え
全てをストレート表現にしても
双方が言い合いになるだけで
対立の火種になりかねません。

ではどうすれば
建設的なコミュニケーションが
取れるのでしょうか?


それは
「謙遜」を上手に活用して
コミュニケーションを取っていく事です。

ただ日本人同士で
「謙遜」をやり過ぎて
勿体ないコミュニケーションを
している場面が多々あります。


例えば

「○○さんは知的で素晴らしい能力をお持ちですね」

「○○さんは美しく気品に満ち溢れておられますね」

「○○さんの行動力にはいつも感心しています」

etc

褒められる時です。


ところが
決まって返す言葉が

「いやいやそんな事はありません、発展途上です」

「いえいえ至らないところばかりです」

「まだまだ思い切って動けてないです」

etc


一見すると礼儀正しく
畏まっているように思えます。

しかし
否定して受け答えしているので
発信者側からすれば
甚だ疑問に感じています。

人によっては不快と感じるでしょう。


学校教育や躾の影響が大きいです。

人前では偉そうな態度を
取ってはいけないと
教えられている事が多いです。


ここが「謙遜」の落とし穴です。

相手に失礼のないようにする事は
大切ですが行き過ぎると
かえって失礼になります。

発信者側は褒めているのに
受信者側が否定するとなれば
会話が一方通行となり
成立しません。


背景として
褒められる機会が少なくなり
怒られる場面が増えている事も
考えられます。

幼少期頃までは褒められますが
小学生以降になると
注意や指導ばかりが
目立つようになります。

社会に出ても同じです。


褒めてちやほやすると
調子に乗るから
甘やかしてはいけない。

厳しく対処するべきである。

こういう声が挙がってきます。


私も武道をしていたので
気持ちが分からないでもないです。

しかし、冷静に客観視すると
教育者や上司が威厳を示したいだけの
自己満足で行っている可能性も
十分にあり得ます。

子供や社員は正直なので
すぐに察します。


無理に威厳を示さなくても
自然体で魅力を高めていれば
相手から近づいて来ます。

褒める事が難しいのであれば
承認するだけでも出来るはずです。


このような経緯があるので
素直に受け止める習慣が
身に付いていません。

まさに「謙遜」の悪循環です。


「謙遜」し過ぎる事で
セルフイメージが低下して
自信が無くなっていきます。

自信が無いと認識すると
3Dワード(でも、だって、どうせ)を
口癖のように使います。

すると潜在意識に
ネガティブ信念が埋め込まれ
自分で壁(ブロック)を作り
出来ない理由を探し始めます。

結果ネガティブアファメーションを
繰り返すようになり
自己否定が習慣化します。


「謙遜」の悪循環に
陥らない為のアプローチとして
「謙遜」の使い方を工夫する事です。

それは
「謙虚」を使う事です。

謙虚の意味は
[名・形動]控え目で、つつましいこと。
 へりくだって、素直に相手の意見などを受け入れること。
 また、そのさま。「謙虚な態度」「謙虚に反省する」
                       goo辞書より引用


「謙遜」「謙虚」共に
「へりくだる」「控え目」
を意味します。

最大の違いは

「謙遜」は意図的に
自分を低くみせる事です。

「謙虚」は本心から
人柄、態度、言動が
控えめでつつましい事です。


要するに
周囲の評価を氣にしているか
素直に心から感じているか
が大きく異なります。


とすれば

相手とのコミュニケーションに対しては
「謙虚」に対応していく

自分の内側に対しては
「謙遜」を自戒として
更なる向上点にする

のように使い分けると
良いのではないでしょうか。

画像1


相手から褒められたら率直に
ありがとうございますと
感謝を表明したほうが
気持ち良いものです。

ありがとうございますと
言われて嫌な気分になる人は
居ないでしょう。


相手に褒めてもらいたい一心で
強引に承認欲求を振りかざすと
自分の魅力を下げてしまいます。

自分の最大の才能やスキルを磨き続け
最大の機会に価値提供すれば
無理に承認欲求を提示しなくても
自然と相手から称賛の声が寄せられます。


「褒められたい」

「感謝されたい」

のであれば自分から積極的に
褒めて感謝していく事です。

先に提供する事が
魅力を高める第1歩です。


「謙遜」し過ぎる事は

「内心では褒めて欲しい」

「本当は認めてもらいたい」

と渇望する承認欲求の裏返し
とも言えます。


日本社会における
建前文化なのかもしれません。

「本音を発信すると嫌われて関係性が拗れる」

「ストレートな表現は相手を傷付けてしまう」

「嘘も方便なのでお世辞を言っておくほうが安全」

etc

それらが積み重なっていくと
本音を抑圧して内側に溜め込み

「謙遜」という聞こえの良い
体裁を繕った上辺だけの
コミュニケーションを始めます。


謙遜はブサイクになる
と表記した真意です。

謙遜し過ぎてブサイクに陥らないよう
謙虚かつ誠実性を一致させて
日々鍛錬していきましょう。

今日も読んでくださって
ありがとうございます。


追伸
あなたの
「謙遜エピソード」を
教えてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?