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終焉

物事には必ず幕を閉じる日が訪れる。

人生に例えても、最初がある限り終わりもある。
ここまで話すと儚い物語にしか聴こえないだろうが、重要なのは如何に自身の存在が正しかったかを示す行為であると思う。

言葉では簡単に綴る事は可能だが、実際はとても難しい。
また難しい課題だからこそ、挑む事に意義がある。

そう言った事柄と重ねて鑑賞した作品が、『ランボー ラスト・ブラッド』である。


タイトルが示す通り、ランボーにとって最後の戦いとなる物語だ。

先ずこの作品を語る前に、このシリーズに欠かせない重要な課題を述べると、一人の戦士の苦悩だと思う。
今でこそ「PTSD」という言葉は身近に感じられるだろうが、精神の病が一般的になる前までは「外傷後ストレス障害」は今では放送禁止用語となる「気違い(気狂い)」扱いされていた。

この作品の原作となる「一人だけの軍隊」であからさまになるジョン・ランボーはベトナム帰還兵である。
本来であれば故郷のために戦い続けてきたのだから「英雄」となるべき存在だ。
しかし、ランボーを待ち迎えた現状は戦争に加担した「加害者」でしかなかった。
やがて苦悩は怒りと化し、誤った事実を正そうとたった一人で立ち向かう。

この様な背景から理解できる様に、ランボーは安易に他人に対し心を開かない性分となる。
唯一ランボーの安堵の場となる父が残した牧場を引き継ぎ、父の代から家政婦を務めるマリアと孫娘であるガブリエラと共に肩を寄せ合い平穏な暮らしを送っる事だった。

年老いたランボーにとって血の繋がらない唯一の家族の存在は希望の証でもあった。
これまで無駄な血を撒き散らしたからか、反省も兼ねてランボーはゆったりとした時間を満喫した。

多感な時期のガブリエラは亡くなった母の存在を尊重しつつも、記憶にない父親の存在が恋しかった。
そんな矢先、突然旧友のジゼルから連絡が入り、「父親を見つけた…」と訊かされる。
詳細を尋ねると父親はメキシコで暮らしているとの事。
ガブリエラにとってサプライズと思える情報を父親同然に育てたランボーに対し、父親に会いたいという一心でメキシコ行きを許可を得ようと歩み寄る。


正直、最愛なるガブリエラの申し出にランボーは前向きになれなかった。
その理由は、ガブリエラの母が亡くなる前に乱暴を繰り返し勝手に出て行ったからだ。
ランボーにとってガブリエラの父親に対する心証は良くなかった。

過去をうまく伝えられなかったランボーの言葉を無視する形で、ガブリエラは家族の許可なく勝手に父がいるメキシコを目指す。


旧友であるジゼルの情報を頼りに父親と再会は出来たものの、理想の父親象と目の前に存在する父親とでは大きく異なる事にガブリエラは戸惑う。

ガブリエラは父親が迎え入れる事を想定していたのだが、目の前に映る父親は迎え入れるどころか、母親と娘の存在が厄介だったと冷酷な口調で伝える。

事実を受け入れたガブリエラの気持ちは無惨にも散って行った。
その場に居合わせたジゼルはガブリエラを励まそうと賑やかな繁華街へと誘う。

ここからガブリエラにとってランボーを裏切った事を後悔せなばならない試練が待ち受ける。


ジゼルは偶然を装い通った先は人身売買を目的とするブローカーの住処だった。
要するにジゼルはガブリエラを裏切り身売りしたのだ。

人身売買や麻薬の流通を仕切っていたのがウーゴとビクトルのマルティネス兄弟だ。


その後、ランボーはガブリエラ帰宅しない事に対し違和感を覚える。
そしてガブリエラはランボーと祖母の反対を押し切り勝手にメキシコに住む父親の元へ向かった事を知る。
真っ先にジゼルが住む場所に向かい、不自然な回答しか述べないジゼルをランボーは尋問する。
ジゼルはランボーを恐れ、ガブリエラが誘拐された場所へと向かう。


明らかなに怪しい町並みに潜む堅気ではない人間らがランボーを見るなり、見慣れぬ風来坊に対し牽制する。
最初は真摯にランボーはマルティネス兄弟にガブリエラを解放する様に伝える。
しかし、相手はランボーの願いを叶えるどころか、暴力を駆使し痛めつけるのだ。


ランボーは意識が途絶えるほど痛めつけられる。
偶然にもランボーがジゼルに案内された場所に居合わせたフリー・ジャーナリストのカルメンは、ランボーの行動を一部始終観察していた。
後を追ったカルメンはランボーを救い意識が戻るまで看病する。

因みにカルメンの妹は、マルティネス兄弟の犯行により薬漬けにされ帰らぬ人となる。
この様な横行に対し、妹の敵討ちのつもりでマルティネス兄弟を追っていた。

四日間ランボーは意識を彷徨う。
やがて意識を取り戻したランボーは、命の恩人であるカルメンに対しマルティネス兄弟の居場所を訊く。
向かった先は売春宿で多くの女性が物の様に扱われ、ランボーは感情を抑えきれずに突入する。
やがてランボーはガブリエラと再会するが、多くの男に痛めつけられた上に薬漬けにされていた。

間もなくランボーはガブリエラの祖母が待つ自宅へと急ぐが、道中でガブリエラは帰らぬ人となる。


そしてランボーが取った行動とは…

冒頭で説明した通り、ランボーは本作でも「外傷後ストレス障害」に悩まされる。
常に安定剤で抑えつつも、感情が高まると安定剤の効能よりも感傷が勝り自らが兵器となる。


この作品は見事にシリーズ化したが、原作を映像化する際は困難に見舞われたエピソードが満載だ。
最初はワーナー・ブラザースに映画化権が渡るが、ランボー役にクリンスト・イーストウッドやジェームズ・ガーナー、アル・パチーノとダスティン・ホフマンへオファーするも、全てに断られ企画が頓挫する始末となる。

やがてワーナー・ブラザースでは手に負えない映画化権をカロルコ・ピクチャーズに渡り、スティーブ・マックイーンに打診され、本人はやる気満々だったのだが、既に病魔に侵されあえなく降板となる。
で、出演料を下げてまで成し遂げたいと名乗り出たのがシルベスター・スタローンだ。

仮にスタローンが本作を演じていなければ、これほどまでのメガヒット作品とはならなかっただろう。
何故ならば、当時のスタローンは闘志と意欲が滲み溢れ、向かう所敵なしといった肉体改造に成功しているからだ。

その背景に名作『ロッキー』を同時進行していた事も重なるのだろうか?
具体的な理由はともかくとして、この作品は単純に「終わり」として扱うには安易過ぎると個人的に思うばかりだ。

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