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勉強の時間 三千世界への旅/アメリカ15

アメリカの分断・対立とバランス


対立と迷走


ものごとを日本から、あるいはアメリカ側から見ただけで、「国際社会はこうだ」とか、「中国やロシアの考え方は国際社会で通用しない」とか言う人がいますが、その国際社会は欧米先進国の限られたエリート層が勝手に設定しているフィクションでしかないのです。

ものごとを自分の視点からだけでなく、相手の国や民族、宗教の立場、視点からも見て、対立に妥協点を見出さなければ、対立は結局戦争に行き着くことになります。

世界では色々な民族や地域、国家、宗教が色々な相違や対立を抱えながら経済的に政治的に文化的に交流を続けていますが、それぞれの国一枚岩で統一されているわけではなく、様々な歴史的、地理的、文化的背景を持つ地域や勢力が対立しながら運営されています。

特にアメリカのようにヨーロッパ全体に匹敵するような国土に、様々な人種的、歴史的、宗教的、経済的背景を持つ勢力がせめぎ合っている連邦は、それ自体が複雑な世界です。

近年、人種差別の再燃や社会階層や所得格差の拡大が注目され、「アメリカの分断」ということが言われていますが、これまで見てきたように、元々アメリカは色々な意味で異なる勢力が異なる価値観を主張し、ぶつかり、競いながら全体として成長拡大を続けてきた国です。

繁栄するためにアメリカはかろうじてひとつの国にまとまってきたとも言えますし、アメリカがひとつの国として機能するのは他国に対してであって、自国の中では常に分断と抗争が続いてきたとも言えます。

たぶんどんな国でも、たとえばオランダやベルギーのように日本の九州ほどの広さしかない国でも、それなりの勢力間抗争はあるでしょうが、アメリカや中国、インドなど広大な国土と巨大な人口を抱える超大国では分断や対立が複雑に作用し、国家の運営を迷走させる傾向があります。


アメリカの分断・抗争から学べること


しかし、アメリカが複数の勢力による対立で迷走しながらも成長を続けてきた歴史を振り返ると、そこから何か学ぶものがあるように思えます。

色々と問題はあるにせよ、対立する考え方をただ否定するのではなく、相手の考え方を研究し、理解した上で、お互いにプラスになる妥協点を見出そうとする、視野の広さと包容力がこの国の人たちにあるのも事実だからです。

対立しながらもアメリカ合衆国を創り出し、その独立と拡大の基礎を築いたトーマス・ジェファーソンなど建国の父たちを見ると、彼らが近視眼的に自己主張していたのではなく、対立しながらも相手を理解していたことがわかります。

南北戦争は奴隷制度廃止を主張する北側の勝利に終わりましたが、奴隷廃止を主導した大統領リンカーンは暗殺され、南部の奴隷解放はただ黒人を社会に放り出すだけの、中途半端なものになりました。

しかし、その後アメリカは黒人の教育や雇用の優遇制度を継続し、粘り強く奴隷制度のレガシー解消を進めていきます。南部の旧奴隷州では黒人差別が慣習としてだけでなく、制度としても長く残りましたが、これも20世紀の公民権運動を通じて徐々に撤廃されていきました。

北部と南部の価値観の違いと対立は今もなくなっていませんし、アメリカの産業構造が変わって鉱業や製造業などが衰退し、白人に新たな貧困層が形成されると、分断は地理的な南北から、アメリカ全土、社会全体の分断・対立になりつつあります。

しかし、こうした分断・対立が続きながらも、それぞれの勢力が主張したり妥協したりすることで、長期的に見ればアメリカという国のエネルギーを活性化させることができている。そこにアメリカという国の強みがあるのではないかと思います。



社会主義への対応


たとえば、20世紀初頭にロシアで社会主義革命が起きた頃、欧米先進国でも労働運動や社会主義・共産主義が盛り上がったことがありました。ロシア革命の成功に勢いづいて、労働者階級が国境を越えて連帯し、国際的な社会主義連邦が広がっていくのではないかという空気があったのです。

1914年から18年まで続いた第一次世界大戦でヨーロッパは荒廃していましたし、ロシア革命もその混乱の中で起きたわけですが、当時はまだ19世紀型の資本主義が過酷な条件で労働者を酷使していて、これに対する労働者側、社会主義勢力の反発が勢いを増していました。

1920年代末から30年代初頭にはアメリカで起きた恐慌が世界に広がったため、資本と労働者・社会主義勢力との対立はさらに激化しました。



国家主義・軍国主義という選択


これと同時にイタリアのファシストやドイツのナチス、日本の右翼など、国家主義・民族主義の勢力も勢いを増していきました。

これらの国々は、欧米先進国に比べて近代国家としての統一・革新が遅れた国ですが、こうした国々では国家主義・民族主義勢力が権力を握って社会主義・共産主義勢力を弾圧・駆逐しました。

しかし、元々資本主義経済が未発達で、欧米先進国に比べると経済力が弱く、軍国主義的な政策、つまり戦争による軍事産業の拡大で世界恐慌以後の経済立て直しに突き進んでいくしかありません。最後は欧米先進国との戦争になり、第二次世界大戦の敗北でこれらの国家は崩壊してしまいます。



イギリスとフランスの社会主義


一方、イギリスやフランスでは社会主義運動の歴史が長く、労働組合も強かったので、社会主義・共産主義勢力はドイツや日本などに比べて政治に深く関与していました。

イギリスでは1920年代から労働党が保守党と交代で政権を担当するようになっていますし、フランスでは1930年代に社会主義政権が誕生し、この時期に週休二日制など労働環境の改善が行われています。

社会主義勢力が強くなると、ストライキや賃金の引き上げで企業は打撃を受けますから、資本主義経済にとってはマイナスと考えることもできますが、長期的に見ると国民の所得や休暇が増えることで消費が伸び、経済の拡大につながります。

ただ、イギリスとフランスは経済成長よりも個人的な生活の充実を重視する人たちが増えたこと、第二次世界大戦後、海外の植民地を失ったこともあって、19世紀までの成長力はなくなっていきました。



アメリカの対応


アメリカでも20世紀初頭は労働運動が盛り上がった時期でしたが、世界恐慌の時代に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、「ニューディール」と呼ばれる政策で経済復興に着手します。

ニューディールで有名なのは公共事業で仕事を増やし、恐慌で職を失った労働者を救済した政策ですが、それ以外にも労働組合が企業と交渉する権利を保障したり、社会保障を充実させたり、労働者の待遇改善を色々やっています。

アメリカには独立革命以来、経済活動の自由つまり事業者・資本家の権利を保障する価値観が根強くあって、それがこの国の発展を支えてきたわけですから、国がこうした経済への介入、特に労働者階級の保護を行うのは、かなり異例のことでした。

それだけ世界恐慌のダメージが大きく、この恐慌をもたらした資本主義経済に対する反省や危機感が大きかったということかもしれません。

当然、共和党的な自由主義の立場からは「ルーズベルトは共産主義者だ」的な批判がありました。

しかし、ルーズベルトはただ労働者階級・社会主義勢力の優遇ばかりやっていたわけではありません。彼は早くからナチスの脅威を理解していて、次の世界大戦のために軍事力の増強を始めようとしていました。



揺れながら模索する大国


1930年代には、ナチスの科学・技術振興や、第一次世界大戦からの経済復興などを評価する人たちが、欧米には少なからずいましたし、そもそもアメリカは「自分の広大な土地の開発と経済振興に集中すべきで、海外のもめごとに関わるべきではない」という考え方が根強い国ですから、ルーズベルトの軍事強化戦略には反対の方が強かったようです。

結局、1941年に日本が真珠湾攻撃でアメリカに宣戦布告したことで、海外不干渉主義は吹き飛んでしまい、アメリカは軍事力増強を急ピッチで進めることになります。

皮肉なことに、アメリカ経済はこの軍備増強に牽引されて世界恐慌による大不況から脱却することができました。

ドイツや日本などの軍国主義の国はもっと早くから軍需産業によって経済復興を成し遂げていましたから、この現象はアメリカだけのものではないのですが、いろんな主義主張が対立しながら、それを調整して最終的に的確な行動をとるところに、アメリカという国の大きさと健全さを見ることができると思います。

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