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火をつけた広辞苑を国会にぶん投げる

官僚による「なりすまし」です。本当にありがとうございました。
しかし、皆さん耳を疑え。
総務大臣的に、これはねつ造ではないのだ。

「統計委員長 国会に協力しない」 総務省、無断で文書作成(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201902/CK2019022602000147.html?fbclid=IwAR2G7pgBk9-gPeqKZYJKBKmF3hI5wDRMO1k1-8OCHKu_ffoL_IGxcvmqJMs

どうやら国会という形而上学バトルフィールドでは、言葉なんて役に立たないらしい。
なるほど。そうか。わかった。
広辞苑を手に持て! 言葉に火をつけろ!
広辞苑。
それは良く燃える厚い紙束だ!
皆さんよくご存知の通り、広辞苑はもちろん、鈍器としても優秀だ。したがって、投げつけて当たれば、当たり前のように痛い。相当痛い。本当に痛い。
そしてなにより、一万円払えば、タダで手に入る。しかも280円のおつりまでつく。こんなお買い得があっていいのだろうか。いいに決まってる。
とりあえず、皆さんは今、なんとなく現状の政治情勢の不満を抱えているのだろう。そのなんとなくには適切な輪郭が必要だ。
火をつけた広辞苑を国会にぶん投げる。これが正しいことなのかはわからない。しかし行動に移さねばなにも始まらない。輪郭というものは、こうやって手探りで形作るものなのだから。
広辞苑を買う。
これが第一歩だ。もちろんこの第一歩の前に、一万円を用意するという一歩もある。何だって初めは小さなこと。小さなことからなんとやらだ。そうやって順序立てて、後ろ向きに歩んで、今、何をすべきなのかを考える。決して振り返ってはいけない。一寸先のこともわからないのが現代だから、前を向こうが後ろを向こうが景色なんてものは、いつも闇。真っ暗なのさ。
だったら進行方向なんて確認する必要なんてない。
もちろん、わざわざ国会に行く時間もとれない。そんなに地肩も強くない。あまりこう政治的な行動とか。
え、デモ? そういうなんか過激みたいなのは、ぶっちゃけ慎みたい。
そう考えて、結局、行動に移さない多くの人がいるのを知ってる。
それらの人々をわたしは責めるつもりはない。むしろ人間的だと思う。慎みこそが人間の美徳だ。美しい日本はこうやって作られてきたし、作られていく。
ただ、知ってほしい。
謙虚で、真面目で、慎みを崩さずに、バトルフィールドにダイレクトアタックをお見舞いする、たったひとつの方法を。知れば間違えなく考えを360度変える。
それは、アウト、ソーシング。
そう、アウトソーシングだ。
善良な家畜たる皆さんの家畜であるわたくしが。我がままで、不真面目で、目立ちやがりの汚名を。
被ってやろうじゃないか。
わたしは元野球部の友達がいて地肩も強いし、電車や新幹線なんかを乗り継げば、国会はすぐ傍だ。家の仏壇の前にはマッチがいっぱいあるし、広辞苑だってAmazonで買える。
皆さんがわたしに一万円払えば、タダで皆さんの沸き立つ暴力革命の幻想に、実感を与えることができるし、なんと280円のおつりまでついてくる。
もちろん皆さんの不信もわかる。
わたしが本当に、火をつけた広辞苑を国会に投げ込むかどうか。そういった疑問も残るだろう。その辺に抜かりはない。
この文書を書いた人物は信頼に足る人物である。
そう証明するメールが官僚から皆さんへ届く予定である。かの総務大臣も、ねつ造ではないと答弁してくれるに違いないし、何の問題も見当たらない。
誰も損しないし、みんなハッピー。
こうやって世界は時間を無駄にして回っている。何も間違っちゃいない。一万円を受けとってもわたしは罪悪感をおくびにもださない。出すのはおつりだけだ。
大切なのは、間違っちゃいないと言い続けること。
そして面の顔の厚さだけ。
それだけ。それだけなのだ。

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