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大阪北部地震

朝食のサラダが目の前でとーんと撥ねる感じがしたと思ったら、わたしもいっしょにバウンドしていた。なんか現実感ないなーとガラスとか木の柱とかが軋む音を聞きながら、ああ、このまま死ぬかもなーと思った。
揺れが収まってまず真っ先にテレビのチャンネル回して、今起こっていることの答えがニュースになっていないかを探した。するとテレビの上のほうにニュース速報が流れて、さっきのことはわたしの勘違いでないと確認することができた。東京で、朝のニュースを伝える人たちの表情が変わっていくのを眺めたときに初めて、わたしは地震にあったんだ、と実感することができた。ただどうにも地に足が着いた感じがしないので、テレビに張り付くというよりしがみつく感じで、今起こっていることを掴もうとした。
家族にはわりとすぐ連絡がついた。というか向こうからすぐ連絡が来た。梅田のほうでは電車がとまっていて大変な思いをしているらしいが、とにかく無事でよかった。津波の心配もなさそうだ。

テレビの向こう側はわたしより動揺していた。そこにいるのはその日、とーんっとなってない東京のスタジオにいる人たちだった。その深刻そうな顔した彼らの頭のなかには、東日本大震災の記憶があるのだろうと想像がついたから、なんだか妙に申し訳ない気分になった。テレビの中継で、大阪のとある駅構内で待機する通勤通学者たちが映し出されて、その顔には、まじまじとテレビカメラに見つめられた人特有のニヤけだったりはにかみだったりがあって、その人たちがカメラに向って手を振ったりピースしたりしやしないか、なぜかハラハラした。

その日、スマートフォンがよく振るえた。いろんなLINEグループでそれぞれの状況報告会が開かれていたからだ。ある人は電車に閉じ込められて線路のうえを歩いたことを、ある人は家の倒れたフィギアが無事だったことなどを伝えていた。会社が休みになったのでこれから映画を観ると報告する人もいた。どの報告も妙に高揚しており、その多弁がなにか不安を誤摩化すためのものに思えた。

スーパーの水売り場はすっからかんになっていた。向こうからやって来る天然水の段ボールを台車にのせて運んでくる店員が売り場にたどり着くまえに数人の客に取り囲まれて、段ボールごとかっぱらわれて空っぽになった台車をUターンさせて両開きの扉の奥に消えていくのを目撃した。こことは別のわたしの母親が働くスーパーでは、出勤できない人が続出して人手が足りず、可動できたのはたった2台のレジで、そのまえから店内をグルッと一周するほどの長蛇の列ができたそうだ。

地震速報はまったく機能しなかった。ちょっと大きめの余震が日をまたいで夜中と明け方と昼にあったが、そのときもうんともすんとも反応しなかった。前触れのないこの余震の感じは、机が突然ガッと衝きあがって、びっくりして周辺を見渡すとちょっと離れたところの人と目が合って、目を逸らしたその人がたぶん机に突っ伏して寝ていてビクッとなってその拍子に膝のあたりを机の裏っ側にガッと打つけたせいなんだな、と気づくそんな感じ。

余震のせいで感覚が過敏になって、室内にいても床がいつもジリジリと焦れているような気がする。何かの拍子にそれが痙攣したりひっくり返りやしないかと、そんな不安が身体の中を浮遊している。グッと足を踏み込んだり、フッとその力を抜いてみたり。別にそんなことをわたしはやってないのにその感覚だけが身体に伝わってくる。腰掛けている背中のあたりから腰にかけて、傾く感覚だけが抜けていく。たまに身体中が痙攣している感じがする。もしかしたらぜんぶ錯覚かもしれない。そんな感じで余震が一日中続いたので、わたしは今ぐったりしている。

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